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「おはようございますモコナ様。朝食の用意が整いました」
おっと、モコナの記憶を見ることに集中し過ぎたためか、夜が明けたことに気が付かなかった。寝室の扉がノックされ、いつものように執事長が起こしに来たようだ。
「今日は少し体調が悪い。食事は不要だ。午前中は寝ているから、しばらくは1人にしてくれ」
「かしこまりました。教会から回復魔法を行使できるマジックキャスターを呼びましょうか?」
「そこまではしなくてもいい。寝ていれば治る」
短いやり取りだったので、怪しまれたという事は…無いと思いたいな。とは言え、簡単にバレることは無いだろうが、いつまでもこの場所にいるというのも気が休まらない。折を見て抜け出すことにしよう。
寝室の透明度の高い、高級そうな窓ガラスを開け広げ屋敷の外を眺める。時折、警備兵と思しき兵士たちが庭を横切るがこちらの注意を向けるそぶりは無い。単に気が付いていないだけか、関わるのが面倒なので気が付いたうえで、あえて気がついていないふりをしているのか。
判断に迷うが注意を向けていないのならむしろ好都合と言うものだ。庭から人の気配が無くなったことを確認しネズミに擬態して外に脱出する。
広い庭を抜け、高い城壁を一気に飛び越え都市の中に逃げ込んだ。ここまで来れば一安心だ、当然ながら追手らしい人物もいない。
路地裏に入り、人の気配が無いことを確認して人間の姿に擬態する。流石にまだモコナが姿を消したという事実は気が付かれてはいないだろうが、それも時間の問題だろう。すぐにでも伯爵家の内情が知りたいが、俺が『支配』した人間が出仕するまでの辛抱だ。
あいつは今日は遅番であり、午後からの出仕となっていたはずだ。それまでにはモコナが姿を消したことを周囲の人間は知ることになるだろう。とりあえず今はすることが無い。冒険者ギルドにでも行って、魔物の情報でも確認しに行くとするか。
冒険者ギルドで周辺の魔物の討伐情報を仕入れた後、剣術の鍛錬をしていると『支配』した人間が出仕する時間になったようだ。伯爵家の様子は……いつもと変わらないな。当主が急に姿を消したんだぞ、何故手の空いた兵士で探さない?
……いや、探さないというより、探せないという事か。今回の襲撃事件はマリアーベ伯爵家の失政が原因だ。つまりこれ以上伯爵家の名を貶めるような、当主の突然の失踪という失態を表に出すことは出来ないという事なのかもしれない。
例え兵士たちに口止めをしたとしても、必ずどこからか話が漏れてしまうだろう。ならば当主が失踪したという事実を例え自家の兵士でも伝えない方が、情報が漏れないという観点では確実と言う事だ。
となると、単なる一兵士に過ぎない、俺が『支配』した兵士がこれ以上の情報を入手するというのは難しいだろう。多少無理をすれば少しは情報を得ることが出来るかもしれないが、わざわざ危険を犯してまで入手するほどの必要性は感じない。
『支配』した人間にいつもと同じような行動をするように指示を出す。
『支配』した奴隷商の職員を殺した、指示役のモコナは殺した。後は実行犯である憲兵たちの抹殺だ。ちなみにすべての憲兵がドミネイト・スライムが『支配』した人間の殺害に加担したというわけではなく、モコナに近しい憲兵の幾人かが加担しただけであった。
流石に不特定多数の憲兵に、そのような愚かな指示をだすということはしていなかったようだ。そんな指示を出したことが大衆に知られてしまえば、自身の地位を脅かすことになるから当然と言えば当然か。
実行した憲兵の情報はすでに『同化』したことで入手済みであり、後は行動に移すだけだ。
「頼む!止めてくれ、悪気はなかったんだ!俺もモコナ様に頼まれて仕方なく……!」
今、目の前で必死に命乞いをしているのはモコナの命によって、囚人を取り調べと言う名目でリンチして殺した、実行役の憲兵の最後の1人だ。
どうすればこいつらを苦しめて殺すことが出来るか考えた結果、取り調べに参加した憲兵を1晩に1人ずつ殺すことにしたのだ。媚びを売ることが得意でモコナからは気に入られていたものの、普段からの横柄な態度で同僚から恨みを買っていたこいつらは、リンチに加担した最初の2・3人が殺された段階では偶然が重なるもんだなぁ程度にしか思っていなかっただろう。
しかし被害が増えるにつれて、狙われているのが自分たちだと言うことに気が付いたときの恐怖は一入だったはずだ。そして最後に残ったこいつは、リンチに一番協力的だった奴だ。メインディッシュは最後に残す…ではなく、恐怖を感じる時間を長くすることが目的だ。
現在領主の体調不良という表向きの名目により、領主代行として頑張っているモキドに自分たちの罪を洗いざらい報告して、匿ってもらえばよかったんだけどな…どのみち罪を償う事にはなるが、俺に殺されることは無かったかもしれない。
自分が生き残った最後の1人になったことを知ったこいつは、職務を放り投げて都市の外に逃げ出した。『索敵』の能力でそれを知った俺は即座に追いかけて、人気のない場所で襲撃したという事だ。
「頼むよぉ、俺だって好きで殺したわけじゃないんだよぉ。モコナ様の命令に従わなかったら、今度は俺がひどい目にあったかもしれないじゃないかぁ…」
「って言う割には随分と楽しんでいたようだったけどな。確か『誰が囚人に一番大きい悲鳴を出させるか競争しようぜ』とか提案して、ノリノリだったじゃないか」
「あ、いや、それは…」
こいつらがリンチしていたのはドミネイト・スライムが『支配』した人間だ。情報は逐次入ってきたことで、誰がどのような拷問をしたのかすべての情報を持っている俺に言い訳は出来ない。
「そ、そうだ!金だ、金をやろう!お前を雇った奴の倍の金を払う!だから、どうか…」
「…金?あぁ、お前らがリンチして殺した囚人の遺族が、俺を雇ったと判断したのか。別に俺は金に雇われたというわけではないぞ。単純にお前らの所業を知って、殺したいと思ったから殺しに来ただけだ。それに金が欲しいならお前を殺してその遺体から剝ぎ取ったほうが楽だろうしな」
「そ、そんな…いや、待ってください!憲兵として長年働いたことで得た、数々の人脈も…」
「そんなすごい人脈があるなら都市からの逃亡と言う手段を取らずに、最初からにそちらを頼ったはずだ。つまり人脈も大したことが無いという事だ。これ以上の問答は面倒だ、じゃぁな」
首を跳ねる。今回の相手は小物であったが、そこそこの達成感を感じることが出来た。こいつの遺体をどうしようか考えていると、眷属から『任せてください!』と、念話が入ったので任せることにした。流石は俺、なかなかに気が利くじゃないか。




