45.祈り(クリスティーナ視点)
カナリア寮。
そう呼ばれている時期もあったらしいこの宿泊所のような建物の看板は、今は取り外されている。私の先祖であるアリスさんやその夫レイモンド様、その友人でもあったダニエル国王とジェニファー国王妃も若い頃に魔法学園にここから通われていたらしい。とはいえ何度も建て直されてはいる。
アドルフ様と私の兄もここから通っていたという。安全のために真向かいの建物に護衛も常駐し、魔女の力でこの建物自体に関心を持たれにくくしたうえでだ。ヴィンセント様は……王宮から直接学園へと通われたらしい。アドルフ様が「私と同じ場所にはいたくなかったんだろう」と苦笑していた。
ここは今や私とアドルフ様のお忍びの休憩地だ。秘密の場所。もちろん護衛はどこかにいるだろうけど、気付かれないようにしてくれるから気分は二人きりだ。昼には王宮でのクリスマスミサに参加していたけれど、今は自由だ。昔は夕べのミサもあったらしいものの、今は簡略化していて、そこまで重要視もされていない。ヴィンセント様たちがいなくても何も言われない程度のものだ。とはいえ、今年の街中のミサはいつも以上にごった返していたらしい。魔王浄化がなされたから当然かな。
屋上で冷たい風に吹かれながらヴィンセント様の美しいピアノの音色に耳をすませる。
「すごく……綺麗ね。ヴィンセント様にこんな才能があったのね」
「だろう? すごいんだ、ヴィンスは。ずっと言うなと言われていたけど、やっと自慢できるよ。作曲家として有名なんだ。違う名前でね」
「そうだったのね」
アドルフ様はヴィンセント様が大好きだ。幼い頃は懐いてくれて、すごいすごいと褒めてくれるからお兄ちゃんらしく頑張ったら頑張りすぎてしまったと少し悲しそうな顔をしていた。
私に言わないようにというのもヴィンセント様らしいなと思う。褒められるのも苦手そうだ。
「ヴィンセント様はセイカちゃんのこと、ものすごくお好きよね。彼女もだけど」
「そうだな。よかったよ、ヴィンスにあんな幸せそうな顔をさせてくれる女の子が現れてさ」
ヴィンセント様の流れるような美しい旋律に合わせて、セイカちゃんの透き通るような歌声がのる。歌詞には意味がないらしい。それなのに、どうして懐かしい音のように感じるのだろう。
おもひささめき
ひとよひとせし
しずみはかなし
よしなしまどふ
意味のない音がこの曲には合うように感じる。子守唄のようだ。風の精霊があちらこちらへと届けてくれる。
「曲名はあるのかしら」
「ああ。『星屑のロンド』だそうだ。二人だけの曲にするつもりだったらしいけど、彼女の気が変わったそうだよ。『アリスの絵本に負けないくらいクリスマスの曲として語り継がせてやるわ、永遠に』と言っていたらしい」
「セイカちゃんらしいわね。それなのに歌詞に意味がないのね」
「自分よりもヴィンスの曲の方に注目してほしいからのようだ。あのヴィンスがのろけていた」
「やっぱりセイカちゃんらしいわね。のろけるヴィンセント様も見たかったわ」
気になるわ……あの二人のロマンスが気になりすぎるわ。
たくさんの流れ星が落ちてくるような曲が終わり、突然昼間のように街が照らし出される。滝のように光が落ちてきて私とアドルフ様の中にも入り込んだ。満足感、高揚感、そんな言葉では足りない……生きている喜びが心の内から湧いてくるようだ。
光を放つことで人が集まってしまうから、入場制限されている墓地の上で今年は行うと言っていた。終わったら王宮へすぐ戻るとも。きっと、アリスさんと同様にクリスマスの夜には毎年これを行うのだろう。命尽きるまで、全世界へ光を届けるのだろう。
「かなわないわね。私だって、聖アリスちゃんの末裔なのに」
「私はクリスの祈りが一番好きだよ」
「わ、私もアドルフ様の祈りが一番好き……」
ぎゅっと後ろから抱きしめられる。
「またそう呼んで……二人の時は違うだろう?」
「う、うう……ア、アド……」
「いつまで経っても慣れないなぁ」
ずっと小さい頃からアドルフ様と呼んで憧れていたのに、愛称呼びはハードルが高いのよね。
「幼い頃からの呼び名はなかなか変えられないわよ」
「しまったな。もう少し早く呼び寄せればよかった。ルーカスが聖女召喚直前まで絶対に寄越さないって言っててさ」
「お兄様はすごく私を可愛がってくれていたもの。でも、私も早くこっちには来たかったわ」
「だよな。それなのに召喚でこの前来た時には『セイカと似たような女はいねーかなー』とか言っててさ」
「もう……呼び捨てなんかにして。完全に兄気取りよね」
「まったくだよ」
兄は両親の代わりに、セイカちゃんを家系に入れるための手続きをしに来ていた。魔王浄化直後にセイカちゃんに会ったらしいけれど、かなり気に入っていた。ヴィンセント様から二人きりにするなと頼まれているけど、こーゆーことかと私も納得した。
「ヴィンスにも頼まれているんだ。自分が離れている時に絶対に他の男と二人きりにさせるなってさ。ルーカスは特に要注意だと。男をおかしくさせるからって。おかしくなっている筆頭はヴィンスだなって、つい言っちゃったよ」
ヴィンセント様、あちこちに頼んでいるわね。
「ヴィンセント様はなんて?」
「分かっているなら話が早いなってさ。こうなるから危険なんだと真剣な顔で頼まれた」
「ふふっ、あのヴィンセント様が……」
ほんっとに馴れ初めが気になるわ……セイカちゃんが言っていた。『聖女の日記』というタイトルの本でも出版しようかなと。いつ読めるのと聞いたら、自分が死んでから出版してもらえらよう遺書でも残そうかしらと言っていた。長生きするしか読める手段はなさそうだ。
「ヴィンスにはさ、自由に生きてほしいんだ。可能な限りにはなるけどね。聖女にも。クリスには苦労をかけてしまうと思うけど……」
「それが私の望みだったもの。アドルフ様の隣にずっといたいって。物心つかない頃からずっと。そのためなら、なんだってするわ」
「ごめん。学生の間だけは公務もほとんどふらないでおくからさ。どこかに一緒に同行して意見を求められるくらいはあるかもしれないけど……」
「遠慮しなくていいのよ。早く皆にあなたとお似合いだって思ってほしいの、私は」
「ありがとう。ま、ほどほどに守らせてくれよ」
「ほどほどに?」
「ああ。守りすぎるとクリスは怒るからな」
「私だって、あなたの役に立ちたいのよ」
目を合わせてクスクスと笑い合う。この話はどうしても平行線になる。
「それでクリス、さっきから愛称を呼ぶのを避けているよね」
「う……」
「ほら、クリス?」
「アド……」
「もっと甘く呼んでよ」
「あ、甘くって……」
後頭部に手が置かれ優しく私の髪をとく。
「クリス?」
「ア……ド」
熱いキスに体が熱くなる。ずっと好きだった人。小さな小さな頃から……。
「愛してるよ、クリス」
「私も。でも一つだけ不安なことがあるのよ」
「え。な……何?」
「実はお兄様がね、ずっとアドのことを幼女趣味だって言ってたのよ」
「……あの野郎……」
「私のこと、歳をとっても愛してくれる?」
「当然だよ。君を見た時から運命を感じたんだ。幼女とか関係なくだ。ったく、あいつめ……」
私はどうだったんだろう。物心つかないくらいに昔、運命を感じたのかな。さすがに幼い頃の記憶は曖昧だ。
「クリスも、不安なことがあったら早く言ってよ」
「そうね」
「わざわざ今まで黙っていて、突然いいムードになった時を狙って幼女趣味なのか確認しなくてもさ……」
「ごめんなさい。つい今思ったことを聞いてしまったわ」
幼女趣味なのか確認するタイミングではなかったかもしれない。
「いいよ。思ったことを言えない関係にはなりたくない。でも、次はクリスがいいムードをつくってくれる?」
「え」
「ほら、頑張ってみてよ」
「ええー……」
色っぽいセイカちゃんなら簡単にそんな雰囲気をつくれるのかな、なんて考えてしまう。
「はぁ……いいムードを壊したあげくに、つくれない私はやっぱり子供っぽい?」
「いいや。困っているクリスを見るのが好きなだけだよ」
彼がくすくすと私を見て愛おしそうに笑う。
既に昼のような光は消え去った。それでもセイカちゃんの祈りにつられて、そこかしこに光が灯る。誰かが誰かに向けて幸せを願う祝福の光だ。
「えっとえっと……ずっと私と一緒にいてほしいわ」
「一緒にいるに決まっているよ。可愛いな、クリスは」
大好きな私たちの世界は救われた。セイカちゃんが頑張って守ってくれたこの国を、アドルフ様と一緒に希望あふれる未来へと導いていけたらと思う。
聖女が存在する治世……どうしてもそれだけで、どこか安心はしてしまうけど。そこにあぐらをかかず、前に向かって進みたい。




