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11 既視感を覚える光景

 ブリアナは大きく息を吐き出した。


「ねえ、ちょっとアルマさん……」

「でも、大変ですよね! あの子が生まれてから、一度も会わせてもらっていなかったんでしょう?」


 昔もそうだった。

 恋人がいると知りながら、婚約者ではないからとアシェルに近付く女が後を絶たず、ブリアナはそれに随分やきもきさせられたものだ。

 それがまた、繰り返されている。

 流石(さすが)にアシェルが大衆酒場を訪れる機会など早々ないだろうから、これには面食らっているのではないだろうか。

 シャーロットを迎えに来たブリアナは、そこに既視感を覚えつつ、肩を竦めた。

 酒場の店主の娘、アルマがアシェルに迫っている。一般的な感覚として、庶民が貴族――それも上位貴族だ――に軽々しい口を利くだけでなく、許しもなく話しかけるのは()()()()()()とされているので、アルマはかなり特殊な人間と言えるだろう。

 困ったようにジュリアが窘めているが、効果は薄そうだ。


流石(さすが)、高貴な方は違いますよね。ここらにいるそのへんの男なら、嬉々として逃げ出すに決まってます。でも、こんなに責任感があって良い人がいるのに、逃げ出すなんて()()()も酷くないですか? そんなだから――」

「すまない。その話は私にしなくてはいけない話だろうか」

「……え?」

「私の大事な人だとわかっていて言っているなら、君は自分の感覚を疑ったほうがいい」


 ――あら。

 ブリアナは意外に思った。


(昔は、こんなときにも笑顔で対応していたような気がするけれど……)


 相手が平民だから、というわけではないだろう。

 ブリアナから見たアシェルは、自身の特権と、それに付随する義務を理解しながらも、下位貴族だ平民だと差別する人ではなかった。場合によって、区別することはあったけれど、それだけだ。


「す、すみません。でも……」


 なおも言い募ろうとしたアルマに、アシェルは「聞きたくないと言ったよね」と言い放つ。

 声色こそ柔らかいものだったが、表情はすっかり冷めきっている。ブリアナも初めて見る表情だった。


「あ、ブリアナ……」


 困ったように視線を彷徨わせていたジュリアが、扉を抜けたところで様子を窺っていたブリアナに気がついた。

 その声に反応して、険しい表情を浮かべていたアシェルが振り返る。

 途端、花が開くように微笑んだ。「ブリアナ!」


「こんばんは、ジュリアさん。今日もありがとうございました」

「あ、ええ、いいのよ。困ったときはお互い様だって言っているでしょう」


 ジュリアのついでに、アルマにも会釈をする。実質、シャーロットの居場所を提供してくれているのはアルマの両親であるというのに、()()()になってしまうのは、彼女の態度がお世辞にも良いとは言えないからだった。

 現に、今も会釈をしたブリアナに対して、アルマはすっと背中を向けて拒絶を示している。


「……こちらにいらしてたんですね。うちに直接いらっしゃるのかと……」


 喜色満面の笑みを浮かべて近付いてきたアシェルに、ブリアナはやはり違和感を覚えながらも、なんとか話しかけた。アシェルは「うん」とひとつ頷いて、それから穏やかな表情を浮かべた。


「シャーロットを迎えに行きたいと思って」

「……そう、ですか」


 ブリアナは複雑な気持ちになったが、小さくため息を吐いただけで、すぐに二階にいるシャーロットのもとへ向かう。

 アシェルはそんなブリアナの様子に気がついて、「ごめん」と何度目ともわからない謝罪をした。――やはりおかしい。

 無意味に足音を忍ばせながらついてくるアシェルの前を歩きながら、ブリアナは眉根を寄せた。

 確かに彼は――少なくともブリアナの知る限りでは――自分の非を認めることができる人間だったかもしれないが、こうもわかりやすい性格ではなかったのだが。昔は、(はた)から見ると、感情の波のほとんどない()()()()()という印象だった。


「パパ!」


 階段を上ってすぐのところにある小さな部屋。

 もともとは従業員が休憩するために作られたというその場所で、シャーロットはいつも母親の帰りを待っている。

 ブリアナが扉を開けると、待ち構えていたようにシャーロットが飛び付いてきた。同時に、その後ろにいる父親(アシェル)に気がついて、満面の笑みを浮かべる。


「『パパ』……」


 アシェルは思わず口元を手で押さえた。


(……感動している)


 もはや、やはり誰か別人が成り代わっているのではと思えるようなその態度に、ブリアナはただただ困惑した。

 娘によく似た面差しを観察していると、アシェルはおずおずとシャーロットに手を差し出した。


「……パ、パパと、手をつないで帰ってくれる?」

「うん!」

「……うん」


 素直に頷き、手を差し出してくるシャーロット。改めて触れた手の小ささに、アシェルは不意に泣き出したいような気持ちになった。

 ――わかっている。

 わかっているのだ。

 シャーロットが初対面で「父親」だと名乗る男に対して、ここまで警戒心を抱かないどころか、憧れさえ抱いてくれているようなのは、母親であるブリアナが、父親のことを悪く言ったことがないからだと。


(……変な人になってしまったわ)


 ブリアナは、なおも困惑していた。

 その昔、「誰に対しても平等に優しく、穏やかである」と感じていたのは確かで、それに対して不満を抱くことがあったのも事実だが、いざ人目(はばか)らず感情を露わにするアシェルを前にすると、「変だ」という感想がまずやって来た。


「ロッテ、ママはパパと少しお話があるの。もうちょっとだけ待っていてくれる?」


 手をつないで今にも出て行きそうな父子(おやこ)に、ブリアナが待ったをかける。

 二人の話は、できるだけ娘の前ではしたくない。

 でも、あの狭い家の中では、聞かないでほしいと言ったところで無理だろう。だからといって、幼い娘をひとり置いて、二人だけで外出するわけにもいかないのだ。

 なので、一度シャーロットに顔を見せて、その後、家に来るであろうアシェルを迎えに行き、再びこの場に戻ってくる予定だった。

 話し合いのため、二階にある部屋の一室を使うことについては、店主の許可を得ている。良い顔はされなかったが、これはもう仕方ない。

 この国でブリアナは()()()なのである。


「……隣の部屋を貸していただいているの。いい?」


 娘の手前、一見して穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、以前に比べてすっかり余所行き仕様になってしまったそれに、アシェルはわずかに頬を強張らせた。


「うん、もちろん」


 頷いて、シャーロットの手をそっと離す。

 指先がひんやりした空気に触れたような気がした。


「君が仕事に行っている間は、いつもここでシャーロットを?」


 隣室へとつながる扉を抜けながら、アシェルが訊ねる。

 ブリアナは軽く頷いた。


「ええ。まあ、毎回ではないけれど。日中に仕事があるときなんかは、近くの孤児院に預かっていただくこともありますね。ほんの気持ちだけですけど、寄付をして」


 といっても、ブリアナに捻出できる費用などたかが知れているので、ほとんど孤児院側の善意のようなものである。ブリアナにのっぴきならない事情があることを、理解しているのだ。

 異邦人だということで、シャーロットが孤児院の子どもたちに虐められる可能性があるのではとも考えたが、まったくの杞憂だったようだ。シャーロットは孤児院にも、楽しそうに通っている。


「どうぞ、おかけください。今、紅茶でも……」

「いや、大丈夫」


 一度下がろうとしたブリアナを、アシェルは咄嗟に引き止める。

 ――いや、やはりもらっておけばよかったか。

 昨日同様、緊張している自分に気付いてそう思うものの、すでにブリアナは「わかりました」と言って、床に腰を下ろしていた。

 はっとして部屋の中を見回してみると、中央に簡素なベッドが置かれているのみだ。いや、正確には、もうひとつ―― 一脚の椅子が置かれている。だが、再会してからの様子を鑑みるに、ブリアナはそれをアシェルに譲るつもりなのだろう。

 少し迷って、アシェルは同様に床に腰を下ろすことにした。

 ブリアナは一瞬、驚きに目を(みは)ったが、何も言わなかった。


 互いに向き合ったまま、黙り込む。

 重苦しい空気が流れ込み、窒息してしまいそうだった。


 アシェルは途方に暮れた気分で、必死に頭を回転させていた。

 順序だてて説明しようと意気込んで来たのに、とてもうまくいくようには思えなかったからだ。

 すると、ブリアナが口を開いた。


「伯爵さまは……伯爵さまで、合っていますよね」


 一見すると意味のわからない質問だが、アシェルはその意図をすぐさま理解して、小さく頷いた。


「うん。昨年、父から伯爵位を譲り受けたよ」


 自分の口から、流れるように言葉が零れ落ちるのに、ほっと安堵する。

 それを皮切りに、アシェルは「とにかく、僕に至らない点が多かったという前提で聞いてほしいんだけど」と切り出した。


「……君と恋仲にあったとき、婚約の話をしたのは覚えている?」


 ブリアナは、口元を引き締めながら首肯した。

 相手の緊張と警戒を感じ取りながら、アシェルはできるだけ穏やかな口調で続ける。


「正直、子爵令嬢だった君と、侯爵家の人間だった僕の間には、婚姻を結ぶにはあまり現実的でない身分差があったよね。もちろん僕は、君がどの家の人間でも好きになっただろうし、婚約を申し込んだだろうとも思う。でも、貴族であるからには、周りの許しを得なければならない……そう考えた」

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