【後編】タイムスリップすると、「オオカミが来たぞ!」と少年が叫んでいた
気が付くとオレは、羊小屋の近くにいた。
小屋の中で羊たちは元気に騒いでいた。
オレはホッとした。そして、願いが叶ったことに感謝した。
見回したが、オレの自転車は見当たらない。
今度は、ちゃんと助けなければ。
羊小屋は、丸太で頑丈な作りだった。
あの時、出入りの扉が閉まっていれば、オオカミの侵入を防げただろう。
今度は、オレが扉を閉めてしまえば、上手く助けられそうに思えた。
ただ、羊を助けてしまうと、少年は反省せず嘘をまた繰り返すように思えた。
ここは、嘘が他人を傷つけるだけでなく、自分の信用まで失うことを身をもって体験させなければならなかった。
森の方から少年が走って来る。
「オオカミが出たぞお!」と村の入り口で叫んだ。
もちろん、村人は家から出て来ない。
少年は走るのを止め、ふて腐れて歩き出した。
よーし、ここまでは前回通りだ。
オレは少年に近づいて行った。
「こんにちは。いい天気だね?」オレは散歩中に何気なく出会った人のように話し掛けた。
「おじさん、何処から来たの? インド人かい?」訝しそうに少年は訊き返した。
「違うよ。お兄さんは、もっと東の方、極東から来たんだ」
「極東? まさか極東の魔術師なんて言うんじゃないだろうね?」
「極東の魔術師?」オレは訊き返した。
「なんだ、知らないのか、赤ずきんの話に出てくるだろ?」
「えっ! そうなの?」
どうやら赤ずきんの童話が書き換わっているらしい。
少年が話すには、赤ずきんは森で出会った極東の魔術師と一緒に魔法の不思議な箱『テータマ』を使ってオオカミをやっつける。さらに極東の魔術師は、石炭をダイヤモンドに変え赤ずきんにあげる。代わりに貰った赤い頭巾を嬉しそうにかぶると、見たことも無い乗り物に乗って、風のように去って行くのだそうだ。
どうやら、その魔術師はオレの事らしい。悪い気はしなかった。
話しているうちに、次第に少年の警戒心も無くなり打ち解けていった。
羊小屋で水を一杯貰うことにした。
少年は羊飼いだった。
毎日、羊の世話に追われ、うんざりしていた。
羊は二十匹ほどいて、毎日の世話のほかに乳を搾りチーズを作ったり、毛を刈って羊毛にしたりと重労働らしかった。もう五年以上世話し続けているらしい。
少年は近くの村でオオカミが出たといううわさを聞き、村の大人たちに、羊を守るため銃を持ちたいと相談したそうだ。
だが、大人たちは、まだ子供のお前に銃は無理だと言って、取り合ってくれない。
それなら、銃を持った大人に羊の番をしてくれと頼んだが、大人たちは、そんな暇はない、オオカミが出たら大声で知らせろと言って、家へ帰ってしまった。
少年は、最初は、だますつもりで嘘をついた訳ではないらしい。
予行演習のつもりだったようだが、大人たちの慌てふためく様子が思いのほか可笑しくて、次第に人をだます快感の虜になってしまったようだ。
もう何度も嘘をつき、今では誰も信じてくれない。
それならばもっと大きな嘘をつこうと考えている素振が見えた。
同情する余地はあるが、もう半分やけになっている。危険な兆候だ。
「キミは、羊をオオカミから守るために銃が欲しかったんだろ? それなら、もっと良い武器があるよ」
オレはマッチをポケットから取り出しながら提案した。
「それ、最近発明されたマッチだろ。町で見たことがある。そんなもの、役に立つのか?」
「動物は火が嫌いなんだよ、羊飼いならよく知っているだろう?」
「嫌いなのは、もっと大きな火だよ。そんな火種のような小さな火じゃ、驚くわけないよ」
「そうかな? それは遠くから火を確認していたからさ。
何も無いところから、いきなり火が出たら人間だって驚くのさ。
キミだって、初めてマッチの火を見た時は驚いただろう?」
「まあ、最初はビックリしたけど」
「そうだろ? 一遍に五、六本擦れば、オオカミだって逃げ出すさ」
少年はオレの意見に耳を傾けだした。
「キミは村の誰からも信用されなくなっている。この先、本当にオオカミが出てきても誰も助けてくれないぞ。すでに羊は全部食べられているのと同じなんだ。キミが羊を守るしかないんだ。守るには、このマッチしかないんだよ!」
オレは滔々とまくし立てた。
少年は次第に弱気になり、ついにオレの軍門に下った。
「いくらなの?」
「お金は要らない、代わりに羊一頭と交換しよう」
オレは無理を承知で言った。
「バ、バカ言うな。そんな高いはず無いだろう! 町へ行けば、もっとずっと安いんだ」
「それなら、町に行ってきたらいい。町まで何日かかるんだ? その間に羊が全部食べられてしまうぞ。一匹の羊をおしんで、すべての羊を失くすことになるんだぞ!」
オレは少年を脅かした。
少年はしばらく考えていたが、小屋に入り一匹の羊に皮紐をつけて連れてきた。
「ゴンザレスという名前だよ、大切にしてくれ」
少年は紐をオレに手渡した。オレはマッチを恭しく差し出した。
「キミは羊全部に名前を付けているのか、違いが分かるのか?」
「当たり前だろ。ゴンザレスは耳の形がちょっと丸くて、目が大きいんだ」
オレは羊小屋の羊とゴンザレスを見比べたが、どれも同じで見分けがつかなかった。
その時、少年が何か異常を察知した。
「羊の声が、羊の悲鳴が聞こえる!」
耳を澄ましたがオレには、小屋からの長閑な羊の声しか聞こえなかった。
少年は、森の方へ全力で駆けて行った。
オレもちょっと不安になって、羊小屋の扉を閉めに行った。
結構重い扉で時間が掛かった。
振り返ると少年が仔羊を抱えて戻って来た。後ろからオオカミの群れが追いかけて来る。
「オオカミだ! オオカミが出たぞお!」
少年は叫んだが、もちろん誰も家から出て来ない。
オレはゴンザレスを連れて村の家の方へ助けを求めて走った。
先頭のオオカミが、もう少年に追いつきそうだった。
その時、ゴンザレスがオレの手を振り切ってオオカミに向かって突進していった。
そして、先頭のオオカミに頭突きを食らわせた。
少年と子羊は間一髪でオオカミからのがれ、羊小屋の方へ逃げた。
ゴンザレスは後から来たオオカミに喉を噛みつかれて倒され、そこに他のオオカミが群がった。あっという間に、白いゴンザレスが真っ赤になった。
オレが戸を叩き助けを求めると、村人があわてて銃を持ってきて、ゴンザレスに群がるオオカミに発砲した。
残念ながら命中はしなかったが、オオカミは森の中に一目散に逃げ去った。
残されたゴンザレスに少年が近づき抱き起こした。もう息をしていないようだ。
ゴンザレスが自分を守ってくれたと、少年は泣き叫んでいる。
「ごめんよ、お前を手離すんじゃなかった。一番年寄りだからって選んでしまったが、ボクが一番長く面倒見たのはお前だもの。許してくれ、本当にボクはバカだった」
感動的な場面だった。
しかし、オレは少年が勘違いしていると思った。
オレには、ゴンザレスは仔羊を守るために犠牲になったようにしか見えなかった。そんな動き方をしていた、残念だが間違いない。
でも、オレはそう言わなかった。
「羊たちは毎日世話をしてくれるキミを大切に思っていたんだろう。
だから、ゴンザレスは身を挺してキミを守ったんだね」
オレは少年の背中をさすって慰めた。
少年は、いやいや羊の世話をしていた事を恥じた。
羊たちは感謝していたのだ。何の疑いもなく、少年はそう信じた。
「ボクには羊の顔の違いは分かったが、羊の心までは分からなかった」
そう言って、少年は改心した。
少年は、オレが羊小屋の扉を閉めてくれた事に感謝し、改めて羊毛のセーターと帽子を貰ってくれと差し出した。
オレは礼を言って受け取り、もう一箱のマッチを差し出すと、さっき貰ったからと受け取らなかった。
「さっき、オオカミの前でマッチを擦ったけど、全然怖がらなかったよ。
酷いじゃないか?」
少年は詰るように言ったが、半分笑っていた。
自分も同じような嘘をついていたと自覚し反省しているようだった。
村の入り口の大木に自転車が立て掛けてあるのが見えた。時間が来たようだ。
オレは、少年と村人に別れを告げた。
森の方はオオカミがいるから、麓の町へ向かうことにした。
自転車で走りながら思った。
今回、オレは嘘ばかりついていた。
結果、人と羊をうまく助けられた。
嘘で嘘を制したのだろうか?
これで本当に良かったのか、オレにはよく分からない。
ただ、一つだけ確かなのは、今日キミを救う手助けが出来てオレは心から嬉しい。
明日の事は分からない、神様じゃないから。
明日のキミまで救おうなんて思わないよ。それは傲慢すぎるだろ。
今日一日でキミを助けたことも忘れよう。
だって、明日のキミを本当に救えるのは、キミ自身だけなんだから。
**
なんだかエンディングっぽい感じだ。
今度こそ家に帰れそうな気がする。
よし、そこの切り株にぶつけて転倒しよう。
ガチャーン。うわぁ!
まわりの景色がネガポジ反転し、ブロックノイズになって一点に吸い込まれていく。
タイムスリップしたようだ。
何度目のタイムスリップだ? 6回目か。
いい加減、家に帰らせてくれよ!
オレを怒らせるな、極東の魔術師だぞ!
完




