とりあえず、誠意を見せて貰いましょうか?
メルシェはど田舎のわりと裕福な商家の……
庶子であった。
いわば“妾の子”である。
暮らしに困った事はないが家族の愛というものには恵まれなかった。
母は父に金で囲われ、しかも父以外にも男が複数いた。
そして母親らしい事は何一つして貰った記憶はない。
メルシェはメイド達に育てて貰ったようなものだ。
母はいつも酒を呷っているか男とベッドの上にいるか、そんな碌でもない人種であった。
なので物心ついた時からは極力、母や父、そして母の男達とは関わらないようにしていた。
幼い頃からそんな母親を見てきた所為でメルシェはどこか冷めた、どこか達観した、そして「コイツはダメだ」と思った人間はバッサリと切る……そんな性格になってしまったのだ。
16歳で王宮文官の採用試験に合格して、その時にバッサリと親とは縁を切った。
母にも父にも疎まれていたから、未練は一切なく清々したのを覚えている。
メルシェが務める王宮文書室は王室所有の国宝級の書物や文献、各地から集められる貴重な魔導書などの管理、翻訳、複製書の作成などが主な仕事となる。
メルシェは趣味の延長から東方の言語のスペシャリストで、魔術師たちが遠征先などから持ち帰った東の書物や術式の解読などを手掛けていた。
ではそのメルシェの趣味とは。
メルシェは自他共に認める東方かぶれ…東方オタクなのである。
そのきっかけになったのは、
14歳の時に西方特別巡業の為にこの国に訪れた
東方の国のスーパースター、ムギ=リョウタロウ
(通称ムギリョウ)の大ファンになった事からである。
東方の民特有の細めな切れ長の流し目に一発で心臓を鷲掴みにされて以来、ムギ様の歌や代表作の
『トオヤマのプラチナさん』のセリフを理解したくて語学の勉強をしたのが始まりだった。
とにかくメルシェはもう、このムギリョウが好きで好きで堪らないのだ。過去発売されたブロマイドは全部持ってるし、ファンクラブはもちろん入ってるし、ファングッズは公式な物からそうでない物まで数多く所有している。
それは全て、東方人とのハーフである、おトキさん(44)を通して購入しているのだ。
おトキさんは魔法文書室の同僚で、同じムギ様ファンの仲間である。
とにかくメルシェはおトキさんと共に推し活している時が一番幸せなのだった。
初夜以来帰って来ない旦那に見切りを付けたのが3ヶ月前。
夫婦として一晩だけ過ごした家を引き払い、王宮にほど近い2DKのアパートにひとり居を構えた。
家賃は少々お高いけど、治安や職場への利便性を考えるとやむを得まい。
小さいけど使い勝手の良いキッチンとこれまた小さいが浴室もちゃんとあり、住み心地の良いメルシェのお城だ。
特に寝室にはムギ様の特大ポスターと、
第5回西方特別記念公演の時にゲットしたムギ様のサイン入りの台本を額装して飾っているのだ。
それを眺めながら、おトキさん特製のムギ様ぬいぐるみを抱いて眠りにつくのがメルシェの至福の時であった。
この寝室で眠るようになってからは寂しいなんて思った事もないし悪夢も見ない。
いや…何故か悪夢は結婚してから一度も見ていないな……
明日は事務方に行って離婚して旧姓に戻る事を伝えないと……
ジラルドの奴、嬉々として離婚届を提出したんだろうな、◆○☆♤♧◎*ヤロー……など考えつつ、この日もメルシェは眠りについた。
夢の中でメルシェは王宮の中庭にいた。
久しぶりに見たあの日の夢だ。
文書室の室長の紹介で見合い染みた事をした日の夢だ。
――初めて会った時、ジラルドがあまりにカッコよくて驚いたっけ。
でもどうせ自分は田舎者だし、しかも庶子だし……
向こうは特級魔術師様だしこの見合いは形だけなんだろうなぁと思っていたら、ジラルドの方から即日プロポーズされたんだっけ。
まさかの展開と出会って即のプロポーズにこっちの方が引いたのは無理もない話よね……
でも室長が……あの変人にはわたしみたいな超現実主義の人間が側にいた方がいいから是非受けてやって欲しいって……
それに人間に興味の無いあの男に気に入られるというのは凄い事なのだと言われて絆されちゃったのよね……
まぁ一緒にいて楽しかったし、優しかったし、家族が欲しかったし……
そう、家族が欲しかった。
こんな寒い夜も布団の中で身を寄せあって暖め合う。
夫でも子どもでも、一緒にいて安らげる相手が欲しかったから……
でも……あぁ…暖かい……
暖かいなぁ……今日は凄く暖かい。
まるで誰かに包まれているみたい……
そう、まるで誰かに………
そこでぱちっとメルシェの目が開き、
意識が覚醒した。
「……………」
包まれている……?
わたしの体が……誰かにすっぽりと包み込まれている……?
わたし……この匂い、知ってるかも……
メルシェはガバっと半身を起こし、身を捩って後ろを見た。
「~~~!!??」
そこには同じベッドで眠るジラルドの姿があった。
「ちょっ……、ちょっまっ……!?
ちょっ……!?」
メルシェは驚きすぎてまともな声が出ない。
とりあえず後ろからがっちりと拘束されているこの腕を退かして布団から出ねばとジタバタ藻搔いていると、
「う~ん……」と寝惚けたジラルドがメルシェに腕を更に絡めてきた。
そして……胸を揉まれた。
「ゴル゛ァっ!!ジラルド=アズマっーーー!!」
「痛っ!?」
ぶち切れたメルシェにジラルドがベッドから蹴り落とされる。
完全に熟睡していたのであろう、なのに突然蹴飛ばされてジラルドは驚くというよりは訳が分からず呆然としていた。
そして蹴られた箇所を摩りながらメルシェに言った。
「も~、酷いなメル、なんてえげつない寝相だよ」
「寝相じゃねぇわっ!!あんた一体ここで何してんのよっ!どうやってわたしの家がわかったのっ!?」
「ははは☆索敵魔法でサクっと」
「はぁっ!?鍵は!?どうやって入って来たのっ!?」
「鍵?あんなものを鍵なんて呼んじゃダメだな。ていうかメル、なんで前の家を出て行ったんだよ、あの家には鉄壁の防御魔法が掛けてあったのに……あの家にいれば悪夢すら見ないってのに……」
「あなたが帰って来ないからでしょうがっ!虚しくって住んでいられないわよっ!」
メルシェのその言葉を聞き、ジラルドは真剣な顔をしてメルシェに詰め寄った。
「なんて危険な事をっ!メルみたいな小芋ちゃんなんか、あっという間に皮を剥かれて食われちまうんだぞっ!!」
「不法侵入して人の胸を揉みくさった貴様が一番危ねえわっ!!」
「揉んだっ!?俺がっ!?覚えてないっ!勿体ないっ!」
「出てけーーっ!!」
ドンっ!!
真夜中だというのにヒートアップした所為で隣人から抗議の壁ドンを食らう。
そして「うるせぇぞっ静かにしろっ」と苦情が聞こえた。
「「…………」」
この家、家賃が高い割には壁は薄いようだ。
とにかく落ち着こうと、メルシェはキッチンに行きお茶を淹れた。
何故かジラルドが素直に付いて来る。
テーブルの席に着き、お茶を淹れるメルシェをじっと見ていた。
「何?そのお茶、緑色?」
「これは東方でよく飲まれるセン茶というお茶よ」
「へぇ……いい香り」
二人でテーブルに向かい合って座り、お茶を口に含む。
「……んで?どうして勝手にわたしの家にいるの?」
「だって夫婦は一緒に暮らすものだろ?」
「どの口がほざく。
もう夫婦じゃないでしょう」
「え?夫婦だよ?」
「……離婚届、出したんでしょ?」
「出してない。あの紙燃やしちゃった☆」
「はぁっ?」
「だって俺、帰って来たし。2年間放ったらかしにしたのはホントごめん。マメに連絡するものだとは知らなかったんだ、家族がどういうものかなんてわからなかったし」
「……」
ジラルドが孤児だったとは室長に聞いて知っていた。
幼くして高魔力保持者だとわかり、魔術師の弟子として引き取られたのだとか。
――まぁわたしの出自もこんなだし、そんな事はどうでもいい。
それはどうでもいいのだが、
「ジラルド、あなたは普通の家庭も持つのには向いていないと思う。わたしはね、普通の家庭が持ちたいの。迷宮に潜ったまま音信不通になるような旦那でなく、毎日帰ってくる普通の旦那が欲しいのよ」
「わかった、これからは毎日ちゃんと帰るよ♪」
「反省してねぇなてめぇ」
睨め付けてドスの利いた声でメルシェが言うと、
ジラルドはまじまじとメルシェを見た。
あまりに食い入るように見つめてくるものだから、メルシェはなんだか居た堪れなくなった。
「な、何よ?」
「いやぁ、こうしてすっぴんの顔を見てると
俺の小芋ちゃんに間違いないけど、王宮で見たメルはホント別人だったなと思ってさ。それに性格もちょっと変わってない?」
「誰が小芋よっ!
……2年という月日は人が変わるのには充分だったって事よ。だからわたし達はもうお終い。あ、始まってもなかったからお終いも何もないか」
メルシェは敢えて軽口で言った。
剣呑な雰囲気で終わりたくはなかったから。
そして「お茶を飲んだら出てってね」と言おうとしたその時、急にジラルドがメルシェの足にしがみ付いて来た。
「うわぁぁんっメルちゃん!メルさんっ!
メルシェ様ぁっ!俺が悪かったよぉぉっ!もう二度しないから捨てないでぇぇっ!!」
大の男が足にしがみつき、オイオイと泣き言を言う。
「ちょっとっ!?」
「メルと別れたくないんだよぉぉっ!!」
「ジラルド!とにかく離してよっ!!」
「嫌だぁぁっ!!
許してくれるまで離さないぃっ!!」
「離せって言ってんだろがっ!!!」
ドンドンドンっ!!
そしてまたもや隣から苦情の壁ドンをされた。
今度は反対側の隣家から。
「「…………」」
メルシェは手で頭を押さえて大きくため息を吐いた。
「…………ハァァァっ……」
そしてすっ……とジラルドを見下すように見据えた。
「ジラルド」
メルシェに名を呼ばれ、涙目のジラルドが上を見上げた。
「……とりあえず土下座ね。東方の国では誠意ある謝罪の時は土下座が付きものらしいわよ。知ってるでしょ?土下座の仕方」
腐っても変人でも非常識男でもジラルドは特級魔術師、そしてこの国一の王宮筆頭魔術師だ。
さすがに土下座はプライドが許さないだろう。
「本当に悪いと思ってるなら誠意を見せて貰わないとね」
――これで諦めて帰ってくれるとは思うけど……
メルシェはちらりとジラルドの方を見た。
するとそこには額を床に擦り付け、両手を突いて見事な土下座をキメているジラルドがいた。
「ちょっと!?王宮筆頭魔術師さんっ!?」
メルシェはギョッとした。
自分で言っておいてなんだが、まさか本当に土下座をするとは思ってもみなかったのだ。
「許して貰えるならこんな頭、幾らでも下げてやるぞ!」
「もういいからっ!立ってよっ!あなたそれでもこの国一番の魔術師なのっ!?プライドは無いのっ!?」
メルシェがジラルドの腕を引き、立ち上がらせようするもジラルドは立とうとはしない。
「プライド?プライドポテト?何ソレ美味しいもの?
メルが許してくれるって言うまでは絶対に立たないぞっ!!」
「わかった!許す!許すからっ!」
「ありがとうメルっ、俺の小芋ちゃん!」
根負けしてメルシェが言い放つと、途端にジラルドは立ち上がり、メルシェを抱きしめて来た。
メルシェはジラルドの顔を押し、離そうとしながら言った。
「……2年間音信不通だった事は許す、もういいわ。でもだからといって、わたしの中で鎌首をもたげている問題が無くなったわけじゃないわ」
「へ?問題?」
「離婚はとりあえず保留にしましょ。
わたしが離婚したい理由を全部解決出来たら、その時にまた考えるわ」
「問題ってナニ?ナニが問題?」
素っ頓狂な顔をして問い詰めてくるジラルドに、
メルシェはにっこりと微笑んだ。
「とりあえず、お互い明日も仕事でしょう?だから……」
と言って、ジラルドの襟首を掴んで玄関から追い出した。
「とっとと帰れ!」
そして玄関のドアを勢いよく閉めて即行で鍵をかける。
「メルシェさぁぁんっ!?」
ジラルドがノックを繰り返しドア越しに名を呼んでくる。
それを無視してメルシェはさっさとベッドに潜り込んだ。
離婚は保留にしたが、だからといって夫婦として
一緒に暮すとは言っていない。
「明日の事は明日考えよう。
って、もう日付けが変わってて今日の事だった……
トホホ……」
泣き言を言いながら、メルシェは目を閉じた。
寝て起きたら、全てが解決していたらいいのに、
とそう思いながら。
作者のヒーローの中で、土下座まで最短記録でした。