24 血の証明
真面目な話、と侯爵は言った。
そして、それは当然謝罪の話だけではない。ブリアナの生家である子爵家のこと、養子に迎えてくれるという伯爵家のこと、キュヴィリエ侯爵家のこと、結婚のこと――内容は多岐にわたった。
中でも驚いたのは、血の証明ができるという点についてだ。
シャーロットの出生届を提出するという話になった時、ブリアナの中で不安が膨らんだ。
見事な金髪に深い緑色の瞳。
幼い頃のアシェルに瓜二つだとうシャーロットは、どこからどう見てもキュヴィリエ侯爵家の血を継いでいるが、結局は外で生まれた子なのだ。
「受理してもらえるかしら……」
重々しくそう言ったブリアナに、アシェルは目を瞬かせると、「ああ、そうか」と納得したように頷いた。
「君が国を出たあと、血の証明ができるようになったから問題ないよ」
「血の証明?」
驚いたブリアナが訊き返す。
「そう。二コラがそういう魔導具を作った」
「……流石……」
学生時代にはすでに「稀代の魔術師」と呼ばれ、大人たちと共に働いていたのは知っていたが、話に聞く限り、この数年は目覚ましい活躍をしているようだ。
半笑いで相槌を打ったブリアナに、アシェルは簡単に説明をする。
「実は、僕のために作ってくれたと言ってもいい」
「……アッシュのため?」
「うん。ほら、学生時代に付き合っていた君は行方不明という扱いになっていたし、王女も結婚が決まったからね。自分で言うのもあれだけど、こう見えて……まあ、一応結婚相手としてはそれなりに、うん」
――結婚相手として人気がある、ということだろう。
ブリアナは心の内で強く同意した。
それはそうだ。名のある侯爵家の次男であるうえに、伯爵位を継いでいて、家族との関係も悪くなく、王族からの覚えもめでたいのである。
加えて言えば、実生活においても真面目で誠実。貴族的な一面がありながらも、差別主義者ではない。
(……考えてみると、本当にすごい人だわ)
改めて、アシェルの立場を理解する。
「それで、かなりの数の釣書が届いたりして。基本的にはすぐに断りを入れていたんだけど、中には結構……過激な人もいたんだよね」
「王女殿下のように?」
「え? あ、いや、流石にそこまでは。でも、厄介なことになりそうな雰囲気はあった。邸に押しかけてきたり、僕が行く先々に現れたり」
「……それ、付き纏いっていうのよ」
呆れたように、ブリアナが言った。完全に引いている顔である。
「それを見ていた二コラが、このままではいつか僕の子を妊娠したと言って、侯爵家に入り込もうとする女性が現れるのではないかと危惧し始めた」
「ええと、犯罪……」
「まあ、本当に妊娠していて、それが僕との子じゃなかったら、家の乗っ取りが疑われる事件だからね。かなりの重罪になる。でも、二コラはそう考えたらしくて、そんなことができないように専用の魔導具を作ると言った」
それで実際に開発してしまったのか。
――あの人、友達思いすぎない? あんな皮肉屋なのに?
一概に感動とも言い切れない複雑な感情を抱いて、ブリアナは頬を引き攣らせた。
「それに、もし実際に血の証明ができるのであれば、国にとっても良いことだから」
「……血を偽ることができなくなる、ということね」
基本的に、貴族とは血でつないでいくものだ。もちろん、そうでない家もあるが、かなり稀な事例と言えるだろう。
しかし、今までは家族間で血のつながりを証明する術がなかった。ということは、出生を偽ることができた、ということである。
もっとも、なにかの拍子に露呈する可能性を考慮すれば、そんな危険を冒すのは、非常に馬鹿げたことではあるけれど。
とはいえ、まったくないことではない。血の証明ができるようになれば、その万が一ですら防げるようになるということだろう。
「そういうわけで、シャーロットが僕の子だと証明するのは簡単だよ」
アシェルはそう言って締め括った。
その後、ブリアナはとある伯爵家の養女として迎え入れられ――なんとすぐにアシェルと籍を入れることになった。
顔合わせの際、人の好さそうな伯爵夫妻は、「せっかく可愛い娘が出来たというのに、すぐに家を出てしまうなんて」と寂しそうに漏らしていた。
夫妻には実子がいない。
長い間子が出来ず、遅くに誕生した唯一の子は、幼い頃に風邪を拗らせてあっさり亡くなってしまったのだそうだ。
――父のような人間のもとには望まれない子が生まれるのに、どうしてこういう人たちのもとにはやって来ないんだろう……。
ブリアナはそんな世界の理不尽さに切なくなった。
「わあ、おひめさま!」
そして、今日はシャーロットの披露目を兼ねた夜会が開催される日である。
先日、無事に出生届が受理され、無事アシェルとブリアナの娘と認められることになったので、それを周知しなければならないというわけだ。
淡いピンク色のドレスを着て、体を揺らすシャーロット。ジュリアによく王子と姫の恋物語を聞かせてもらっていたから、強い憧れを抱いているのだろう。
「ああ、とても似合っているね、ロッテ」
朗らかな声に、ブリアナが振り返る。
準備を終えたらしいアシェルが入ってきたところだった。
流石貴人といった品のある装いで、ブリアナたちに近付いてくる。翡翠色の瞳がブリアナを捉え、わずかに見開かれた。
「あ……」
白皙の美貌がほんのり染まる。
「アッシュ、とても素敵よ」
何を言おうか――アシェルが頭の中でいくつもの褒め台詞を並べ立てているのがわかったので、ブリアナはいち早く口を開いた。
夫になったこの男はたまに口下手になる。こうなるのはブリアナの前だけなのだそうで、口籠るときはだいたい、うまいこと言わなければと考えているのだとか。何を置いてももう傷付けたくないので、慎重にならなければと思っているとも言っていた。本人談である。
「ありがとう。君も……綺麗だよ」
先手を打たれたアシェルが「気を使わせてしまったな」と苦笑する。そして、続けた。
「君をエスコートできる日が来るなんて――まだ、夢のようで……」
言いながら、空を仰ぐ。
目頭を指で押さえる夫を見て、ブリアナは苦笑した。
最近、この人はずっとこんな調子だ。ブリアナと籍を入れ、名実共に夫婦となった時。シャーロットの出生届にサインをした時。ピエラ伯爵令嬢として、娘にドレスを注文した時。ふらりとやって来た第二王子に、迎え入れたばかりの妻が伯爵夫人と呼ばれた時。
事あるごとに泣きそうになっている。
(本当に人が変わったみたいなのよねえ)
だが、嫌いではない。むしろ少し可愛いとすら思っている。
ブリアナは自分も大概だなと肩を竦めた。
「パパ!」
全力疾走で駆け寄ってくる娘を掬うように抱き上げ、アシェルは困ったように微笑んだ。
「『お父さま』だろう、ロッテ」
「あ! おとうさま!」
「そう、よくできました」
シャーロットは今や侯爵家に縁のある伯爵令嬢だ。
言葉遣いも徐々に直していかなければならない。それ以外にも、身に付けなければいけないことは山ほどあるだろう。
それに対して、アシェルは申し訳なさを感じたが、意外にもブリアナはからりとした笑顔で言った。それを支えるために自分たちがいるのだと。
母となったブリアナは強い。
「さあ、行きましょう」
ブリアナはそう言って、アシェルに向かって手を差し出した。
「あの伯爵が、婚約期間を設けずさっさと結婚してしまうとは、驚かせてくれるものです」
「しかもすでに子がいるとか」
「ああ、そんな話でしたな」
「いやあ、前々から少し真面目すぎるのではと思っていたんだが……意外と遊んでいたんでしょう。あのお方も人の子だったのだと、なんだか安心しました」
若い男はこうでなくては、などと好き勝手に噂する招待客たち。「あなた方、ご存知ないの?」そこに、ひとりの女性――彼女もまた招待された客である――が割って入る。
男性陣の会話を遮るのは無礼なこととされているが、どうにも我慢ならなかったようだ。その後ろには、複数の婦人が控えている。
「遊んでいたのではなくて、むしろ純愛ですわ!」
ねえ、皆さん――。
女性が後ろを振り返ると、婦人たちが大きく頷いた。
そして、姦しく喋り立てる。
「わたくしたち、彼女と同じ時期に学園に通っていたのですけれどね、当時からあのお二人は恋仲でしたわよ」
「ええ、閣下を遊び人とはとてもとても」
「誰に対しても優しく、平等で……でも、結局どのご令嬢にも靡きませんでしたし」
「事情があって離れ離れになっていたようですけれど、何年も想い続けてご結婚までされてしまうなんて、これを純愛と言わずなんと言うんです?」
「そもそも、あの頃の閣下も彼女との愛を貫くために、いろんな貴族家の当主に協力を要請していましたから、これはかなり有名なお話ですよ。まさかそれをご存知ないなんて……」
次から次へとまくし立てられ、男性陣はたじろいだ。
こういうときの女性には言い返さないほうがいい。自身の結婚生活で、嫌というほどそれを実感している男性陣だったが、つい反論してしまう。
「だが、相手は子爵令嬢だろう?」
要は立場が違うと言いたいのだろう。それを察したひとりの婦人が「まあ!」と声を上げる。
「ええ、ええ、確かに彼女は子爵令嬢だったかもしれません。とはいえ、試験では毎回のごとく五本の指に入るほどの成績優秀者でしたし、人知れず上位貴族のマナーも学んでいたようですよ。その時点では婚約は結んでおらず――恋人という関係でしかなかったのに!」
「わたくしも聞いたことがあるわ。将来が確定していない恋人のために死に物狂いで努力をするなんて、簡単にできることじゃないわよねえ」
最初に声をかけた婦人がうっとりと頬を染めた瞬間、あたりが静まり返った。本日の主役が入場してくるのだ。
――カツン。
ヒールの音が響く。
次の瞬間、男たちは息を呑んだ。