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28 繰り広げられる物語

「アッシュ!」


 あまりにも突然の出来事に、ブリアナが叫ぶ。

 同時に、自然と体が動いた。

 殿下をお守りしなければ――ブリアナが盾となるべく、娘を抱えた第二王子を壁際に押しやったのだ。アシェルが自分たちを庇おうとしているのは見えていたが、盾は何枚あっても困らないだろう。


「夫人、ありがとう。大丈夫だ」


 ややあって、第二王子が落ち着いた声音で言った。

 そう言われてみてやっとあたりの状況を観察すると、どうやら自分が思っていたほど酷いことにはなっていないらしいとわかる。


「やだ、離しなさいよ!」


 聞こえてきた甲高い声に、自分たちを守ってくれているアシェルの背中から顔を出して、ブリアナは絶句した。


「わたくしを誰だと思っているの! お父さまに言いつけて、お前の首など即刻()ねてやるんだから!」


 ――王女だった。

 第二王子の護衛騎士たちに阻まれ、あろうことか床に押し倒された状態で喚いている。まるで罪人のような扱いだった。――が、実際に罪人のようなことをしようとしたのかもしれない。

 王女の目の前には、小ぶりなナイフが落ちている。


「なぜお前がここにいる?」


 第二王子がアシェルの隣へと並び出た。これ以上の危険はないと確信しているらしい。


「お兄さまも、わたくしがこんな目に遭ったなんてお父さまが知ったら、怒られるんだから!」

「『こんな目に』というのは、ナイフを持って()に駆け寄ろうとして、騎士たちがそれを止めたことか? 忠実に任務を果たしただけにしか思えんがな」


 いつもの陽気な様子は鳴りを潜め、突き放すように鼻で嗤う第二王子。そんな兄の様子に一瞬口を噤んだ王女だったが、今度は誤解だと手足をばたつかせ始めた。


「お兄さまを狙ったわけじゃないわ! その女! そこの女にちょっと痛い目見せてやろうとしただけじゃない!」


 鋭い視線がブリアナを捉える。


(ええ……わたし!?)


 護衛騎士たちが止めてくれなかったら――小娘の攻撃ひとつ止められないなど、万が一にもあり得ないが――自分が刺されていたのだと知って、背筋が寒くなった。


「痛い目? そんな小ぶりなナイフでも、刺されたら最悪死ぬ。そんなこともわからないのか」


 第二王子が呆れを孕んだ声でそう言うが、王女は零れ落ちそうな大きい目をさらにぎょろりとさせて小首を傾げた。


「だからなに? その女が死んだら死んだで構わないわ。その女がいなくなったところで、わたくしには関係ないもの。ただ、生きているうちに痛い思いをしてくれれば、それで――」

「どうしてここにいるかはあとで聞こう。連れて行け」


 ――まともじゃない。

 ここにいる誰もがそう感じただろう。国王は確かに娘を溺愛し、甘やかし続けたかもしれないが、それだけでこんなふうにはならない。

 持って生まれた何かがあるのだ、と思わずにはいられなかった。

 聞く価値すらないと判断したのか、話を断ち切った第二王子に、王女が「待って!」と悲鳴を上げる。


「アシェル! ねえ、アシェル!」


 力づくで体を起こされた王女が、()()()()に向かって助けを求めた。


「あなただって、その女のことを恨んでいるでしょう? 粘着質なその女があなたに執着し続けたせいで、わたくしと結ばれることは叶わなかった。その女がいなければ、なんの問題もなく生涯共にあれたのに!」


 ああ、と王女が今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。

 宝石にも劣らない可憐さだ。何事もなければ、ただ純粋に美しいと愛でることができただろう。

 だが、今の状況を考えると、それは異様な光景でしかない。


「確かに媚薬を盛ったのはどうかしていたと思うわ。だって、他の男に穢されれば、あなたの前から消えてくれると思ったんだもの。まさかそれを盾に結婚を迫るだなんて思ってもみなかった。わたくしのアシェルが優しいからと、他の男との子を使()()だなんて――なんて汚らわしい女なのかしら」


 だいぶ酷いことを言われている気がするが、王女の言葉はすとんとブリアナの胸の中に落ちていく。()()()()()()()が腑に落ちた。そんな感覚だった。

 アシェルに別れを告げたあの時、王女は「婚約者でも夫でもない男に穢されるなんて」と言っていた。もちろん事実とは異なるので、頭の中で「本当にそんな事態になっていたら」と、限りなく真実に近い仮定の話をしているのだろうと自分を無理矢理納得させていたが――。

 王女はあの時からずっとそう信じ込んできたのだ。


「何を仰っているかわかりかねますが」


 黙って観察していたアシェルが、ようやく口を開く。


「私は妻のことを恨んだことは一度もないし、彼女が他の男に穢されたこともありません」


 どんな感情も感じさせない乾いた声だった。翡翠色の瞳が冷たく王女を見据える。


「な……そんな、わけ――」

「それに、娘は()()()()()です。れっきとした私の子だ」

「……は……?」

「あなたは人を使い、妻に媚薬を盛ったはずだという事実だけで満足しておられた。その相手が誰かまでは確認しなかったでしょう」

「確認って……それは、だって、あの男が」

「確かに危ないところでしたね。私が到着するのがもう少し遅れていれば、妻はもっと傷付いていたかもしれません。でも、寸前のところで間に合った。種類のわからない媚薬の効果を強引に薄めるには、体から物理的に熱を取り除くしかない。まさか私が、治療行為とはいえ、愛する人を他の男に委ねるとお思いで?」


 王女の体がわなわなと震えだす。

 きっと想像もしていなかったことなのだ。シャーロットがアシェルの実子であるなどと。


「あり得ない……」


 衝撃を受け止めきれないのか、王女の口元は中途半端に笑みの形を作ったまま、機械的に動いた。


「あり得ないわ、そんなこと……あ、あなたは優しい人だもの。だから、子がいる女を無下にできなかったのね。他の男の種でできた子とはいえ、子に罪はないもの。わ、わたくしからしたら、それだって汚らわしいけれど。そう……そうよ。あの時のことは本当に悪いと思っているのよ! 間違えてしまったと後悔してる。邪魔な女を排除するというには、十分穏便な方法だと思っていたのだけど、子ができてしまったらあなたは見過ごせない。そこに思い至るべきだったわ。でも、こうなってしまった以上、責任を取らないとその女がわたくしのことを恨み続けるかもしれないものね。わたくしを守るために! その女と結婚したんでしょう……?」

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