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23 キュヴィリエ侯爵邸

 馬車が到着する。

 ブリアナにとっては意外なことに、侯爵家の――つまりアシェルの家族と使用人一同は、外で待ち構えていた。ブリアナのほうが圧倒的に立場が下で、そんなことをする必要は一切ないのに、だ。


「あの……」


 窓の外に見えた光景に、ブリアナが困惑の声を上げる。

 アシェルはもう一度「大丈夫」と告げると、再び窓に張りついていたシャーロットを優しく抱き上げ、さっさと出て行ってしまった。

 「あ、待っ……」慌ててその後を追いかける。


「お帰り――僕のお姫さま」


 勢いよく飛び降りようとしたブリアナの前に、手が差し出された。


(……ああ、そうだわ。貴族の女性はひとりで馬車を飛び降りたりしない。ひとりでなんでもかんでもこなすのが当たり前だったから、すっかり忘れてた……)


 中途半端に足を出していたブリアナだったが、気を取り直すように一度咳払いをして、アシェルの手にそっと自分の指を重ねる。咄嗟に取り繕おうとしたのがわかったのだろう。アシェルが白い歯をちらつかせて、悪戯っ子のように笑っていた。


「ママ、おひめさま?」


 一足先に降り立っていたシャーロットが、アシェルの足にしがみつきながら言った。


「そうだよ。ロッテのママは、パパのお姫さまなんだ」


 アシェルが照れもせず答えるので、必死で貴族令嬢らしいすまし顔を作っているブリアナの頬が上気する。


 しかし、そんな二人をじっと見つめていたシャーロットが、


「じゃあ、二コラも王子さまになる?」


 そんなことを言い出すものだから、アシェルはひっくり返りそうになった。――なんだこれは。今朝の話が、早くも現実になろうとしているじゃないか!

 内心では酷く焦りながらも、冷静に見えるように微笑む。


「ならないよ。二コラはね、王子さまじゃなくて魔術師さまだから。王子さまにはならない。絶対」

「何を言ってるんですか」


 「それを言ったらあなただって王子さまじゃないでしょう」とブリアナ。溺愛父らしい反応にブリアナは呆れたが、おかげで肩から力が抜けた。

 そんな三人の耳に、軽やかな笑い声が聞こえてくる。


「楽しそうね」


 あっと思ったときにはもう遅かった。

 キュヴィリエ侯爵夫人――アシェルの母が、ブリアナの目の前にいる。

 一瞬、皮肉を言われたのかと思った。ずっと行方を(くら)ましていた分際で、いったいなにを呑気に笑っているのかと。

 しかし、どぎまぎして侯爵夫人の顔を見た瞬間、それは違うと気付く。


「侯爵夫人……」

「お義母(かあ)さまと呼んでちょうだい」

「え?」

「もうすぐ家族になるのだから、私のことは『お義母(かあ)さま』と。長旅、疲れたでしょう。その……シャーロットも。こんなに小さな体で何日も……とにかく中に入ってゆっくりしたらいいわ。お紅茶は何が好きかしら。あなたたちが来ると知って、いろんなフレーバーを用意したのだけ――」

「距離の詰め方が急すぎます、母上」


 押しが強い。

 手を握り締める勢いで迫ってくる侯爵夫人に、ブリアナは目を白黒させた。少なくとも、記憶の中にある侯爵夫人とはまるで様子が違う。

 昔はもっといかにも厳しそうな風貌で、その取っつきにくさから、挨拶以外にはほとんど会話らしい会話をしたことがなかったのだが。


「あら、そうね。ごめんなさい」


 息子に(たしな)められて、ほほほ、と侯爵夫人は上品に微笑んだ。その後ろから、キュヴィリエ侯爵と、アシェルの実兄にあたる次期侯爵が進み出てくる。


「ブリアナ嬢、よく来てくれた。……大変だっただろう」


 それはほとんど不意打ちのようなものだった。


「え、あ」


 深みのある声で労わられて、そんなことはないと流そうとしたブリアナだったが、口を開いた途端、喉に熱いものが込み上げてきた。何か言わなければ――そう焦るブリアナの手を、アシェルの手がやんわりと包み込む。


「いえ、ありがとう、ございます」


 なんとか笑みらしい表情を作り出してはみたものの、成功したかはわからない。ただ、そんな混乱した頭の中でも、侯爵家の人たちが自分と娘を受け入れようとしてくれているのは、十分に伝わってきたのだった。





 ――ふわり。

 淡い色のドレスが(ひるがえ)る。


「まあ……まあ、まあ、まあ!」


 侯爵夫人が興奮した面持ちで手を叩いた。


「なんて可愛らしいの! 天使だわ! もしかして、天使さまがうっかり迷子になって、地上に落ちてきてしまったのかしら?」

「おばあさま、これはなあに?」

「それは髪飾りね。貸してみなさい。私が付けてあげましょう。……あまり上手ではないけれど」


 侯爵家に用意されていたドレスに身を包み、まるでお姫さまになったようだとはしゃぐシャーロット。それを手放しで褒める侯爵夫人。

 二人はすでに意気投合したようだ。


「……母は、実は娘が欲しかったらしい」


 だからこの家に君たちを迎えることができてうれしいんだろう、とアシェルが苦笑する。


「あ、ありがたいことです」

「まあ、正確なサイズはわからなかったから、あの年頃の子が着られる一般的な大きさのものを取り寄せることしかできなかったが。また今度、シャーロットに合ったものを注文しよう」


 二人を見ていた侯爵までそんなことを言うので、ブリアナは「いえ、そんな!」と悲鳴じみた声を上げてしまった。こんなときばかりは、無邪気にこの状況を楽しめる娘が羨ましい。

 ――ああ、あのドレス、いくらしたのかしら? あんなに動き回って、汚してしまったらどうしよう! せっかくの紅茶の味もわからないわ!

 ブリアナはそんなことばかり考えているのに。


「うん、確かに可愛いなあ」


 アシェルの兄が口元を綻ばせる。いつの間にかこちらも陥落していた。

 子どもってすごいわ、と感心しつつ、もはや無味無臭に思えてきた紅茶で喉を潤す。


「よし、真面目な話は先にしてしまおう」


 やがて、侯爵が(おごそ)かに切り出した。深緑を思わせる翡翠色の瞳が、アシェルとブリアナを交互に見つめる。

 思わず背筋を伸ばしたが、アシェルは変わらぬ様子で微笑んでいる。


「まず、侯爵家がブリアナ嬢――君にした仕打ちは、許されるべきことではない。申し訳なかった」


 深々と下げられた頭に、ブリアナは息を呑んだ。

 しかし、状況を理解した瞬間、考えるよりもまず立ち上がっていた。鈍い音が鳴り、テーブルに膝を打ち付けたような気もする。

 「ブリアナ!?」アシェルが驚きの声を上げるが、ブリアナはあわあわと言葉を発した。


「おやめください! 侯爵家の方々に何かをされた記憶はありません。彼とわたしの問題……というのは烏滸(おこ)がましいかもしれませんが、大きくすれ違った結果というか、あの、わたしが弱かったから、逃げ出すしかなかったというのもありますし……」


 途中からは、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。勢いをなくし、尻すぼみになっていく。

 侯爵は顔を上げ、目尻に皺を寄せた。


「いや、王女のことはもっとやりようがあった。王女のあの様子を見れば、穏便にと考えたところからして間違っていたのだろう」


 事ここに至るまで、一切反省する様子が見受けられない、と侯爵が吐き捨てるように言う。ブリアナは首を振った。アシェルに手を引かれ、再び腰を戻す。


「我々がもっと早い段階で強く出ていたら、今とは状況が違ったはずだ。後ろ盾のない女性が、身ひとつで国を出て、子を産み育て、生活していくことがどれほど大変か……許してくれとは言わないが、謝罪させてほしい」


 ――あり得ない。

 ブリアナは眩暈(めまい)を覚えた。


(倒れそうだわ……!)


 ()()()()()()()に、頭がくらくらしてくる。

 本来、彼らは謝罪する側の人間ではないはずだ。いや、必要であればすることもあるだろう。しかし、少なくとも()()()()()()()()()

 貴族令嬢としてすら立場が弱い女のことなど、気にする意味はないのだから。


「父上、それぐらいに。ブリアナ嬢が困っているでしょう」


 泡を食ったように視線を泳がせるブリアナを見かねたのか、アシェルの兄が間に入ってくる。


 それに安堵したのも束の間、


「だが、一度だけ私からも謝罪を」


 そう言ってやはり頭を下げられたために、ブリアナはいよいよ気絶しそうになり、息も絶え絶えに「おやめください……」と懇願する羽目になった。

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