30 複雑な終わり方
「異母妹がああなってしまった以上、お前たちには知る権利があるだろう」
国王の背中を見送り、再び自室へと誘導する王太子。正直、今すぐにでもベッドに潜り込みたい気分だったブリアナは、思わずうへえと天を仰いだ。
癒やしを求めてついでに娘を視界に捉えると、娘は第二王子の腕の中で寝息を立てている。
――図太い。
誰に似たのかしらなどと現実逃避をしながら、アシェルたちと共に来た道を戻る。
流石に悪いと思ったのか、途中、アシェルがシャーロットを受け取っていた。
「先日の騒動だが、王女が裏で動いていた」
「……先日の騒動?」
「侯爵家で開催された夜会に不法侵入したという」
「ああ……」
そういえばそんなこともあったとブリアナは思い返す。いろんなことが一度に起こりすぎて、もうずっと前の出来事のように感じられた。
「厳重に管理されているはずの魔導具が、一部紛失したと騒ぎになっていたのは知っているな」
訊ねられて、一同はそろって頷いた。
そう、ブリアナたちは掴んでいたのだ。王宮で保管されているはずの稀有な魔導具が紛失し、それがどういうわけか、ル・ヴォー子爵家当主の手に渡ったという情報を。
子爵の性格と時期を鑑みて、夜会で使うつもりかもしれないというところまでは予測できたが、王宮から持ち去ったのは誰なのか、なんのために使われるのかまではわからなかった。
「実際には紛失したのではなく、盗み出されたのだが――その犯人が、王女の手の者だった」
苛立ちを隠さず、王太子がテーブルを指で小刻みに叩く。
「あれは、夫人を傷物にすれば好いた男と結婚できるとまだ信じ込んでいたらしい」
「まさか。危険人物であるとして、幽閉までされていたのに?」
第二王子の言葉に、ブリアナが口の中で「えっ」と驚きの声を上げた。「国を出るまで、謹慎という名の幽閉処分になっていたんだ」と、アシェルが囁くように説明する。
なるほどだから王女が現れた時、どうしてここにと訝しんでいたのか。あの時の反応を、ブリアナは今になって理解した。
「あれの考えは私にもわからん」
考えるだけ無駄だとでも言うように、王太子は話を続ける。
「とにかく、それで夫人を目の敵にしていた子爵を唆したらしい。子爵自身は、人前で恥をかかせてやれば、社交界から逃げ出すだろうと考えた末の愚行だったと」
その結果、本人たちが誰よりも恥をかく結果になってしまったのだから、愚かすぎて笑えもしない。
あの愚か者と血がつながっているのかと思って、ブリアナは羞恥心に悶えたい気分になった。
その後も、王太子は事の成り行きを訥々と語った。
先日から立て続けに起こった騒動については、王女が裏で動いていたことに違いないけれど、そのさらに裏で糸を引いていた存在がいると。
「あれが暴力沙汰を起こした時、被害者になった伯爵令嬢がいただろう」
表情に無を映し出したまま、王太子が言った。
「王女と子爵を接触させたのも、厳重な警備が敷かれているはずの夜会会場に子爵とその家族を招き入れたのも、幽閉されているはずの王女を塔から出したのも、すべては件の令嬢の父親が手引きしたことだった」
曰く、伯爵は王女に恨みを持っていたという。
「……あの暴力事件のあと、令嬢は自ら命を絶ったそうだ」
その理由を聞いたとき、ブリアナは息を呑んだ。
王太子の話によるとこうだ。
王女に暴力を振るわれた令嬢は、運悪く廊下に飾ってあった鉢植えに顔から突っ込み、大きな怪我を負った。一生傷痕が残るだろうと言われるほどの怪我である。
結果として王女には謹慎処分が与えられたが、ここですれ違いが起きた。報告書の記載に一部誤りがあり、国王は怪我の酷さを把握していなかったのだ。
処分の軽さに憤慨した伯爵が異議を申し立てようとしたものの、令嬢はそれを待たずして命を絶ってしまった。
結婚に夢を見る年頃の少女だ。
二度と自分の顔が戻らないのだと知って、恐慌状態に陥ったのかもしれない。あるいは、衝動的な行動だったのかもしれない。だが、そのどちらにしても、酷く傷付いたひとりの少女を止められる人間はいなかった。
伯爵は愛する娘のため、復讐を決意した。
亡き妻が自らの命と引き換えに産み落とした、何に代えても守りたい大事なひとり娘だった。
「だが、まあ、腐ってもあれは王女だから、当然そんな機会は早々訪れない」
「……なるほど。それで気持ちを持て余している時に、夫人の帰国を知ったと」
「あれのことを嗅ぎ回っている時、媚薬事件のことを耳にしたと話していたそうだ。あの事件で、あれは実質無期限の謹慎を食らっているからな。夫人を巻き込めば、さらにやらかすに違いないと確信していたんだろう。そしてそれは実際、そのとおりになった」
結局、王女が生きて苦しむというだけでは、伯爵は満足できなかったのだ。王女の行動如何によって、不幸になるかもしれないし、そうでないかもしれない。
そんな不確定な状況に納得できず、すべての状況を利用することにした。
「――伯爵は極刑になるだろう」
理由が理由とはいえ、王族を貶めるような真似をしてしまったのだ。王政が敷かれている国で、それは許されない。
「……そうですね」
なんとも後味の悪い終わり方だった。
「だが、私はあれのことを許しはしない」
非公式とされていた王太子との謁見が終わり、数日後。
――私はあれのことを許しはしない。
ブリアナたちは、この意味を正確に理解することとなった。
「病死……」
アシェルからもたらされた情報に、ブリアナは顔を青褪めさせた。
「それは――」
「ブリアナ」
――本当に?
そう訊こうとしたブリアナを、アシェルが止める。
深掘りしないほうがいい。
そういうことだろう。
「でも、彼の国に公妾として向かうという契約があったんじゃ……」
「ああ、あれは……もともと彼の国の王子が、我が国の王太子殿下の友人だったことで纏まった話で、相手方にとってはほとんど慈善事業のようなものだったらしいよ」
「……ええ?」
「彼の国の王子は、どちらにしてもハレムを解体するつもりでいたって。だから、王女のことはさして興味がないみたいだね」
あまりにもさらりと言うので、ブリアナはどう反応をすればよいかわからなくなった。
公妾として王女を差し出すのは、単なる王女への罰。国に置いておきたくもないし、かといってあの時点では処分するわけにもいかなかったからこその処置だろう。
「……伯爵は、復讐を成し遂げたのね」
なんとも言えない感情が、ブリアナの中をぐるぐると渦巻いた。――どうしてこんなことになってしまったんだろう?
「悲しい?」
アシェルが隣に腰かけたので、ブリアナの体が少し浮いた。
「そうね……わからない」
夫に肩を抱かれながら、ブリアナはゆるゆると首を振る。頭の中に、過去のいろいろな出来事が思い浮かんでは消えた。
「全部知って思ったのは、王女殿下ひとりが悪かったのかというと、そういうことでもないなって」
「……うん」
「もちろん持って生まれた何かはあったと思う。でも、それだけじゃなくて……陛下が他のきょうだいと同じように王女殿下を育てていたら? 側妃殿下が媚薬なんて持ち込まなかったら? 王太子殿下や第二王子殿下が、もう少し目をかけてあげていたら?」
ひとつでも違っていたら、ここまで事態は悪化しなかったかもしれない。そう思えてならないのだ。
結局、大事なことはなにひとつとして解決しなかった。そんな気持ち悪さが確かにある。
「でも、同情もできない」
王女は、人としてしてはいけないことを何度も繰り返してきた。それもまた事実だった。
「忘れてはいけないと思う」
前を見据えて、アシェルが言う。
「人の噂や記憶なんて頼りないものだからね。きっと王女のことだって、そのうちみんな忘れ去るだろう。――でも、僕たちだけは忘れちゃいけないと思う」
「……ええ」
「伯爵のことも、絶対に」
そうね、と掠れた声で答える。
もし自分がシャーロットを理不尽な方法で奪われたらどうするだろうと考えて、ブリアナはゾッとした。
同じことをするかもしれないと感じたからだ。
娘の絶望と痛みを想像し、相手を恨み、絶対に許さないだろう。なんとしても同じ目――あるいはそれ以上に酷い目に遭わせなければ気が済まないかもしれない。
きっと、伯爵にとってもそれ以外に方法がなかったのだ。
やりきれないわ、と改めてため息をついたその時。
「パパ! ママ!」
転がるように、シャーロットが駆け込んできた。
その愛らしい姿に、肩から力が抜ける。思わずアシェルと顔を見合わせて、穏やかに微笑んだ。
「『お父さま』『お母さま』でしょう、ロッテ」
「あ……ごめんなさい」
ブリアナは娘の体を掬い上げて、自身の膝に乗せる。――まだまだ小さい。でも、あっという間に大きくなるのだろう。
「お母さま、見て!」
そう言って、シャーロットがぐっと頭を近付けてきた。外れそうになっているが、黒い宝石が施された髪飾りをつけている。
「これは……」
黒翡翠だ。
思わず再びアシェルと顔を見合わせる。そして、二人して笑った。
「黒翡翠かあ」
「翡翠といえばあなたとロッテの瞳の色だけれど、黒とつくだけでわたしも仲間に入れてもらっているみたいでうれしいわ」
「……家族の宝石にしよう」
「黒翡翠を?」
大袈裟ねと微笑みながら、ブリアナがシャーロットの髪の毛を優しく梳く。
母親の腕の中で、シャーロットがうれしそうに笑った。
そんな母子を見ていたら、なんだか堪らなくなって、アシェルは二人ともを包み込むように抱き締めたのだった。
「これつけたの、母上だな」と冗談交じりに言いながら。




