04 父親という存在
「……伯爵さま」
ジュリアに預けた娘を迎えに酒場に行くと、娘を膝に乗せたアシェルがいた。
――信じられない。
そんな思いで、アシェルを見つめる。
非難めいたブリアナの視線を受け止めて、アシェルは申し訳なさそうに眉を垂らした。「ジュリアさん」どういうことかと後ろを振り返る。
ジュリアは、困ったように微笑んでいた。
「だって、ほら、この人、ロッテの父親だって言うじゃない? あなたたちのことを探していたっておっしゃっていたし。それに――」
「わかったわ、ありがとう」
普段はあまりしないことであるが、ブリアナはジュリアの言葉を遮った。
ジュリアの考えが手に取るようにわかったからだ。
職業柄、人と接することが多い彼女のことである。アシェルが悪い人間でないことは、すぐに見抜いただろう。
シャーロットとアシェルは性別こそ違うものの、しっかり見ればよく似ている。アシェルがシャーロットの父親だと確信し、長いこと二人を探していたアシェルを憐れんで、善意のもとシャーロットに会わせたのに違いない。
(まあ、ジュリアさんの考えはなんとなく……)
ブリアナは小さく息をついて、娘を抱えるアシェルに向き直った。
仕事に戻るのだろう。ジュリアの足音が遠ざかっていく。
「……この子はシャーロットと言うんだね」
「ママ、……パパ?」
父親の腕の中から、不思議そうにブリアナを見上げる瞳。その中に微かな期待の色を見つけてしまったブリアナは、ぎこちなく頷いた。娘に対して、出生を偽るような嘘はつけなかった。
「……ええ、そうよ。この人はあなたの父親です」
「ブリアナ……!」
わざわざ言葉にせずとも、自分そっくりな容姿からわかっていただろうが、アシェルは感激したように声を上擦らせた。
行方不明という設定は、もう使えないだろう。
もっとも、それを伝えていたのはジュリアぐらいのものである。彼女は彼女で、きっとなにかしらの事情があってのことだと察したはずだ。
「いや、すまない。押しかけるつもりはなかった……」
いかにも不審そうな表情に、アシェルは顔を強張らせる。自分でも言い訳じみた発言だとわかったのか、すぐに「あ、いや、違うな。ごめん」とまた小さく謝った。その姿はさながら、大人に怒られた子どもである。図体だけはでかいが。
「それで、いつまでこちらにいらっしゃるんです?」
平民にしては大概砕けた口調だったが、シャーロットを娘だと認めたのだ。娘の母親として、口調程度の不敬なら見逃してくれるだろう。
「どうだろう、正確な期間は殿下方次第で……」
「……そう、ですか」
不自然な沈黙が落ちる。
いたたまれない空気感に、ブリアナはやんわりと首を絞められているような感覚に陥った。
(……悪いことなんてひとつもしていないのに、気まずいわ。こちらには別に、話すこともないし)
考えてみれば、子爵令嬢と侯爵令息。
気が合ったという昔のほうがおかしかったのだ。ブリアナはこのことを、きっと彼のほうが自分に合わせてくれていたのだろうと考えていた。
「ママ、つかれた?」
ふと、息が詰まりそうな空間に、清涼な空気が流れ込む。
シャーロットだった。
母親の様子がいつもと違うことを察したのだろう。アシェルの腕の中から、ブリアナの顔色を窺うようにしている。
ブリアナは、慌てて笑みを取り繕った。
「ロッテ、いいえ――いいえ。大丈夫よ。……帰りましょうか」
心配をかけたくない一心で、アシェルにも視線を向ける。
「あなたも」促されて、アシェルは複雑そうな表情を浮かべながらも、シャーロットを抱えたまま立ち上がった。
四歳児を片腕で抱えるとなると、ブリアナほどの細さでは長くもたないが、アシェルはまるで空気でも抱いているかのように軽々と持ち上げている。
「父親面しないで!」そう叫びたいのは山々だったが、シャーロットの手前、ぐっと堪えるしかなく。大人しくついてくるアシェルを引き連れて、ブリアナはジュリアの酒場をあとにした。
酒場から母子の家まで、さほど距離はない。
さっさと家に帰り、なんとかアシェルと離れなければと考えていたブリアナは、知らず早足になっていた。
刻み足で忙しなく歩くブリアナの背中に、アシェルが声をかける。
「ブリアナ」
ブリアナは止まらない。
「ブリアナ」
やはり止まらない。
「ブリアナ!」
今度は強く呼んだ。
ブリアナは肩を小さく震わせて、歩く速度を緩めた。けれどやはり、立ち止まろうとはしない。勝手にシャーロットに会いに来たばかりか、父親であると名乗りさえしたのだ。
腹が立っているのもあった。
だが、それ以上に、――面倒な相手に関わりたくない。
本心はそんなところだ。
視線だけで横に並ぶ彼を見ると、その横にある人の傲慢な笑みが浮かぶ。嫌なことを思い出してしまった。
「君を探している間、もしまた会えたら何を話そうかと……ずっと考えていた。でも、顔を見た瞬間、全部吹っ飛んだよ。――無事でよかった。生きていてくれて、本当に……。それしか考えられなくて」
アシェルの真剣な横顔に、ブリアナは小さく笑った。
(無事に、ね……)
成人を迎える前に親元を離れ、貴族ですらなくなり、子を孕んだことで父親か、あるいはその家族が母子まとめて排除しようとするかもしれないと国を出て、ほとんど無一文の状態から生活を立て直し、知人のひとりもいない中で出産し、子育てをすることが『無事で』と言えるのなら、そうなのだろう。
ブリアナは過去のことを思い出して虚しい気持ちになったが、肩を竦めるだけに留めた。彼に愚痴をこぼしても詮無いことだ。
胃に鉛が落ちてくるような感覚を覚えながらも、ブリアナは「生きていてよかった」という部分だけを受け取ることにした。
「子どもがいることも、ここに来て初めて知った」
「……このことを、ご家族には?」
ブリアナ自身、混乱していて忘れていたが、侯爵家の人間がどう出るかわからない以上、それは避けたい事態であった。
本人はここにいると言っても、専用の魔道具を使えば、祖国にいる侯爵家の面々と連絡を取るのはさほど難しいことではない。
返答によっては――あるいは、どのような返答であっても――再び住居を移さなければならないかもしれない。ジュリアには悪いが。
口元を強張らせながら訊ねたブリアナに、アシェルは首を振った。
「いや、まだ言っていないよ。安心してほしい」
昔から人の感情に聡い人だったので、ブリアナの気持ちと警戒心を悟っているのだ。
(……まだ、ねえ)
だとしたら、そもそも押しかけるような真似をしてほしくはなかったが。
一般的に、外交で訪れた国で勝手な行動は許されないはずだが、おおかたこの国の王族が許可を出したのだろう。ひとり、アシェルたちとも親交がある人間がいるので。
気づけば、家の前に辿り着いていた。




