メルシェアラート
勝手に家に上がり込み、勝手にベッドで寝ていたジラルドを追い出したその日の朝、完全に睡眠不足のメルシェが目を覚ました。
――あぁ……今日は魔術師団長……の、腰巾着である陰険で口煩い準副師団長が来るというのにこんな寝不足の頭で上手く対応出来るのかしら……
さぁ、起きねばなるまい。
メルシェはまだ頭がぼーっとしながらも気怠い体を起こそうとした。
が、動けない。
よくよく見ると硬い腕に腰をしっかりホールドされていた。
「!!」
確かに追い出した筈なのに。
またもや勝手に隣で寝ているジラルドにメルシェは朝からフルマックスでぶち切れた。
「こンのっ……!ジラルド=アズマっーー!!!
「痛っ!?」
◇◇◇◇◇
「おはようメルシェ。珍しいじゃない、あなたが遅刻ギリギリなんて」
朝の仕業開始時間ギリギリに文書室に飛び込んだメルシェに同僚のおトキさん……トキラ=サリエル(44)が声を掛けてきた。
メルシェはげっそりとした顔でトキラに答える。
「……おはよう…おトキさん……ちょっと色々あって……」
「酷い隈ね!いつも完璧なコンディションのメルシェが珍しい。やっぱりあの噂は本当だったの?」
「噂?」
「あなたが夫のジラルド=アズマに離婚届を渡したっていう噂。王宮内は今朝からその噂で持ちきりよ?」
メルシェは頭痛が起きそうな頭を押さえてトキラに答えた。
「それは本当よ。昨日、王宮に姿を見せた旦那に離婚届を叩き付けてやったの」
「前々から離婚してやるって言ってたもんね。
じゃあ今日から私と同じシングル仲間?」
「……それが……ジラルドが離婚したくないって
夜中にウチに来て……とりあえずは保留って事になったの……」
「あぁ、それでそんな酷い顔してるのね。
メルシェはロングスリーパーだもんね」
「寝不足はお肌の大敵なのにぃ……
おのれジラルド=アズマ……」
「そんなんで大丈夫?今日、午後からアイツが来る日よ?」
その言葉を聞き、メルシェは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「わかってる……重箱の隅をつつくのが趣味のあの男に付け入る隙を与えないように頑張るわ……」
「今日は室長も居ないしね」
「あの準副師団長、それを狙って来てるんじゃない?室長には魔術師団長や騎士団長たちも頭が上がらないらしいし、弱い者イジメが好きそうなあの男の考えそうな事よ……ハァァァ……」
ただでさえジラルドの事で頭を抱えていると言うのに、この上陰険男の相手もしなくてはならないとは……メルシェは深く、そして大きなため息を吐いた。
◇◇◇◇◇
「……だから勝手に家に入るのは止めとけって言っただろ」
友人である魔術騎士のジュスタンがジラルドの顔を見るなりそう言った。
「だって、夫婦は一緒に寝るもんだろ?」
「……めちゃくちゃ怒られてんじゃねぇか……」
その時、ジラルドのバディであるレディ・クレメイソンことイスラ=クレメイソンがジラルドの腕に絡み付いてきた。
「おはようジラルド、ジュスタン。
何の話をしていたのっ……えっ?ジラルド、どうしたのその顔はっ?」
イスラの指摘に、ジュスタンは肩を竦めながら首を横に振る。
ジラルドの頬には見事な紅葉が……ビンタの跡があった。
「刺激的なモーニングコールだった……」
何故かウットリと答えるジラルド。
モーニングコールという言葉を聞き、
イスラは目くじらを立ててジラルドに詰め寄った。
「はあっ!?だ、誰によっ!?」
「もちろん俺の小芋ちゃんに♪」
「ちょっと!!別れたんじゃないのっ!?」
イスラの問いかけにジラルドはどういう訳かドヤ顔で答えた。
「別れたくないと泣いて縋って土下座したらとりあえず保留にして貰えた」
「お前……筆頭魔術師としてそれはどうかと思うぞ……」
呆れながら言うジュスタンを尻目にイスラが尚もジラルドに言い募る。
「どうして?あの女は別れたがってるんでしょ?
自由になれるチャンスだったのにっ」
「俺は別れたくない。やっと王都に帰って来たんだ、土産もまだ渡せてないしな♪」
「ああ、お前が迷宮から持ち帰った変なガラクタ達か」
「どれもメルに見せてやりたかったんだよな~♪
メルのヤツ、喜ぶぞ~」
「いやそれはどうだろう……」
ジラルドが持ち帰った物を知っているジュスタンは、思わずジト目になった。
イスラは更にジラルドに尋ねる。
「……まさかあの女の家で暮らすの?」
「?夫婦なんだから当たり前だろ?それに王都の真ん中で一人暮らしするのは小芋には危険過ぎる、
つるんと剥かれて食われないように俺がハイエナ共から守ってやらねばっ」
「お前が一番危険だろ」
「あ、ソレ、メルにも言われた☆」
「おい」
そうやってジラルドとジュスタンは軽口を言い合いながら魔術師団の詰め所へと入って行った。
それを後ろから見ているイスラの顔が嫉妬で歪んで醜くなっている事など、二人は気付かない。
――あの女……ホント目障りで邪魔ね。あの女さえいなければ……
てっきり離婚届を出してフリーになっていると思っていたのにまだ離婚していないとは。
家を引き払ったと聞いていたので、今日からクレメイソンの屋敷で一緒に住もうと話すつもりだったのに……
イスラは爪を噛みながら自身も魔術師団の詰め所へと入って行った。
◇◇◇◇◇
午後一番に魔術師団の準副師団長オーリク(32)が文書室にやって来た。
一週間前に預かった、東方の国の魔術書の翻訳を受け取るためだった。
東方の言語はメルだけでなく、母親が東方人であるトキラも扱える。
しかし何故かこの時はオーリクがメルシェを指名してきたのだ。
この男は実力ではなく侯爵家の四男という家柄を利用して準副師団長になったような男で、尚且つ神経質で陰険、そして平民やメルシェのような庶子などをクズのように扱う人種である。
メルシェが籍を置く文書室は、無くなれば魔術師や魔法に関する仕事をする者皆が困るはずなのに、何故か侮られ見下される部署なのだ。
まぁ危険な任務など一切無く、魔力の消費もほとんど無い、一日中机でカリカリ字を書いているような仕事なのに給金が他の魔術師たちとあまり変わらないというのが、気に障るらしいのだが。
そんな事でメルシェ達に当て擦りをされても困るし、こちらもきちんと与えられた仕事はしているのだからあまり偉そうにしないで貰いたい。
そんなあからさまに文書室の人間を下に見る者達の中でも最たる人物がオーリクなのである。
とにかくコイツに何か文句や諫言を言わせる隙は絶対に与えてはならないと、メルシェは注意を怠らず対応するつもりだった。
「……こちらが依頼を受けておりました魔導書の翻訳となります。お確かめ下さい」
メルシェはそう言って、オーリクに魔導書と翻訳したものを書き写した帳面を差し出した。
オーリクが隅から隅まで、それこそ綴じた帳面の糸のかがり方まで食い入るようにチェックする。
――ホント嫌な男……
メルシェは内心、辟易としながらも表面上は笑顔を貼り付けてオーリクがOKを出すのを待った。
「……ふむ、まぁいいんじゃないか?キャリアの浅い下っ端にしてはマシな仕事をしていると褒めてやろう」
オーリクが顎を突き出しながら言うのを、メルシェは笑顔を崩さずに答える。
「ありがとうございます。ではこの書類に受け取りのサインを……「おや?」
魔導書と翻訳した物を引き渡してさっさとお引き取り願いたいメルシェが急いで受け取り書を出そうとした時、オーリクが何かに気付いたように言った。
「この預けた魔導書……」
「な、何か問題でもありました……?」
「この魔導書には特別な魔術が掛けられていて、それおかげで本の劣化を防げる筈なんだが……その魔術が消えてるじゃないか」
「え?」
そんな筈はない。
この本には最初から魔術は施されてなんてなかった筈だ。
この男の勘違いなのではないか。
それを伝えるとオーリクは途端に声色を変え、威圧的な態度で言ってきた。
「……魔力ゼロのお前に何がわかるんだよ。翻訳するしか能がないくせに偉そうに言うなよな……」
しかしここで気圧されて黙り込むようなメルシェではない。
毅然としたもの言いで言い返す。
「お言葉ですが、この魔導書は魔術で守護するほど貴重な物ではないと思われます。劣化を防ぐ魔術はいわば時間を操る魔術。そんな高度で膨大な魔力を要する術で保護する必要性が無い事は、この本を翻訳したわたしが一番よくわかっています」
「お前……私が遠征から持ち帰ったこの魔導書が大した事ない物だというのか……?」
オーリクから殺伐とした気配が漂ってくる。
でも文書室の威信を懸けて、ここで有りもしない非を認めるわけにはいかない。
魔術師を怒らせるなんて本当に怖い。
怖いが、メルシェは一歩も引く気はなかった。
「この魔導書は東方ではよく売られている初期的な東方魔術の指南書です。廉価版ではありますが、とても丁寧に解説されたよい本だと思います。でも魔術が施される程のものではありません。間違った認識でこちらに責を負わせるような発言はやめて下さい」
「貴様……」
オーリクの額に青スジが浮き出たのを見たトキラが、慌ててメルシェの側に寄る。
メルシェの見解が間違っていない事を知らしめるためだ。
「っ今の意見は文書室全員の総意と取って頂いても構いませんっ……!納得して頂けないのであれば、こちらの室長が居る時にもう一度お越し下さいっ。大陸一の魔導書スペシャリストの意見なら、貴方も納得されるでしょうから!」
「……ち、」
オーリクは舌打ちをした。
魔法文書室室長、ギユマン=ギュメットの名を出されては、ぐうの音も出ないようだ。
ここの長が彼である事は皆が知るところだ。
しかしオーリクはこのまま引き下がるのが癪でたまらない様子だ。
ましてや相手は見下している文書室の女だ。
そして今のこの部屋にはその女が二人だけ。
せめて腹いせに軽くトラウマになる程の恐怖を与えてやろうとオーリクは考えた。
平民の分際でもう二度と自分に尊大な態度を取れないように。
メルシェはオーリクから魔力を感じた。
――ウソでしょっ!?
まさかこんな些細なやり取りで荒事に持ち込むの!?
メルシェはトキラを後ろに庇い、後退りをした。
「な、何をするつもりですかっ、そんな脅しには屈しませんよっ」
メルシェが言うと、オーリクは小馬鹿にしたようにせせら笑った。
「脅しだと思うか?前々から生意気なヤツだと思ってたんだよ、亭主に相手もして貰えない惨めな女のくせに」
その言葉を聞き、メルシェはカチンときた。
そして「てめぇにゃ関係ねぇっ!」と言ってやろうと思ったその時、すぐそばで聞き慣れた声がした。
「亭主に相手して貰えない惨めな女って誰の事?」
「「「!?」」」
いつの間に来ていたのか、
ジラルドがメルシェ達とオーリクの間のカウンターに両肘を突いて立っていた。
きょとんとした顔でオーリクの方を向き、そしてもう一度尋ねた。
「なぁ、それって誰の事?」
まさかここに現れるとは思っていなかったのだろう、オーリクが狼狽えた様子でその名を呼んだ。
「……っジ、ジラルド=アズマ……!」
「メルが俺に構って貰えない惨めな女だって言った?」
「そ、それはっ……」
オーリクがしどろもどろになる。
そもそも準副師団長という肩書きを家柄で買ったような男だ。
魔物討伐数も片手で足りるくらい、しかも低級の魔物ばかりだ。
弱者にしか威張れない、そんな男が筆頭魔術師に虚勢すら張れる訳がなかった。
顔色を悪くして大量の汗をかき始めたオーリクを尻目に、ジラルドがメルシェに言う。
「メルに構って貰いたいのは俺の方だよなぁ?」
「わたしに言わないでよ」
ジラルドはオーリクを一瞥して言った。
「とにかくあんたは今後、メルの側、半径100メートル圏内侵入禁止な?もし破ったら王宮の一番高い塔のてっぺんからぶら下げるから」
「っ~~~くっ……!」
「わかった?」
ジラルドがずいっとオーリクに近づく。
「わかったよっ!!」
そう言い捨ててオーリクは文書室から逃げ出して行った。
トキラがぼそりと呟く。
「ホント小物ね……しょーもない男」
――ホントにね。
でももしかしてこれでもうアイツの顔は見なくて済むようになる?
メルシェはジラルドに向き直った。
「……ありがとう。アイツ、ホント嫌なヤツだったのよ……だからまぁ、助かったわ」
「メルシェ、怖かった?」
「そりゃあまあね。でもどうしてここに?偶然通りかかったの?」
「いや?メルシェアラートが鳴ったから何かあったんだと思って飛んで来た」
「………………?」
ん?
メルシェ、アラート……?
「……ねぇ、何それ?」
メルシェが問うとジラルドがとっても素敵な笑顔で答えてくれた。
「メルが恐怖を感じたり、痛みを感じたら俺がすぐにわかるように術をかけてるんだ。心拍数の上昇や痛覚神経の働きで解るようになってるんだよ」
「………そんなのいつ掛けたのよ」
「結婚式の夜に☆
だってホラ、しばらく帰れないと思ったから」
「そんな術を断りも無く勝手に掛けるんじゃねぇ!」
いやそのおかげで助かった、
助かったけども!何故か素直に喜べないメルシェであった。
「どこにそんな術式を?全然気付かなかったんだけどっ?」
「ふふふ……分からないようにホクロに見せかけて胸元に……って痛いっ!」
質問したのはメルシェだが、最後まで言わせるわけにはいかなかった。
脇腹を思いっきりツネり上げた。
同僚の前でなんて事言うんだこの男は!
トキラは、
「あ……なんかトイレに行きたくなったな~、メルシェ、留守番頼むわね~」と言って文書室をそそくさと出て行く始末だ。
「ちょっ……おトキさんっ……!」
メルシェの声が追いかけるもトキラには届かない。
メルシェが頭に手を当ててため息を吐く。
そんな事お構いなしにジラルドが聞いてきた。
「今日の晩ごはんは何?
俺、アレ食べたい、結婚前に作ってくれたトマトシチュー♪」
「……なんでウチでごはん食べる事になってるの?」
「いやだなぁメルちゃん、俺もちゃんと知ってるぞ?夫婦は一緒にごはんは食べるものなんでしょ?迷宮の土産も渡したいし」
「…………好きにして……」
もはや抵抗する気力も失せていた。
どうせダメだと言ったところでこの男は勝手に来るのだ。
それならせめてちゃんとルールを決めよう。
今夜、とっとと決めてしまおう。
メルシェはそう思った。




