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07 萎んでいく恋心

休日なので朝晩の二度更新。

 だらりと足を投げ出しているブリアナに声を掛けても無駄かもしれないと思ったが、アシェルはブリアナに同意を求めた。

 ブリアナは熱に浮かされたように頷いた。


 その夜。


 何度も、何度も、何度も――。

 アシェルはブリアナに触れた。

 治療ではあるものの、これは愛のある行為だと自分に言い聞かせながら。


 ただ、ここでアシェルが思い違いをしていたとすれば、王女の存在により、ブリアナの気持ちが不安定になっていたことだろう。

 結婚を仄めかすようなことを言っていても、子爵令嬢と侯爵令息。それも、ゆくゆくは伯爵位を継ぐ人間だ。学び舎という制限された場所にいたからこそ恋に落ちはしたが、本来なら相容れぬ存在。

 そもそもブリアナの中では、「一緒にいたい」という願いと、「どうせ無理だろう」という諦念がせめぎ合っていたのだ。


 そこに現れたのが王家の末姫で、どんな性格であれ、そちらと婚姻を結ぶほうが現実的であるように思えた。


 それを裏付けるかのように、王女からアシェルに対する呼び出しは、日ごと多くなっていく。――不安だった。

 さり気なくアシェルに訊ねてみても、心配は不要だという曖昧な答えしか返ってこない。


 アシェルにとってみれば、単純に「王女と結婚するつもりはない」という意思表示のつもりだったのだが、ブリアナに説明するのはすべてが整ってからにしようと、肝心な部分の報告を失念してしまったため、ブリアナの不安は解消されるどころか、次第に強くなっていったのである。


 そんなときに起きた事件は、ブリアナの心を確かに蝕んだ。


 媚薬というのは、意識を朦朧とさせても、記憶を奪うものではない。同意したのは覚えていたし、恋人の熱を孕んだ緯線も、燃えるように熱い手の感覚も、すべて鮮明に思い出せた。

 だが、アシェルはもともと優しい人間だった。

 ブリアナとアシェルが恋人同士だというのは、もはや周知の事実だったが、それでも自分こそが彼の隣を歩くに相応しいのだと声を掛けてくる女性は後を絶たず、そんな女性たちを、アシェルは決して邪険にしなかった。

 上位貴族として当然の義務なのだろうと思いながらも、不必要なまでの接触を許しているアシェルに、ブリアナはやきもきしていた。

 恋人とは名ばかり。それはつまり、婚約者ではないということなのである。


 自分には何も言う資格がないと後ろめたさを感じつつ、やんわりとそのことを指摘してみても、アシェルは困ったように笑うだけ。

 恋人のことは愛している。

 生涯共にあれたらどんなにかと願うほどには。


 しかし、自分たちは貴族でもあるのだ。


 無理なものは無理だと、諦めなければならない日が来るかもしれない。そんな日は、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない。


 恋に落ちても、盲目にはなれなかったブリアナは、自身の心に灯る愛情が、燃え盛るようなものから徐々に勢いをなくしていくのを感じていた。

 状況からして他に選択肢がなかったとはいえ、アシェルと一線を越えてしまったブリアナ。王宮で一晩過ごし、翌朝にはアシェルの家の馬車で実家のタウンハウスに戻った。

 通常、朝帰りなどというものをすれば、上を下への大騒ぎになるはずだが、タウンハウスはしんと静まり返っていた。足音を立てないよう、細心の注意を払いながら自室へ戻ったブリアナを気にする者は、使用人含め、ただのひとりもいなかった。


 体調が完全に回復したとは言い難く、精神的な負担も感じていたため、その日とその翌日は学園を休み、さらにその翌日、いよいよ今後の二人について話し合うときが来たのだと自らを奮い立たせながら、登校したのだが――。

 アシェルはそこにいなかった。

 実はこのとき、アシェルはこの事件の捜査に乗り出していた。


 現行犯で連行された例の男は、男爵家の次男だったために貴族牢に収監され、厳しく追及されることとなった。なんでも、見知らぬ男に「子爵令嬢(ブリアナ)を少し脅かせば、さる高貴なお方のそばに取り立ててやってもいい」と言われたらしい。

 怖がらせるだけ。ただそれだけ。

 男爵令息であるその男は、甘言に乗ることにした。次男であり、昔から兄と馬が合わない自分は、このままだと平民になってしまう。貴族でいるためには、どこかしらの家に婿入りするか自分で爵位を得るかしかないが、男は特に秀でたところもなく、見目が良いわけでもない、平凡を絵に描いたような人間だった。

 当然、その自覚もある。

 つまり、この誘いは、自分にはどちらも不可能だと半ば諦めの心境でいたときに、降って湧いたような話だったのだ。


 しかし、事態は思ったようには進まなかった。


 子爵令嬢(ブリアナ)を前にしたとき、なんだか異様に触れたくなってしまったのである。

 いや、違う。そんなつもりはない。

 頭の片隅で自分自身に言い聞かせながらも、すでに欲望を抑えきれなくなっていた。この件については、ブリアナとはまた違った種類の薬物をどこかで盛られたのではないかという結論が出た。


 男が言う『さる高貴なお方』。


 王女のことだろう。

 アシェルと第二王子は、ほとんど確信していた。


 だが、間に多数の人間を挟んでいるせいで、確たる証拠が挙がらない。耳障りな声を上げ、高笑いする王女の姿が目に浮かぶようだった。


 一国の王女がここまでするとなれば、もはや害悪とすら言える。

 今まではあくまでも、アシェルの手助けをするという立ち位置にいた第二王子と王太子が、王女(異母妹)を排除すべく、主軸となって動き出した。

 無論、アシェルにとっても見過ごせる話ではない。

 もし自分が間に合わなかったらと考えるだけで、はらわたが煮えくり返る思いだった。


 そんなわけで、この事件の捜査に忙殺されることになったわけだが、ここでもアシェルの優しさが違った方向に作用してしまう。

 現在の状況をブリアナに伝えておくべきだったのに、そうしなかったのである。

 物証がない以上、誰それが犯人だと軽々しく明言するわけにもいかず。かといって、捜査中であると、不用意にこの話題を持ち出せば、負ったであろう深刻な心の傷を抉ることにもなりかねない。

 アシェルは、「不本意な形ではあるが」と始まり、半ば強引に関係を持ってしまったことに対する謝罪、それから「体調はどうだろうか」という気遣いに続く手紙を出したきり、ひとまずは沈黙することを選んだ。

 無論、犯人が確定した暁には、徹底的に責任を追及するつもりだったが、すべてが終わってから「もう何も心配はいらない」のだと伝えようと思っていたのだ。そうしたほうが、ただでさえ傷付いているに違いないブリアナが、さらにあれこれ心を煩わせることもないだろうと信じて。


 だが、実際のところ、ブリアナは学園でアシェルに会うことも叶わず、二人は見事なまでにすれ違う日々を送ることになった。

 ブリアナの心は急激にすり減っていき、こうなるともう、侯爵家へ訪問して真実を問いただす勇気すら残ってはいなかった。


 そんなときに発覚したのが、ブリアナの妊娠である。

 自分の体にもたらされた異変に気が付き、父親の目を掻い潜って、町医者の診察を受けたのだ。


 気のせいだといいと願った。

 月のものが遅れているのは、精神的な負担や疲労によるものに違いないと。


 ――結果は、言うまでもない。

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