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12 愛情のつもりだった

 貴族の家に生まれた子の婚姻は、家同士の問題に直結するので、平民のそれに比べるとはるかにややこしい事態になりがちだ。平民でもそういったことは多々あるが、規模が違う。

 二人の婚約に、周囲の理解は必要不可欠だった。


「両親は、割と早い段階で許可してくれた」


 その言葉に、ブリアナは目を瞬かせる。

 意外だった。

 ()()()()()()貴族らしい人たちなので、侯爵家に(えき)のある家か、下位貴族でももう少し力のある家の令嬢を選ぶと思っていた。

 すっかり母親らしくなったブリアナのあどけない表情に、アシェルは薄く微笑んだ。


「それだけ君が優秀だったということだよ。僕と一緒にいるために頑張っていてくれたことは……わかっている。それに、君はご婦人方からの評判も良かったんだよ。知らなかった?」


 ――そうなのか。

 知らなかった。


 貴族の噂話は、ただの噂話と侮れないところがある。

 自分の評判も、目の届く範囲では極力気にするようにしていたが、今となってはもう、実際にどうだったのかなど気にかけることもなかった。

 ブリアナが戸惑い気味に首を振るのを見てから、アシェルは話を続けた。


「それと、第二王子殿下だね。殿下はずっと僕に協力してくれていた」

「……殿下が」

「あのお方は、君のことも気に入っているから」


 王太子のスペアとされている第二王子だが、兄が優秀で、病気ひとつしたこともないほど健康だったことから、王族としては珍しいほどに自由な気質の人だった。本人は「小さいころから我を通してきたら、許されるようになった」と言っていたが。

 そんな第二王子は、「遊び」だと言って、時折アシェルやニコラを訪ねて学園までやって来た。その際、ブリアナとも顔見知りになったのだ。

 下位貴族の令嬢であるブリアナとも言葉を交わしてくれる、気さくな人物。それが、第二王子に対するブリアナの印象だった。

 ただ、伏魔殿(ふくまでん)をのらりくらり生き抜いてきた人だ。王族らしい冷酷さと判断力も併せ持っている。


「それは……ありがたいことです」


 どう返せばいいかわからず、ブリアナは曖昧な受け答えをするにとどめた。

 アシェルは「うん」とひとつ頷いて、再び口を開く。


「僕は、どんな手を使っても君と婚約――結婚するつもりだった。君がこんなことを信じられるとは思わないけれど、本当に」

「え……」

「でも、()()()()が現れた。彼女は、たいていのことは父親(陛下)に頼めばどうにかなると思っているし、実際そうなってきた。これには、王太子殿下も第二王子殿下も昔から頭を悩ませていてね。第二王子殿下は、さっさと国から出してほしいが、他国で下手に権力を持たせると絶対に良いことにはならないから、もう幽閉でもしてしまえと常々言っていたよ」


 過激な発想に、ブリアナは息を詰めた。

 アシェルが冗談を言っているようには見えない。

 普段、関わりのないブリアナが知らないだけで――いや、そんなブリアナが王女の暴力沙汰を知っているのだからなおさら――内輪ではさらなる問題行動を取っていたのだろう。


「それが、王太子殿下の場合は、僕と結婚させて手綱を握らせようと思ったみたいだね。まあ、王太子殿下だけじゃなく、結構な数の貴族家がそう思っていたようだけど」


 それもひとつの方法ではある。

 格式高い侯爵家なら、王女の相手としてまったく不足はないし、一度降嫁してしまえば、王女であったときほど力を振りかざすこともできない。

 父子(おやこ)という関係であっても、国王と侯爵夫人。溺愛しているとはいえ、政治において極めて優秀な国王が、一線を引かないわけがないのだ。

 ブリアナにとっては、やはりそれが()()に思えた。アシェルと王女なら、年の頃も丁度いい。

 しかし、アシェルは「ただ」と続けた。


「公爵夫人が、君の境遇に酷く同情してくれてね」

「公爵ふじ……あ、ミレーヌさま?」


 フィリドール公爵夫人ミレーヌ・サバティエ。

 下位貴族出身であるブリアナが、何度も言葉を交わしたことがある公爵夫人は、彼女ぐらいのものである。


「そう。君はあの人の名前を呼べるぐらいに親しかった。そうだろう?」

「特別親しかったかは……でも、舞踏会で偶然知り合って以降、公爵(てい)に招待していただくことは何度かありました」


 思い出しながら言うと、アシェルは「普通はそんなことあり得ないんだけどね」と苦笑した。


「つまり、君はとても気に入られていた。先にも言った通り、彼女は君の境遇に酷く同情的だったし、なにより君の努力を評価していた。もともと彼女は貴族社会における女性の権利獲得を推進している人だからね。逆境の中にありながらも、ひたむきに努力してめきめき力を付ける貴族令嬢の存在が、()()()()()()()()()()で無視されることなどあってはならないと言って、協力してくださったんだ」

「ミレーヌさまが……」

「あの人の夫はフィリドール公爵――王弟だろう。国王()が優秀だったのと、閣下自身、無用な争いを好まない性質(たち)だから、早々に王位継承権を放棄して臣籍に降下されたけれど、実際はかなり広い人脈をお持ちだし、そこを少しだけお借りすることにした。というか、まあ、ここらへんは公爵夫人が動いてくださったという感じだけど」

「……ええ」

「そうしているうち、いつの間にか家柄にかかわらず、貴族家の多くが僕に賛同してくれるようになったよ。そうなると、流石(さすが)に王太子殿下もまずいと感じたんだと思う。多くの貴族家が王女の横暴に疑問の声を上げているこの状況で、なおも陛下の()()()を引っ()げて意思を通すようなことをすれば、王女の一言で貴族が無下にされることがあるかもしれないと考える当主は少なくないだろう。王位を継承したときに、貴族家との不必要な軋轢が生まれている状態は、王太子殿下にとっても好ましくない」


 「王太子殿下も協力を約束してくれた」と言って、アシェルは一度間を空けた。

頭の中で、再度話の順序を組み立てようとするが、いざ焦がれていたブリアナを前にすると、やはり無駄な努力に思えた。

 仕事をしているときの半分ほども頭が回らない自分に、アシェルは心の内で苦笑する。


「それで、本当は……」


 ――言おう。

 そう思うのに、口の中が酷く乾燥していて、うまく言葉にならない。

 そんなアシェルの過度な緊張が伝わったのだろう。

 「やっぱり紅茶を……」と、ブリアナが腰を浮かせた。それを「待って、大丈夫!」と引き止めたアシェルは、ややあって、意を決したように口を開く。


「本当はね、この時点で改めて求婚して、婚約者として……ゆくゆくは夫婦としてずっと一緒にいようと、誓うつもりだった」


 真っ直ぐな翡翠の瞳に、ブリアナは息を呑んだ。


「え……?」


 口元が強張り、半笑いの状態でそれを受け止める。


「婚約のこと……本気、だったんですか」


 ブリアナは呆然と呟いた。

 本心から零れ落ちたであろうそれに、アシェルは「そうだよね」と同意を示す。


「伝わっていなくて当然だよ。中途半端な状態で期待させるより、君を迎え入れられる準備が整ってから話したほうがいいと思って、婚約を仄めかして君の意思を確認したきり、僕ひとりで勝手に動いていただけなんだから。忙しくしているうち、いつの間にか『君も同じ気持ちで、わかってくれているはずだ』と勘違いしてしまった」


 第二王子もニコラも、王太子も、そして公爵夫人も。あのころアシェルの周囲にいた人間はすべて、同じ方向に向かって突き進んでいた。

 当然、当事者であるブリアナも()()()()()と、アシェルはそう思ってしまったのだ。置き去りにしたのは、自分自身であるというのに。


「……そんなときに、あの事件が起きた」


 言葉をくしていたブリアナは、続く言葉に再び息を()らした。


「あのときの僕は、完全に浮かれていた。暴力沙汰を起こして――被害を受けた伯爵令嬢には申し訳ないことをしてしまったけれど――数日とはいえ、王女に謹慎が言い渡されたと聞いたとき、この短い間にさっさと婚約話を進めてしまおうと思っていたんだ。……君を養子に迎え入れたいという家も、もう見つけていた」

「……え?」

「君は家のことをほとんど話さなかったけれど、どんな扱いを受けているのかということぐらい、見ていればすぐにわかったよ。君の異母妹(いもうと)は、学園でも()()()()()目立っていたし、子爵も……」


 父子爵は、貴族としての矜持だけは一人前で、だからこそ、人とうまくやれない人間だった。口を開けば皮肉ばかり。上位貴族には特に煙たがられた。

 元は愛人だった現夫人の実家は伯爵家だが、伯爵家とは名ばかりで、祖先が残した財産を食いつぶしながら生き長らえている家だった。だというのに、誰ひとりとして浪費をやめず、このままなら次代あたりで没落するだろうとすら思われる有様だったのだ。

 しかし、伯爵家とのつながりが得られたと喜ぶ子爵は、自分があたかも上位貴族の一員になったかのような態度を取り始めた。

 それが、上位貴族の当主たちにさらに嫌厭(けんえん)されることとなった原因のひとつである。


「君に自覚はなかったんだろうけど、その優秀さを認めて、君を養子に迎え入れたいという家はいくつもあった。侯爵家としても、君をあの家に置いておくわけにはいかないと判断していたし、ル・ヴォー子爵と縁付くのはなるべく避けたかったから、手を挙げてくれた家にまずは養子に入ってもらって、それから正式に婚約をと考えていたんだ」

「そう、ですか……」


 自覚はなかったが、努力はしていた。

 ――わかってくれる人はいたのだ。

 ブリアナは、そっと肩から力を抜いて口元を緩めた。あのころの自分が、幾分か報われたような気分になったからだ。


「だから、あの事件が起きたとき……僕が君に触れたのは……治療行為として迷わずあの方法を選んだのは、君を軽んじていたからじゃない。他に方法がなかったのは事実だけれど、僕の中で、君とはもう婚約できるだろうということになっていた」


 (よど)みのない透明な瞳。

 貴族として、必要に応じて嘘は吐くし、本音と建て前を使い分けるアシェルだが、無意味に人を傷付けて楽しむ人ではない。ブリアナは、()()()()()()()について、以前からそう評価していた。

 だから、このときも疑う気にはなれなかった。

 そうして、話は終焉へと近付いていく。


「今度こそ。そう思っても、犯人が捕まらない限り、君は安心して求婚を受けることはできないだろうと考えた。君もうっすら想像していたようだけれど、僕も犯人は王女だとほとんど確信していたし、もしそれが事実なら、王女がいる限り、求婚しても頷いてくれないんじゃないか……というような、身勝手な恐怖もあった……かもしれない」


 アシェルは、長い年月を経て、当時のことをそう考えるようになっていた。

 あのときは、捜査のことを打ち明けて、ナイフでズタズタに引き裂かれた傷口をさらに広げるわけにはいかないと、ブリアナの心情を慮ったつもりだったのだが、実際は「嫌われたくない」「王女が関わっていると知ったら、自分から離れていくかもしれない」という保身だったのではないかと。

 その可能性に思い至ったとき、アシェルは再び絶望した。

 だが、行方不明になってしまったブリアナの捜索を諦めるという選択肢は、一度たりとも思い浮かばなかった。


「事件のあと、僕が学園にいなかったのは、秘密裏に行われていた捜査のためで……君を見捨てたとか、蔑ろにしていたとか、一時(いっとき)の遊びだったとか、神に誓ってそういうのではない。今さら何を言っても、全部言い訳に聞こえると思う。独りよがりなのもわかっている。でも――」


 宝石のような瞳に、真っ直ぐ射抜かれる。

 かつてないほどの真剣な視線に、ブリアナはどきりとした。


「――君を愛している。本当に」

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