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17 愛しいところ

「大丈夫だよ」


 柔らかい声で、アシェルが言う。


「意外かもしれないけど、ニコラには幼い異母妹(いもうと)がいる。たぶん、シャーロットとそう歳も離れていないんじゃないかな」

「……そうなのね」

「それに、君はやっぱりあの女性に近くにいるべきじゃないと思う。彼女が君を嫌っている自覚があるなら、なおさら。……思い通りにならなかったとき、シャーロットに危害を加えられるかもしれないだろう?」


 ブリアナは苦悶の声を上げた。

 ――正論だ。

 まだ何もしていないのに疑われるアルマは憐れだが、実際、二人は母国(ラポワ)で、そのような例をいくつか見てきた。

 こういうのは、色恋が絡むと殊更(ことさら)厄介なことになりがちだ。

 アシェルに相手にされなかったアルマが、ブリアナへの嫌悪感も相まって、シャーロットを傷付けないとは言い切れない。


「……殿下やニコラさまは、あなたに子がいることは?」


 念のための質問だったが、アシェルは当然のように「伝えていないよ」と答えた。


「まさか。本当に?」


 ブリアナは半笑いで訊き返す。


「もちろん。君が侯爵家の人間にシャーロットのことを知られたくないと思っているのは、わかっている。殿下に気付かれても同じことだろう。……陛下経由で、うちの両親に伝わる可能性があるからね」

「アッシュ……」


 気を使ってくれているのだろう。あるいは、誠実であることを示そうとしているのかもしれない。

 最終決定権はあくまでもブリアナにあるというように、アシェルは言った。


「君が嫌だと感じるなら……別の方法を考える。信じてくれとは言わないし、言えない。でも、君の悪いようにはしない。絶対に」


 狭いテーブルをひとつ挟んだその向こうから、力強い眼差しが向けられる。


「……そう、ね」


 ブリアナは、重ねられたアシェルの手をじっと見つめた。――正直、何が正解かはわからない。シャーロットにとって、何がいいのかも。

 母国(ラポワ)を出ることにしたのは、実家のことも関係しているが、それ以上に、侯爵家の人間が子どもの存在を知ったとき、どのような反応をするかわからなかったからというのが大きい。取り上げられるか、始末されるか。王女のことを鑑みると、消される確率のほうが高いように思えた。

 いろいろ想像を働かせてみたものの、自分と子が一緒にいる未来だけは思い描けなかったのだ。

 ブリアナはしばし考え込んだあと、意を決して訊いてみることにした。曖昧な点が多いのは百も承知で。


「ねえ、もし……もしもとして考えてくれていいんだけど、あなたのご家族がシャーロットのことを知ったら、どんな反応をすると思う?」


 厳しくて、貴族らしい人たち。

 それが、アシェルの家族に対するブリアナの印象だ。婚約を許してくれていたらしいとは聞いたが、子がいるとなると話は別だろう。

 邪険にされる――ぐらいなら、まだいいと思う。

 拒絶されるのも理解できる。

 最悪なのは、母親と引き離したうえで、侯爵家で育てると言われた場合。あるいは、母子共々排除の方向に舵を切られた場合だ。

 しかも、前者のようなことが起きた場合は、侯爵家で育ったほうがシャーロットの幸せにつながることもあるので、きっとブリアナは強く出られない。

 悶々と可能性について考えていたブリアナの耳に、再び「大丈夫」と柔らかい声が流れ込んでくる。

 はっと我に返ると、労りの色を滲ませた瞳が、ブリアナを見つめていた。


「両親は喜んでくれる。言い切れるよ」

「でも……」

「本人たちがここにいるわけじゃないから、君にとっては信じづらいことだと思う。でも、君を僕が見つけたことを知ったら、踊り出すぐらいはしゃぎ回るんじゃないかな」

「……ええ?」


 冗談か、と聞き流そうと思ったが、優しげな表情は変わらない。すべてを包み込むような眼差しに、ブリアナは視線を泳がせた。

 子どもを守らなければと、ずっとひとりで気を張って生きていたので、どうにもむず痒さを感じてしまう。


「君がいなくなってから、ずっと君を捜していた」

「……そう、ね。聞いたわ」

「うん。その間、ずっと両親が手助けしてくれていたんだ」

「……え?」

「本当なら仕事だって辞めてしまいたくて、持てる時間すべてつぎ込んで君を捜しに行きたかった」

「それは……」


 ――いくらなんでも駄目だろう。

 そんな心の声が伝わったのか、アシェルは苦笑した。


「そう、実際にはそんなことできるわけもない。情けないことに、君のことを考えていたら、仕事に集中できなくなって……見かねた両親が、侯爵家を挙げて捜索に協力すると申し出てくれたんだ。それで、話を聞いてみると、君が失踪した時点で捜し始めていたらしい」

「そうなの?」

「君にね、悪いことしたって」

「私に……」

「父上と陛下は友人でもあるから。王女のことをもっときっぱり断れば、君がここまで苦しむことにはならなかったんじゃないかって言っていたよ。友人として、それは違うだろうと強く言うこともできたのに、娘を溺愛する陛下との関係が崩れるのを恐れて、及び腰になってしまった。周りから固めたほうがいいと思ってしまったって」

「それは当然のことだわ」


 友人とはいうが、侯爵家の当主と国の頂点に君臨する唯一の人なのだ。どうしたって対等な関係にはなれないし、家門を守る義務のある当主にとって、国王を相手取るのは損でしかないだろう。

 侯爵家の人たちが正しい。至極まっとうな意見だ。


「でも、あの人たち――ブリアナを僕の奥さんに迎えるの、とても楽しみにしていたんだよ」


 「え……」掠れた声が漏れた。

 ブリアナが目を(みは)ると、アシェルは小さく頷いた。


「学園でも常に上位の成績。それでも(おご)らない努力家な一面。公爵夫人直々に声がかかる交友関係の広さと、人当たりの良さ。気はちょっと弱かった……かもしれないけど、違うとはっきり自信を持てるところでは、自分の意見を曲げない心根の強さ」


 突然始まったべた褒めに、ブリアナは、あ、う、と言葉にならない声を絞り出した。


「君は勉強が好きな人だから、家では大変な思いをしていただろうに、貴族令嬢としての嗜みは完璧に身に付けていたね。僕のためにと、上位貴族のマナーも調べてくれていただろう」

「あ……」

「夜会で見かける君は令嬢らしく微笑んでいて、まあ、それもよかったけど、友人と話しているときのちょっぴりあどけない笑顔も好きだった」


 ――なんだろう。話がずれてきたような気がする。

 顔に熱が集まっていくのを感じながらも、アシェルの口を塞ぐようなことはしなかった。もっと聞いてみたい、と思ってしまったのかもしれない。


「向かい合って話しているとき、オニキスみたいなその瞳に見つめられると、世界で君と二人だけになったような気がした。人目(ひとめ)につかないところでは、大口を開けて笑うのも……見ているだけで、幸せな気分になれたよ。人に気を使うのに、気を使われるのは苦手で、常に先回りしてしまう困ったところも愛しいと思っていた。人が好きなのに、長時間誰かと一緒にいるとちょっと疲れてしまうところも」


 そうか、とブリアナは笑った。

 吹き出すように肩を揺らしたので、アシェルがきょとんと目を瞬かせる。


「……ありがとう、アッシュ」


 当時、アシェルは積極的に自分の気持ちを口に出す人ではなかった。この数年の間に変わったのだろう。

 良くも悪くも、ブリアナだって変わってしまった。

 だが、思い出した。思い出させてくれたのだ。

 王女のおかげで苦しんだし、しなくてよかったはずの苦労もさせられたけれど、確かにあれは幸せな日々だったのだと。


「え? あ、うん……いや、そうじゃなくて!」


 目尻に涙を浮かべてさえいるブリアナに、アシェルが慌てて話を戻す。


「つまり、両親は君を絶対に歓迎するだろうってこと。そんな君の娘であるシャーロットも」


 うん、うん、とブリアナは頷いた。


「――だって、君は君自身で、自分の価値を証明してみせたんだから」


 重ねられた手をそっと(ほど)く。アシェルは絶望的な表情を浮かべたが、しかしそれはすぐに、驚愕の色に塗り替わった。

 ブリアナが手を握り返したからだ。


「ブリ……」

「いいわ。承諾してくれればの話だけれど、ニコラさまに頼んでみましょう。その結果、あなたのご家族に知られてしまっても構わない」


 貴族令嬢だった当時よりも、ずっと硬くなったブリアナの手のひら。

 母ひとり子ひとりでやってきたその苦労を思って、アシェルは泣き出したいような気分になったのだった。

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