06 溺愛
人懐こく、けれど礼儀は弁えていて、努力家なブリアナを愛していた。
子爵令嬢との婚約に当初は反対していたアシェルの両親も、ブリアナの優秀さとその交友関係の広さから、やがて「早く侯爵家の一員として迎えたい」とまで言い出すほどだった。
ただ、唯一の問題といえばブリアナの家族で、これらを親族にするわけにはいかないと、両親と共にブリアナを養子として受け入れてくれる家を探していたのだ。いや、実際、候補はいくつもあった。むしろ、手を挙げる家が多すぎたのが仇になったと言ってもいい。
それほどまでに、ブリアナは将来有望とされていたのだ。
やれこの伯爵家はどうだとか、やれこちらの侯爵家もあるぞとか、そんな相談をしていたある日、王家から呼び出しがかかった。
――国王が溺愛している末姫を娶れという。
きょうだいの中で、唯一側妃から生まれた王女だ。
なんでも、昔からアシェルのことを慕っていたとのことで、恋人がいるようだと知った王女が「自分が妻になったほうが彼は幸せになれる」と頼み込んだらしかった。
王命ではないと言っていたものの、国王から直接話があった以上、圧力を感じるなというほうが土台無理な話である。
ブリアナにはそれとなく婚約について仄めかしており、そのうえで満更でもない様子だったので、すべての基盤が整ってから改めて求婚しようと考えていたが、結果的にはそこを突かれる形になってしまった。
無論、第二王子は激怒した。
二人は想い合っていて、口頭ではあるが結婚の約束だってしているのに、そこに王家が権力をちらつかせて横槍を入れるのかと。
しかし、国王の末姫に対する溺愛ぶりは予想以上で、件のお願いを取り下げないばかりか、王女の相手をするように頻繁にアシェルを王宮に呼び出したり、王女本人が強引に侯爵家を訪ねてきたりするようになった。
さらに厄介なのは、国王が政治においては有能なことだった。そんな国王を敵に回してまで、二人の恋模様を応援してくれる貴族がいなかったのだ。王女の得手勝手な言動でトラブルに巻き込まれた貴族も少なくはなかったので、これを機にアシェルに手綱を握らせようと考える者さえいた。
第二王子の協力を得て、アシェルは奮闘した。
まず、ブリアナの能力を高く買っていて、その境遇に強く同情していた公爵夫人の夫が王弟だったので、そこを味方につけた。
すると、公爵夫人の伝手により、その他上位貴族の多くが次第にアシェルとブリアナに同情的になっていく。
第二王子の兄――立太子しているのですでに王太子であるが、彼は妹のあまりの傲慢さに、彼女を一刻も早く王家から遠ざけてしまいたいと考えていたので、ブリアナの犠牲については実に王族らしく、憐れに思う程度だったのだが、公爵家およびその他上位貴族が彼らの味方につくとわかるなり、アシェルの話を聞きに来た。
多くの貴族家が王女の降嫁について懐疑的なこの状況で、正当な理由もないままに国王と王女の意思を通そうとすれば、王家に対する不信感が芽生えても不思議ではない。
二人の婚約に直接関係しているわけでなくとも、今後、なにか重要な局面が訪れたとき、王女の一言によって貴族の意見がなかったことにされるかもしれないと危惧する人間もいるだろう。
国王は、都合よく「王命を下したわけではない」と信じているのかもしれないが、基本的に、上位の人間の頼み事を無視できないのが貴族という存在である。
現に、なかなか受け入れないアシェルに対して「お父さまの言葉に逆らうつもり!」と声を張り上げる王女の姿が何度も目撃されていた。
そのうち、下位貴族も上位貴族の姿勢に倣うようになり、ついには国王が折れることとなった。
同時期に、たまたまアシェルと会話していただけの伯爵家の令嬢が、王女の暴力により怪我を負ったことも、国王にその決断をさせた一因になったかもしれない。
ブリアナが日常的に王宮に上がれる身分だったとしたら、被害に遭っていたのは間違いなく彼女だっただろう。一般的な貴族とは異なり、王族が学園に通う義務はないので、下位貴族出身のブリアナと顔を合わせる機会がほとんどなかったのだ。
ともかく、これですべては整ったも同然――かのように見えた。
実際、アシェルも第二王子もそう確信していたし、アシェルに至っては、これでいよいよブリアナを迎えることができると完全に舞い上がっていた。
だが、王女の傲慢さは留まることを知らなかったのだ。
それは、王太子の生誕祭である舞踏会でのことだった。王宮で開催されるため、一部例外を除いては、基本的にすべての貴族が参加する催しである。
当然、ブリアナとアシェルも出席していた。秒読みとはいえ、正式に婚約を結ぶ前なので、アシェルがブリアナをエスコートすることは叶わなかったが、二人は会場で落ち合い、目立たない場所で話していた。
王女は謹慎を――といっても、数日程度だが――言い渡されていたので、不在だった。
それに加えて、アシェルはもう近い将来に婚約できることを確信していたので、「僕の未来の奥さん」などと浮ついた気持ちだったのは間違いない。要は、完全に油断していたのだ。
事は、第二王子に呼ばれたアシェルが、ブリアナのそばを離れた一瞬の隙に起こった。
ブリアナに薬が盛られたのである。
――媚薬だった。
だが、これはこの後にわかったことで、そのときのブリアナがそれだと判断できるはずもない。
意思とは無関係に火照り始めた体に違和感を持ち、ブリアナはひとまず化粧室で自分を落ち着かせることにした。ところが、目的の場所に向かう途中、記憶の中にはない男に攫われるようにして、休憩室に連れ込まれてしまった。
男の指が触れた瞬間、電気が走ったような甘い痺れが体を駆け抜けた。それに驚き、慄いたブリアナは必死で手足を振り回したが、圧倒的な力の差を前に、逃げることは叶わなかった。
もう駄目かもしれない――。
荒々しく、ベッドに放り投げられた。下卑た笑みを浮かべた男が、壁のように覆いかぶさってくる。
ブリアナが恐怖と羞恥に涙を滲ませ、目をきつく閉じたそのとき。激しい音を立て、扉が開かれた。
アシェルだった。
その友人である第二王子と、近衛騎士たちの姿もある。
女ひとりやり込めるのは、赤子の手を捻るように簡単だと思っていたのだろう。男はほとんど丸腰の状態だった。
抵抗する間もなく、騎士たちに連行されていく。なにやらけたたましい叫び声を上げていたが、息苦しさを逃すのに精いっぱいだったブリアナには、もはやなんと言っているのかわからなかった。
ぐったりと四肢を投げ出したまま、浅い呼吸を繰り返す姿に、アシェルは媚薬を盛られたのだと気がついた。この姿を見せてはならないと、咄嗟にブリアナをシーツで包み、第二王子に対して退出を促す。
二人きりになったあと、アシェルは途方に暮れた気分で、ブリアナに触れた。
現物が手元にない以上、どの類の媚薬が使われたのかわからない。ここまで効果がある媚薬は、基本的に違法薬物に指定されている。個人で簡単に入手できるのは、体を温めたりリラックスしたりと、まじない程度にしか効果を発揮しないものばかりである。
違法薬物が使用されたとなると、公に調査し、現物を見つけたうえで解毒しなければならないだろう。
違法薬物というぐらいなのだから、当然、放置すれば命に関わってくるようなものもある。毒になる成分が含まれているのではない。激しい体の反応に精神が耐え切れず、気が触れたようになり、最終的に自ら命を絶ってしまうだとか、そもそも体自体がその化学反応についていけないだとか、そういうことだ。
アシェルはそれを知っていた。
同時に、そういった防衛反応から逃れられるのは、唯一、物理的に体の熱を取り除いたときだけだということも。
迷ったのは一瞬だった。
どうせ結婚するのだ。
自分は恋人を愛しているし、恋人もそうだと信じている。
展開が遅い(文字が多い)と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、いつもお読みくださり、ありがとうございます。
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