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16 黒

 珍しい――。

 そんなことは思わなかった。

 ブリアナはそれよりもまず、警戒心を抱いた。咄嗟に娘に視線を走らせる。困惑しているということ以外、変わった様子はない。

 そのことにまず安堵して、次いでアルマに事情を聴こうとしたが――。


「アシェルさん!」


 その前に、アルマの視界にはシャーロットもブリアナも入っていないようだった。「アルマさん……」

 二人の背後から様子を窺っていたジュリアが、声を震わせる。


(……アシェル()()


 ブリアナもぎょっとした。

 存在を無視されたことはどうでもいい。「冷たく突き放されたばかりなのに強いわ」と感心もしたが、それもどうだっていい。

 貴族であるアシェルを、名前で呼んだことに衝撃を受けたのだ。

 先ほど、アシェルのことを「高貴な人」と言っていたから、彼が貴族であることを知らないというわけではないだろう。


「話し合いは終わったんですか? シャーロットちゃん、良い子にして待ってましたよ」


 なるほど――いや、なるほどではない。

 接客業を生業(なりわい)にしているというだけあって、案外、的を射た戦略である。自分だけではまともに取り合ってもらえないので、娘を出しに使うことにしたのだろう。

 ただ、そうだというのなら詰めが甘い。


「ああ、助かった。シャーロット、帰ろう」


 遊んでいたというには、いささかシャーロットの表情が硬いし、仮にシャーロットが人見知りをしていたのだとしても、母親の存在は(はな)から無視。

 それどころか、何を思ったか、ブリアナを一瞥して鼻で嗤った。当然、アシェルもそのことに気がついている。


「アシェルさん、あの――」

「君に名を呼ぶ許可など与えていないが?」

「……え?」


 ぴしゃりと言われて、アルマはその美しい顔に驚愕の色を滲ませた。瞳の奥に、何を言われているかわからないという混乱が見て取れる。


「え、あの、アシェルさん……」

「シャーロットの面倒を見てくれたというのなら、それには感謝する。ただ、名を呼ぶ許可は与えていない。気をつけてほしい」


 拒絶の姿勢を崩さず、アシェルは硬い表情で言い放った。


「……でも」


 アルマは諦めない。

 正確には引き下がれない――引き下がりたくないといった雰囲気だった。

 しかし、確実に勢いは消失していた。

 幼いころより、酒場の常連客たちから持て囃され続けてきたアルマは、まさか自分を歯牙にもかけない男がいるなどと思いもしなかったのだ。もっとも、今までは自分に気のある男とばかり付き合ってきたというだけの話だが。

 アルマの存在はすでに、アシェルの意識の外に追いやられていた。

 怖がらせないよう小さく笑みを浮かべ、シャーロットに向かって手を差し出す。その上に、ぎこちない動きで小さな手が重ねられた。

 ブリアナの目の前で、丸まった背中が小刻みに揺れている。


(これは――感動に打ち震えている)


 再会して数日しか経っていないが、この反応にはすでに見覚えがあった。


「帰ろう、シャーロット」


 父親の「帰ろう」に、シャーロットの顔がぱっと華やぐ。抱き締め合う二人の父子(おやこ)を、ブリアナは複雑な気持ちで見つめていた。





 ――コトン。

 ブリアナはアシェルの前にカップを差し出した。「ありがとう」と礼を告げたアシェルは、視線を落とし、顔を曇らせる。しかし、物言いたげな表情を浮かべるだけで、何も言わない。


(……紅茶なんてうちにはないのよ。ミルクで我慢してちょうだいね)


 しばらくカップの中身を見つめていたアシェルだったが、少しして、ベッドで気持ちよさそうに寝息を立てるシャーロットに顔を向けた。


「……明日もあの酒場に?」


 テーブルを挟み、ブリアナも腰を下ろす。自分には、普段はシャーロット用にしているカップを使うことにした。


「ああ、明日は教会のほうにお世話になるつもり」

「……そう」


 手元を睨みつけたまま、アシェルは小難しげな表情を浮かべる。ただ、考え込んでいるという感じではなかった。

 二人の間に沈黙が落ちる。


「それがどうかしたの?」


 堪らず訊ねると、アシェルは弾けるように顔を上げた。


「ごめん。……そしたら、お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。たぶん、君は嫌だって言うと思う。ものすごく怒るかもしれない。僕を今すぐこの場から叩き出したいって、二度と会いたくないって思うかも――」

「ええと、まず先になんなのか話してもらえる?」


 ――この人、本格的にどうしちゃったの? 罪悪感でおかしくなってしまったとか?

 ブリアナの頭の中に疑問符が並ぶ。

 やたら保身めいた言葉を重ねてくるアシェルは、不安そうに、けれどもしっかりと言葉を紡いだ。


「三日後以降は、城でシャーロットを預からせてもらえないかな……」


 次に硬直したのはブリアナのほうである。


「しろ……しろ……?」


 ――『しろ』ってなんだったかしら?

 頭が理解することを拒否している。

 文字列は頭の中に並ぶのに、単語の意味がすり抜けていく。アシェルの突拍子もない提案は、それほどまでに強い衝撃をもたらした。


「城だよ、ブリアナ」

「ご、丁寧にどうも……」


 まるで幼子(おさなご)に言い聞かせるようなアシェルの言葉に、「いや、それは知っている」と心の中で言い返す。しかし、混乱はどうにもならなかった。

 何を提案されたのか。

 徐々に現実が伴ってはきたが、やはり理解はできなかった。ブリアナは一度咳払いをして、次に何か言われる前にと口を開いた。


「それってつまり、王宮のことよね。……駄目でしょう、普通に考えて」

「なんで?」

「なんで、じゃなくて。シャーロットを王宮に行かせてどうするの? 迷惑でしょう」

「迷惑なんかじゃ……」

「迷惑かどうかは、あなたが決めることじゃないのよ。あなただって仕事があるし、四六時中一緒にいられるわけじゃないんだから」


 ブリアナは「どうしちゃったのよ!」と叫びたい気持ちでいっぱいだった。少なくとも、別れる前まではもう少ししっかりした人だったはずだ。――へろへろ。そう、へろへろになってしまっている。これはいったいどういうことか。

 対するアシェルも、ブリアナの毅然とした態度に少々面食らっていた。アシェルの知っているブリアナは、意見があっても遠回しに言うか、申し訳なさそうにするかのどちらかだったので。


「それに――」

「でも、あの女性……君のことを良く思っていないみたいだったから」


 さらに言い募ろうとしたブリアナは、うぐ、と言葉を詰まらせた。アシェルが言ったのは、まごうことなき事実である。

 といっても、これは別に珍しいことではない。

 排他的な側面が強いこの国において、異邦人を遠ざけたがる人などそこら中にいる。ブリアナがこの国で暮らし始めて五、六年が経つが、目鼻立ちの違いで異邦人だとすぐにわかるので、何度も差別的な扱いを受けてきた。


 だからかもしれない。


「それは、わたしが外の人間だからね」


 思わず、愚痴じみたことを零してしまったのは。


「それだけで?」


 アシェルは驚いたように言うが、すぐにこの国の性質を思い出したらしい。神妙な顔つきで小さく唸る。喉から絞り出したような声だった。しかし、再び「あれ」と首を捻る。


「でも、魔術で()を変えているのはそのためじゃ……?」


 もっともな疑問に、ブリアナは首肯した。


「ええ、そうね。でも、正確にはわたしの色が()()()()変えているの」

「……黒だから?」

「これはあんまり他国では有名じゃないみたいで、わたしもこの国に来てから知ったんだけど、この国では黒って不吉な色なんですって」


 顔のつくりだけで気付かれてしまうのに、悪あがきのように髪の毛と瞳の色を変えていたのはこれが理由だ。

 黒は不吉な何かを呼び寄せる色。

 最初のころは、なるべく人目(ひとめ)につかないところに落ち着きたいからと辺鄙(へんぴ)な場所を選んで、()だというだけで散々な目に遭ったりもした。

 その後、田舎に行けば行くほど差別感情が強いことに気がつき、仕事を求めて王都まで流れ着いたのである。シャーロットはその途中に出産した。


(あのときは死ぬかと思ったわ……)


 当時のことを思い出して、ブリアナは遠い目をする。


「ブリアナ!」


 感傷に浸っていると、突然アシェルが叫んだ。


「ちょっと!」


 反射的に言い返してから、慌ててシャーロットの様子を窺う。アシェルははっとしたように息を潜め、まるで囁くような音量で「ごめん、ブリアナ」と言った。極端な男だ。

 昔とは本当に別人のようだ、と思いながら、ブリアナは「なあに」と柔らかく訊き返した。


「あの、こちらの国の王太子殿下にはちゃんと許可を取るよ。もちろんだけど」


 今度は何を――と思ったが、どうやら話を戻したらしいことに、ブリアナは気がついた。


「でも、日中、シャーロットを見てくれる人なんていないでしょう。ある程度はひとりにしても大丈夫だけれど、たまには様子を見に行ってもらわないと」

「調整する」

「……調整って」

「いや、本当に。どうにかする。たぶん、ニコラに頼めば大丈夫だと思う」

「ニコラさま?」

「僕含め、外交官は基本的に忙しいけどね、ニコラの仕事は魔導具の管理が主だから、やることがなくて暇だと嘆いていたくらいだよ」

「そうなの? でも……」


 精巧に作られた彫刻のように美しいが、皮肉を言うとき以外滅多に笑わないあの魔術師に、子どもの面倒が見られるとは思えない。

 ブリアナの言いたいことがわかったのだろう。

 悩む素振りを見せるブリアナに、アシェルがそっと手を伸ばす。カップを包み込む手に被せられたそれは、酷く冷たかった。

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