表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/16

妻の矜持

朝、目覚まし時計がいつもの時間に鳴る。


メルシェは手を伸ばし、起きろ起きろと囃し立てる(アラーム)を止めた。


もそりと起き上がろうとするといつもの拘束感。


例の如くジラルドが腰にしがみ付いていた。


ーー帰って来てたんだ。


昨日は遅くまで魔術師団の研究室に篭っていたようだ。


彼がいつ帰って来たのかメルシェは知らない。


メルシェはジラルドを起こさないようにそっと腕を外しベッドを出た。


顔を洗い、身支度を整える。


その後は植木に水をやったり目に付いた所を軽く拭き掃除したり。


そして朝食を作り始める。


ーー今朝はミソリゾットにしよう


東方かぶれのメルシェはもちろん東方の食材もよく食べる。


おトキさんに取り寄せて貰って、

美味しいミソやショーユやダシなどを購入している。


洗った米をバターとニンニクで軽く炒め、ダシを入れてしばらく煮込む。

米が柔らかくなり、水気があるうちにミソを溶いて最後に落とし卵を割入れたら出来上がりだ。


メルシェは朝食としてはそれだけで十分だが、

育ち盛り(笑)のジラルドの為にソーセージも焼いておく。


お茶も淹れ終わり、そろそろ起こそうかと思っていた時にジラルドが眠い目を擦りながら起きて来た。


「おはよー……いい匂い……は、腹へった……」


と、見事な寝癖をつけたまま鼻をひくつかせてテーブルの方へとのそのそ歩く。


メルシェは髪を梳いて軽く寝癖を撫で付け、掛け違えていたパジャマのボタンを直してやる。


「昨日はちゃんと夕食を食べたの?」


「食べるの忘れてた」


相変わらず魔術の事になると没頭し過ぎて様々な事が疎かになるようだ。


メルシェは大きめの皿にミソリゾットを大量によそってやる。


焼いたソーセージも全部皿にのせてジラルドの前に置いた。


「旨そう!」


とそう言ってジラルドがすぐにリゾットを口に運ぼうとする。

メルシェはすかさず言った。


「いただきますは?」


「あ☆いただちましゅ」


「子どもか。可愛くねーぞ」


とツッコミながらメルシェもテーブルについた。


穏やかな朝の時間。

こうやって毎日、二人向かい合って一緒に朝食を食べるのも悪くないかと思い始めている自分がいる。


ジラルドと夫婦として暮らしてゆく、まだちょっと……いやかなり不安はあるが、それを望む自分がいるのも確かだ。


そんな事をぼんやり考えながら食事をしているとふいにジラルドに名を呼ばれた。


「メル」


「なに?」


「今日、夜にちょっと時間ある?話したい事があるんだ、いや頼みたい事って言う方が正しいかな?」


「頼みたいこと?なに?」


「夜に話すよ」


「……そう」


なんだろう改まって……

そう思っていたらその内容を本人の口ではなく意外な人間から聞かされる事になる。





◇◇◇◇◇◇



「ごきげんよう、奥サマ」


ーーーゲ。


イスラ=クレメイソンがメルシェを訪ねて文書室を訪れたのはその日の午後だった。


なぜ彼女がここに?

心の中で怪訝に思いながらも笑顔で応じる。


「ごきげんよう、レディ・クレメイソン。こちらにはどういったご用件で?」


メルシェがそう尋ねるとイスラはあからさまに「私困っています」、というよう表情を浮かべて言った。


「じつは……奥サマにお願いしたい事がございますの」


またお願い?と思いながら返事をする。


「なんでしょうか?」


「先週、国境付近で古代遺跡が見つかったのはご存知です?」


「はい、室長から聞き及んでおります。なんでも古文書や古代法典が多数見つかったとか」


「そうなんです。その遺跡自体にも古の魔術が掛けられていて、我が魔術師団がそれらの調査にあたる事になりましたのよ。規模が大きいのでかなり長期間の調査になりそうです」


「そうですか、それで?わたしへのお願いとは?」


「ジラルドをその調査に行かせてあげて欲しいのです」


「……何故わたしに許可を?例え夫婦であっても行動を制限なんて出来ませんよ。ジラルドが行きたいのなら行けば良いと思いますが」


「でも……彼、あなたに遠慮してますのよ?また放ったらかしにして怒られたらどうしようと、可哀想に怯えていましたわ」


()()()という言葉に、悔しいけどメルシェは傷付いた。


2年間も結婚生活を蔑ろにして、ようやく戻って来たと思ったらまた長期にわたっての調査の為に家を留守にする。


いくらジラルドが非常識人でも流石にそれは不味いと思っているのか。


またわたしが怒り散らし、今度こそ本当に離婚されると思っているのか。


そうか……夜に話したい事、頼みたい事とはこれか。

これの事だったのか。


遺跡の調査に行かせて欲しいと。


わたしに頼むつもりだったのか。


メルシェはきゅっと唇を噛んだ。


そしてイスラに向き直り、告げる。


「わたしは夫を止めたりはしません。仕事ですし、ましてや彼が誰よりも魔術バカだという事はわかっているつもりです。どうかわたしの事は気にせず、調査を頑張って来て欲しいとジラルドに伝えて下さい」


メルシェは真っ直ぐにイスラを見た。


その思いに嘘偽りはない。


また音信不通になるのが嫌だからと我儘を言って困らせるつもりは毛頭ないのだ。


正直に言うと、やっとこの頃夫婦らしくなって来たと思っていた。

二人でいる時間が好きだと思えるようになっていた。

これなら夫婦としてやって行けるんじゃないかと思っていた。


でもだからといって、ジラルドを縛り付ける事はしたくない。


これはメルシェの、妻としての矜持だ。


もしかしたらもう、今度こそ本当にダメになるかもしれない。


でも、それでも彼を止める事は出来ない。

したくないのだ。


イスラは大輪の花が綻ぶような微笑みをメルシェに向けた。


「さすがは奥サマですわ。さっそくジラルドに伝えますわね。調査の第一陣は今夜出発しますの。なので今晩から彼は帰宅しませんのでそのおつもりでいて下さいませね。では」


そう言って勝ち誇ったような顔をしてイスラは文書室を後にした。


魔術師団の詰め所に戻りながらほく笑む。


ーーふふ、上手くいった。

邪魔で消したいと思っていた女から都合よく引き離せたわ。

これでまたジラルドは私だけのものよ。この調査期間中になんとしても体の関係を結べるまで持っていってみせるわ。そして王都に戻り次第、今度はこちらから離婚届を叩きつけてやるんだから。


イスラは上機嫌で王宮内を歩いて行った。




「メルシェ……」


同僚のトキラがメルシェを気遣う。


メルシェは肩を竦めて少しだけ微笑んだ。


「仕方ないわね。わたし達って、ホントに縁が無いのかも」


そう思うしかない。


結婚した時から一人だったのだ。


また以前に戻るだけ。


寂しいなんて……思いたくはなかった。


「…………」


俯いて黙り込むメルシェに、トキラが敢えて明るく言った。


「そうだメルシェ!今日ウチに泊まりに来ない?息子が彼女と旅行に行って居ないのよ。ムギ様に次ぐ次世代のスターを発掘したから、彼の魔力念写映像(ドラマ)『朝寝坊将軍シリーズ』をオールで見ようよ。続編の『食いしん坊将軍シリーズ』もあるわよ!」


「次世代スター?」


「そう!ムギ様に引けを取らない超美男子、

スギダイラ=ケーン、通称スギケンよ!」


「もう名前だけでイケてる感じがするっ」


メルシェが食いつくと、トキラは嬉しそうに話を続けた。


「ウチに行く前に外で美味しいゴハンを食べようよ!

パーっと楽しもう!」


「そうね、人生楽しまなきゃ損だわ!」


「それでこそメルシェ!」


トキラは「そうと決まれば、絶対定時に上がれるようにガンバろ♪」と言いながら、仕事の続きに取り掛かった。


「ありがとう、おトキさん」


メルシェはトキラに感謝した。


今日、家に帰って一人で過ごすのが嫌だなと思ったから。


一人のベッドで朝を迎えるのが嫌だなと思ってしまったから。




その後は二人で集中して作業を行ったおかげでメルシェもトキラも定時で上がれた。


二人で行きつけのレストランで夕食を食べ、その足でトキラの家へ向かう。


家に着き、鍵を開けるトキラを待っているメルシェ。

だけどその時、目の前に突然壁が出現した。


「!?」


壁かと思ったのは男性の胸元で、そしてそれは……


「……ジラルド?」


目の前に突然現れたのはなんとジラルドだった。


「メル、帰って来ないから心配したぞ」


メルシェは驚き過ぎて、却って抑揚のない話し方になった。


「ど、どうして……ここに?

遺跡の調査に行ったんじゃなかったの?」


ジラルドはきょとんとした顔をして逆に尋ねてきた。


「なんで遺跡調査の事知ってんの?

でも俺は今回は行かないよ」


「え?どうして?未知の魔術が見つかるかもしれない、あなたにとっては夢のような場所でしょう?」


「でも今回は行きたくなかったんだ」


「どうしてよ?何よりも大好きな古代魔術がわんさか見つかるかもしれないのにっ?」


「古代魔術も好きだけどメルの方がもっと好きだし。古い術式の謎を紐解くのもいいけど、メルのネグリジェの紐を解く方が最優先事項だっ!」


「アホか。バカか。最低か。

……ホントに、ホントにバカ……」


メルシェはジラルドの胸に頭を付けた。


ジラルドは行かなかった。


自分の側に居たいと言ってくれた。


くそう、負けだ。


わたしの負けだ。


嬉しいと思ってしまった。


「……降参するわ……」


メルシェはそっと呟いた。


そんなメルシェにトキラが告げる。


「メルシェ、スギケンは逃げないわよ。オールでスギケン三昧はまた今度にしましょう」


「うん……ありがとう、おトキさん」


メルシェがトキラに礼を言った次の瞬間、どこかに引っ張られる感覚がした。


この感覚は二度目だ。


次に着地したのは自分の家の中だった。


ジラルドが転移魔法を用いたのだ。


今、メルシェはガッチリとジラルドの腕の中に囲われていた。


腕の中でメルシェはもう一度だけ尋ねた。


「本当に行かなくていいの?後悔しない?」


ジラルドはメルシェを抱きしめながら答えた。


「後悔なんてしないと思うよ。それよりも今はメルシェの側から離れる方が不安だな。この前の馬車の所為で俺の中で虎と馬のキメラが誕生してしまった」


「……トラウマね。キメラって」


「心配で調査どころじゃないよ」


「ジラルド……」


ホントのホントに降参だ。


心配されて、三度の飯よりも魔術が好きなジラルドに自分の方が好きだと言わしめた。


今が……素直になる時だよね。



メルシェはつま先立った。



そしてジラルドの唇にそっと自分の唇を重ねた。


ジラルドの体が一瞬ビクッとしたのがわかった。


触れるだけのキスをして、

唇を離そうとした次の瞬間、腰と後頭部をがっしりとホールドされ、今度は深く、ジラルドの方から口付けをされる。


初夜以来、2年ぶりの行為である。


メルシェは自身の腕をジラルドの首に回……そうと思ったがある事に気付き、ジラルドの胸をちょっと押してから質問した。


「調査に行きたいっていうお願いじゃなかったら、今夜何を頼もうとしていたの?」


「え?ああ、アレね。

実はさ、翻訳してほしい東方言語があるんだ」


「ジラルドだって東方の言葉話せるじゃない」


「日常会話に毛が生えた程度だよ?メルのレベルには足元にも及ばないよ」


「……そう、わかった。いいわよ」


「良かった。

………じゃあいい?」


「だからいいわよって」


「違う、続き、シテいい?」


「あ……う、うん……」


思わず頬を赤らめてしまうメルシェの唇に、ジラルドはゆっくりと口付けを落とした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 若い吉宗であった、ってバックは江戸城じゃなくて姫路城だし!弓を射るのに片肌脱ぐと種痘の痕があるし! 虎馬は顔はどちらなのか? いただきましゅは小さな騎士様に言って欲しいです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ