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01 夜の邂逅

「ママ、これ、どうしたの?」


 それから数日後、シャーロットはすっかり回復した。


「これ? あなたが元気になってうれしいから、たまには贅沢しようと思って」


 ブリアナが片腕に抱えた紙袋を見て、シャーロットが不思議そうに首を傾げる。そのきょとんとした愛らしい顔に、ブリアナは微笑んだ。


「ぜいたく?」

「お肉よ、お肉。好きでしょう?」

「本当!? 今日のごはんはお肉!?」

「ええ、シチューにしましょう」


 娘の小さな手を握りしめ、ブリアナは本日の献立を考える。


(お肉なんて、いつぶりかしら)


 もしかしたら、昨年のシャーロットの誕生日以来かもしれない。

 経済的に困窮しているブリアナにとっては、庶民が食べる硬い肉でさえ高級品も同然だった。

 ジュリアは酒場の余りものをよく持ってきてくれるが、ブリアナがあまりにも恐縮するので、ミルクや黒パン、粥類などが主だった。

 本日の夕飯は、よく煮込んだシチューと黒パンである。


(本当ならこの子は……)


 さして美味しくもないシチューで喜ぶ娘にブリアナは切なくなったが、しかしそれもほんの一瞬のことで、いつまでも過去にしがみついているなんてみっともないと思い直した。

 シャーロットという宝物を産んで四年。――もう少しで五年になる。

 それを後悔したことは一度もない。

 だが、時折どうしても考えてしまうのだ。

 自分の選択によっては、もっと良い生活をさせてあげられたのではないだろうかと。少なくとも、飢えさせることも寒さに震えさせることもなかったはずだ。


(いいえ、わたしはわかっているはず。わたしがどんな行動を取ろうと、結果は今とそう変わらなかっただろうと。あのときのわたしは、無力な子どもにしか過ぎなかったのだから)


 そんな母の複雑な心境を察したのだろう。

 「ママ!」と明るい声を上げたシャーロットが、ブリアナとつないでいないほうの手を宙に掲げる。

 ――止める間もなかった。

 その手のひらの上に、ポッと明かりが灯ったのだ。


「シャーロット!」


 ブリアナは咄嗟にその手を掴み、下ろさせる。そして、慌ててあたりを見回して、人気(ひとけ)がないことを確認すると、ほう、と息を吐き出した。


「……ロッテ」


 母親の悲鳴に驚く娘の前にしゃがみ込み、ブリアナは視線を合わせる。


「怒鳴ってごめんなさい。ママがしょんぼりしているから、元気付けようとしてくれたのよね。ありがとう、とってもうれしいわ」

「……ママ、怒った?」

「違うわ! ただね、その力は……ママの宝物だから、ママにだけ見せてほしいわ」

「ママの、たからもの……」

「そうよ。ママの大事な大事な宝物」

「……わかった!」


 ブリアナは「ありがとう」と娘の小さな背中を抱き寄せた。

 心臓が早鐘を打ち、緊張に呼吸が浅くなる。――大丈夫。見られていない。誰にも気付かれていない。

 この力は、決して誰にも知られてはいけないものだ。


 だって、これは魔力がないと使えないもので。

 貴族の――それも一部の人間にしか受け継がれない希少な力なのだから。





「ジュリアちゃんだ!」


 シャーロットがブリアナの手を振りほどくようにして走り出す。ちょうどふたりの家を訪ねてきていたらしいジュリアは、こちらを振り返ると笑みを浮かべて手を振った。


「ジュリアさん、こんばんは。今帰りました」

「おかえりなさい、二人とも」


 衝突するように足に抱き着いてくるシャーロットを受け止めながら、ジュリアは少し迷うような素振りを見せる。基本的にはいつでもきっぱりしているジュリアらしくない様子に、ブリアナは鍵を取り出しながら微笑みかけた。


「ロッテ、先に中に入っていてくれる?」

「え、でもジュリアちゃん……」

「ジュリアちゃんは、ママとお話があるみたい」

「……うん」


 ドアを開けると、シャーロットは母親と()()()()()()()を気にしつつ中に吸い込まれていった。そんなシャーロットの後ろ姿を見て、ジュリアは目を細める。


「……大きくなったわね、ロッテも」


 子どもの成長は一瞬だ。

 ブリアナがここにたどり着いたとき、シャーロットはまだ乳飲み子だった。それがいまや、歩くだけでなく軽快に走り、そのうえ簡単なことなら意思の疎通までできるのだ。

 シャーロットに父親はいないが、初めて「ママ」と言ったとき、初めて歩いたとき―― 一緒に喜んでくれたのはジュリアだった。

 ジュリアが感慨深げに言うので、ブリアナも「ええ」と素直に頷く。

 しかし、それが本題でないとわかっていた。


「……ジュリアさん、なにかあった? わたしかシャーロットが……なにかしてしまったとか」


 普段のジュリアは闊達(かったつ)な人なので、そんなジュリアが言いづらそうにするとなれば、無意識のうちにブリアナかシャーロットが粗相をしたとしか考えられない。

 不安そうに訊ねるブリアナに、ジュリアははっとした表情を浮かべた。


「あ、違う違う! むしろ、やっちゃったかもしれないのは、あたしのほう」

「ジュリアさんが……?」

「そう。実は今日、この家の前をうろつく男の人がいたのよ。それで、これは怪しいと思って声をかけてみたわけ」


 吹っ切れたように話し出すジュリアだが、怪しいと感じたのであれば、自ら声をかける前に自警団を呼ぶべきではないかとブリアナは思った。

 そんなジュリアに「まあ、ジュリアさんらしいといえばジュリアさんらしいのだけど」と苦笑しつつ、ブリアナは「それで、どうだったの?」と訊ねる。ジュリアは、申し訳なさそうに眉を垂らした。


「あなたを探していたみたい」

「……わたしを?」


 そんなはずはない――そう言おうとして、口を噤む。

 嫌な予感がしたからだ。


 そもそも、ブリアナがこの国に来たのだって五、六年前の話。まだ乳飲み子だったシャーロットを抱えて王都に辿り着いたのは、四年ほど前のことである。

 以降、ブリアナは職場と家を往復するばかりで、交友関係を無理に広げようとはしなかった。そんなブリアナがプライベートで親しくしている人間といえば、いろいろとお世話になっているジュリアぐらいのものだ。


 つまり、自分を名指しで探しているとすれば、それは――。


「それはどんな……人だった?」


 ブリアナの顔は、すっかり血の気を失っていた。

 その顔色は、ともすれば暗闇の中で浮き上がってきそうなほどの青白さである。


「そうね……見事な金髪(ブロンドヘア)で、翡翠色の瞳をしていたかしら。話し方からしても、とても高貴な人――うーん、あたしはそもそも高貴な身分の方なんて会ったことないんだけど、そんなあたしでもわかるぐらい上品な雰囲気だったわ」

「……男性で、右目の下に黒子(ほくろ)がある?」

「……心当たりがあるの?」


 驚いたように目を瞠るジュリアに、ブリアナはわずかに口元を慄かせた。――知り合いなの? あんな人と?

 ジュリアはそう言いたいのだ。


 それは当然だった。


 その予感が正しければ、ブリアナたちのような庶民が知り合いであるはずはないような身分の人間なのだから。


(まさか。どうやってここを……?)


 挨拶もそこそこに慌てて家の中に戻ろうとしたブリアナは、ふと人の気配を感じて辺りを見回した。


「――ブリアナ……」


 そこには、自分よりもさらに真っ白な顔をした男性が立っていた。


 ジュリアと接触し、ブリアナがいないと知って、帰宅するのを待っていたのだろう。こうして見てみれば、確かに道端を普通に歩いているにしてはやや違和感のある上品な佇まいだ。

 それもそのはず。


 彼は、隣国の侯爵令息――いや、おそらくもう父親の持っていた伯爵位を継いでいる人間なのである。

 今さら隠そうとしたところで、すでに気付かれている。ブリアナはそう考え、半ば反射的に跪いた。


「え、ブリアナ? ちょっ……」

「ジュリアさん。彼は隣国の貴族です」

「ええっ……!?」


 ジュリアは目を白黒させて、しかしすぐにブリアナに倣って膝を付く。平民から貴族への無礼は、「知らなかった」で済まない罪なのだ。

 相手(貴族)が不快に感じれば、本人(平民)に自覚があろうがなかろうが、私情で斬り捨てることが許されている。正確には、国家権力が見て見ぬ振りをするというだけのことであるが――そのあたりは、ルヴラン(この国)ラポワ(祖国)も変わらない。

 それも、侯爵家所縁(ゆかり)の人間の気分を損ねれば、国際問題にも発展しかねないのである。


「ブリアナ、やめてくれ」


 平身低頭して地面に這いつくばるブリアナは、どこにでもいるような平民。青年がその肩を掴み体を起こさせると、最後に会ったときよりもずっと(やつ)れた女性がいた。

 自分の知っている髪の毛の色もしていない。

 無論、瞳の色も。

 だが、自分が彼女の姿を見間違えるわけはない。ただの庶民が隣国の貴族であると一目で見抜いたのだから、その考えは間違っていないだろう。


「……会いたかった」


 口をついて出たその言葉に、自分の今の気持ちを改めて自覚し、思わずその華奢な肩を抱き寄せようとしたが、ブリアナの薄く開かれた唇の間から零れ落ちたのは、か細い「おやめください」という拒絶の声だった。

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