エピローグ 旦那サマは愛しい人
「あ~……ずっと座ってると腰が痛い……」
仕事中のメルシェが腰を摩りながら椅子から立ち上がった。
その様子を見て、トキラが言う。
「大丈夫?腰痛はどうしても避けられないわよねぇ。私も酷かったもの。それに腓返りね、寝返りをうっただけで足が攣るという悲惨な状態だったわ……」
「え~、わたしもそうなるのかしら?」
メルシェが不安そうに言うとトキラが悪戯っぽい顔で告げた。
「そういう時こそダーリンに甘えればいいのよ。
瞬時に足に治癒魔法を掛けてもらえばいいじゃない。ダーリンはこの国一番の魔術師なんだから」
「まぁそうなんだけど」
メルシェがそう答えたと同時に、
ドゴォォンッと外から消魂しい轟音が聞こえた。
「「な、なにっ!?何事っ!?」」
その轟音に飛び上がるほど驚いたメルシェとトキラが互いに抱き合いながら窓の外を見やった。
するとその瞬間に聴き慣れた男の声がする。
「お~いメルシェ~!
見て見て!ピンドラ、捕まえちゃった♪」
「はぁっ?」
文書室のある王宮の南翼棟の中庭に、12メートル四方のコーラルピンク色の鱗を持つのが特徴のピンクドラゴンが突如現れたのだった。
そしてそのピンクドラゴンを魔術の掛かった鎖で拘束して上に乗ってるジラルドの姿がそこにあった。
どうやら、どう見ても、捕獲したドラゴンを転移魔法でここまで連れて来たようだ。
「ジ、ジラっ……ピっ、ピンっドラっ……!?」
メルシェは驚き過ぎて、言葉らしい言葉が出て来ない。
そんなメルシェにジラルドは得意気に告げる。
「やっと見つけたよ~!ピンドラって特定の生息地を持たないから探し当てるのに随分手間取った。でもコイツの鱗から良質の魔力を補える薬が作れる。もちろん母体にも胎児にも安心して使える薬だよ」
その為にわざわざここまでドラゴンを!?
メルシェは頭を抱えた。
わかってる。
全てはメルシェとお腹の子の為にやった事だと。
メルシェは只今妊娠5ヶ月だ。
あの無理やり東方満喫アーから半年が経過していた。
イスラの顔にラクガキをした後、ジラルドは直ぐにメルシェを迎えに行った。
するとトキラが、自分はいつでも東方の国には来れるからもう帰る。後は二人で新婚旅行をすればいい、と言って先に国に戻ったのだ。(もちろんジラルドが転移魔法で連れて帰った)
じゃあせっかくなのでと、その後は夫婦二人だけで東方の各地を巡り、遅れ過ぎた新婚旅行を楽しんだのであった。
そしてその時、ハネムーンベビーを授かったという訳だ。
当然、メルシェもジラルドも喜んだ。
ジラルドなんて、みんなにも幸せのお裾分けと称して、王都の上空から花びらを降らせたほどだ。
「メルの好きな“トオヤマのプラさん”の花吹雪タトゥーと同じ花だよ♪」と言って。
手に取ると形は残るが地面に接すると雪のように溶けて消える神秘的な花びらを、王都の人達は珍しい体験が出来たと喜んだらしい。
しかし喜んだのは束の間、お腹の中の子が魔力を補おうとメルシェの生命力を奪い始めたのだ。
ジラルドの子であるが故に、お腹の子も高魔力保持者であった。
しかし子どもの内は自分で魔力を作る事や蓄える事はまだ上手く出来ないらしい。ましてや胎児となると尚更だ。
魔力量の多い母親なら自らの魔力を酸素や栄養と共に臍の緒を通して分けてやれるのだが、魔力が無いメルシェにはそれが出来ない。
なので魔力の代わりにメルシェの生命維持に必要なエネルギーや酸素を、腹の子が全て吸収し出したのだ。
そうなるとメルシェは体を起こす事も意識を保つ事も難しくなってくる。
幸い魔力量が桁外れに多いジラルドが毎日、自分の魔力をメルシェに輸力してくれて胎児の魔力不足は補えたが、今度はメルシェがジラルドの強い魔力に胸焼けならぬ魔力中毒を起こし、これまた起き上がれない状態になった。
悪阻よりも酷い吐き気で何も口にする事が出来ない。
メルシェは日に日にやつれていってしまう。
一体どうしたらよいものか……。
産科専門の医療魔術師の中には出産は諦めた方がよいのではないかと意見する者もいた。
しかし当然、メルシェは諦めたくはなかった。
お腹の子の為なら自分はどうなってもいいとさえ思った。
ジラルドはメルシェが魔力中毒を起こさず、尚且つ胎児に充分な魔力量の供給の調整に全ての労力を費やす。
昼夜を問わず必要に応じて少量の魔力を輸力する。
結局それしか対処はないらしく、ジラルドは片時もメルシェの側から離れなくなった。
――筆頭魔術師としての仕事もあるのに……。
それに仕事は一万歩譲ってとりあえずは置いとくとしても、ジラルドはまともに睡眠が取れていないのだ。
メルシェが眠っている時も常にメルシェの状態を確認し、見守る。
このままではいくらジラルドとはいえ体が保たない。
メルシェは困り果てた。
だけどそんな時、文書室の室長ギユマン=ギュメットが片っ端から古今東西、ありとあらゆる文献を漁り、魔力を補う薬がある事を見つけてくれたのだ。
大陸に数体のみ存在するピンクドラゴンの鱗を粉にしたものを飲めば、魔力のない母体が自らの魔力として胎児に分け与える事が出来るらしいと。
幸いジラルド所有の珍品コレクションの中にピンドラの鱗が数枚が有った。
それを早速粉にしてメルシェに服用させた。
すると本当に魔力中毒を起こす事もなく、メルシェは自らのエネルギーを魔力に変換する事に成功した。
そしてそれにより妊娠を継続出来るようになったのだ。
しかし、臨月まで飲み続けるにはピンドラの鱗の数が圧倒的に足りない。
だからジラルドは仕事そっちのけでピンドラを大陸中探し回り、ようやく見つけて王宮に連れ帰ったという訳なのだ。
それが今のこの状況である。
「ジラルド、何も本体ごと連れて来なくても良かったんじゃないのっ?暴れたらどうするのよっ」
メルシェが三階にある文書室の窓からジラルドに言った。
「ピンドラはそこまで凶暴な奴じゃないよ。ドラゴンにしたら小型だし。それにさ、こいつピンク色で可愛いだろ?メルに見せてやりたくて連れて来たんだ♪」
「連れて来たって……可愛いって、めちゃくちゃ怒ってる顔してるけどっ!?」
どうみてもピンクドラゴンの目は怒りに満ちている。
拘束が解けた途端に襲いかかって来そうだ。
「あはは☆この怒った顔がまた可愛いんだよな」
とそう言いながらジラルドはピンドラの頭をぺちぺち叩く。
ドラゴンはまるで目線だけて相手を射殺せるような鋭い眼光でジラルドを睨み付けていた。
おまけにガルルルッ……と唸り声も聞こえる。
口は鎖で縛られているけど。
突然現れたドラゴンを見ようと、騒ぎを聞きつけた王宮中の人間が集まり出している。
もしここでドラゴンが暴れたらどれだけの被害が出る事か……。
それなのにジラルドはこう宣うのだ。
「ねぇ、この子お家で飼ってもいい?」
ぷちん。
瞬間、メルシェは思わず発狂していた。
「いい訳ねぇだろうがぁっ!このどアホぅがっ!
そんな危険で巨大な生き物をウチのどこで飼おうって言うんじゃボケがっ!!」
「あはは☆ちょっと大きい犬だと思えばイケるイケる」
「イケるわけねぇだろっ!!
必要な枚数だけ鱗を貰うだけにしろっ!
そしてその部位をちゃんと治療してさっさと元の場所に返して来いっ!!その際にちゃんとドラゴンさんに『ありがとう、ごめんなさい』と忘れずに言えよゴル゛ァァッ!!」
ぶちギレメルシェの絶叫下町スラングが王宮内に響き渡る。
「え~……きっとイイ番犬ならぬ番ドラになるのにな~」
「いいからさっさと連れて帰れ゛っっーー!!」
結局ジラルドは
「ウチじゃ飼えないって……イイ人に拾ってもらうんだよっ……!」と言って泣く泣くピンクドラゴンを元居た場所に戻したそうだ。
もちろん臨月までに必要な数、6枚の鱗を頂戴し、その部位を再生させて。
そしてその夜、家に帰ったジラルドはしょんぼりしながらメルシェにこう話した。
「ピンドラもさ、俺との別れが寂しかったんだろうな、泣きながら追い縋って来たよ……『行かないで~!』って……」
「いやそれは絶対、離した途端に怒り狂って追いかけて来たんでしょ」
メルシェはジト目の半目でジラルドを見た。
その時にローブの裾が少し焦げている事に気付く。
メルシェの視線を裾に感じ、ジラルドは「ああ」と笑いながら説明してくれた。
「ピンドラのファイヤーブレスはなかなかに強烈だからな。ちょっとだけローブを掠っちゃった」
「…………」
さもなんでも無いように言うジラルドをメルシェは抱きしめる。
ドラゴンを家で飼いたいなんて突拍子もない事を言うような旦那だが、この世界で誰よりも自分の事を愛し、大切にしてくれる人。
夜も眠らずメルシェの手を握り、体調の変化が無いか見守ってくれた人。
ドラゴンを相手にして、危険に身を晒されながらも必要な薬剤を手に入れてくれる人。
そしてメルシェも、世界中の誰よりこの人が大好きで大切で、泣きたくなるくらい愛している。
「……ジラルド、わたし……あなたと離婚しなくて本当に良かった……ありがとう、別れたくないと頑張ってくれて」
想いを込めて、メルシェはジラルドを抱きしめた。
「メル……」
ジラルドもそれに応えるかのように抱きしめ返す。
「ありがとう、わたしの愛する旦那サマ」
こうしてメルシェはピンクドラゴンの鱗から作った薬により、無事に十月十日を乗り越えた。
そして魔力満ち溢れる満月の夜。
玉のように愛らしい男の子を出産した。
歓喜したジラルドが今度はフワフワとした光の粒を王都に降らせる。
その美しさに王都中の人間が心を奪われたという。
そして希代の魔術師、ジラルド=アズマの第一子誕生を皆で祝ってくれたらしい。
メルシェとジラルドは考えに考え抜いた末、
我が子に『ジルベール』と名付けた。
「ジルベール=アズマ、これは大物になりそうな名だぞ」
「ふふ、そうね。とりあえずあなたの子として生を受けて、平凡な人間にはならないでしょうね」
「それって褒めてくれてるんだよね?」
「さあ?どうでしょう」
「まぁいいや。次は女の子が良いなあ。メルにそっくりな可愛い女の子。小芋ちゃんの子芋ちゃん♡
楽しみだなぁ」
「ちょっ……気が早すぎ」
――やっとの思いでジルを産んだばかりだというのに全くこの男は……
まぁそんなところも愛しく思ってしまう自分もどうかと思うけど。
メルシェは腕に抱いた我が子と隣で蕩けるように甘い顔をしている旦那サマの頬にキスをする。
結婚し、初夜の後から2年間音信不通だったのが今では信じられないくらいだ。
あの出来事で常識という概念の無いジラルドの脳に、大切に想う人間との繋がり方、関わり方というものが刻まれたらしい。
相変わらず思いも寄らない奇行でメルシェを驚かすけれど、これからもジラルドと共に生きたいと願っている。
もう絶対に離れない。
彼がまた迷宮に潜るというのなら、今度は自分も付いて行こうか。
何故なら自分には強力な守護精霊が憑いているのだから。
まぁ現実問題、ジルもいるし、それに迷宮生活なんて始めちゃったら愛しのムギ様に会えなくなってしまう。
――だからそれは無理よね~なんて。
そんな取り止めもない事を考えながら掃除をしていると、アパートの外からジラルドがメルシェを呼ぶ声がした。
「おーいメルぅーー!」
メルシェは窓を開けて下を見下ろす。
アパートの前庭はわりと広い芝生の広場になっている。
花壇やベンチがあり、アパートの住人だけでなく近所の人達の憩いの場だ。
………その場所に似つかわしくない、三つの頭を持つ牛よりも大きな犬の姿をしたイキモノとジラルドの姿を視認……
メルシェは眩暈を起こしそうになるも必死に足を踏ん張り、耐えた。
そんなメルシェにジラルドが大声で告げてくる。
「ジルの遊び相手と今度こそ番犬に相応しいと思って、ケルベロスの仔犬を借りて来たー☆未来の冥府の番犬がウチの番犬なんて面白いだろーーっ?」
それを聞き、メルシェはニッコリと微笑んだ。
そして今日も今日とて絶好調な下町スラングがアパート周辺に響き渡ったのであった。
お終い☆
これにて完結です。
今回も沢山の感想をお寄せ頂き、ありがとうございました!
時代劇の話から昭和、平成の名優さん達のお話になり、大変楽しませて頂きました。(アルファポリスの方です)
ダイな賢者さん風でありながら、生身の人間らしい俗世っぽくて煩悩の塊のようなヒーローを書いてみたいな。
推し活するヒロインも書いてみたいな。
という作者の欲望から生まれたお話ですが、今回も沢山の方に読んで頂けて本当に嬉しかったです。
物語の終盤の方で仕事と家の方が途端に忙しくなるという状態になりましたが、なんとか書き上げられて良かったです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
誤字脱字報告、ありがとうございました。