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究極の自由

 不死は永遠、命は永遠とわ


 一般的に不老不死というものは神の御心に反するものであり、親兄弟や親しい友人は老いさらばえて亡くなってもその人だけは若いまま、幾度となく出会いと別れを繰り返し、それに絶望しても死ぬことも許されない、無慈悲な責め苦として創作では描かれています。

 しかし、あなたはこれに首を傾げたことはありませんか? 『何故この人だけが不老不死なんだ?』と。

 そうです。不老不死への憧れとは人類にとって呪われたものであると同時に夢そのものであります。夢というのは手が届かないもの。だから創作物では不死とは選ばれし者しかなれない特権という風に描かれてしまっています。

 ですから我々は不老不死を普遍的な誰でも手が届く当たり前のものとします。この錠剤を飲めばあなたは不老不死になれます。水銀じゃありませんよ。本当です。

 私はもう飲みました。ですからちょうどここにある拳銃で頭を吹っ飛ばしてみます。お子様はちょっとだけ目を伏せててください。

 (銃声)

 ……ほら、どうですか何ともありません。すごいでしょう。今のは合成ではありませんよ。本当の事実です。この錠剤を1粒飲むだけ。継続して飲む必要もありません。副作用もありません。たったこれ一粒であなたは悠久の時を生きられるのです。

 この映像を見ている老人の方は永遠にかわいいお孫さんと一緒にいれますし、これからいい人を見つけて結婚することだってできます。病気の人は病のせいで失った青春を心行くまで取り戻すことができますし、お子様は無邪気にどんな遊びをしたって大丈夫。

 何よりも家族全員が不死になれば永遠に一家団欒の素晴らしさを享受できるのです。それどころか人生で何度失敗したっていくらでもやり直すことができます。

 我々人間はいずれ死にますが、普段はあまり自分が死ぬことについては考えないようにできています。そればかり考えていては社会生活など到底立ち行かなくなるからです。

 でも、それは神の子として不自然なことです。天にまします我らの父が不死ならその子である私達も不死となるべきなのです。

 私の使命は天国に行くために善行を行うことでなく、この世界を天国にすることだと思っています。不死になればどんな苦痛も大したことはありません。そう、死の恐怖から解放された私達にもう恐れるものなどないのです。

 さぁ共に究極の自由へと漕ぎ出していこうではありませんか!


 ***


 あの製薬会社の社長がテレビの前でそう不死薬を紹介してから7年。日本は不老不死の人間で溢れかえっている。それもみんながみんな見渡す限り大学生のような若々しさで。

 あの後にさらに会社が若返りの薬も世に出したからだ。

 その影響で、数年前まで車椅子に座って脳出血の後遺症で口をずっともぐもぐさせていたような戦前生まれの老婆が、今では女子高生の姿で革のミニスカートを履いている。

 今すれ違った美青年だって本当は齢90のジジイかもしれないのだ。どうもあの若返りの薬は容姿を整える効果もあるらしい。僕の近くを歩く人間、みんな不自然なくらい若くて美形だ。 

 その不自然さは、例えるなら枯れることのない造花のようだ。ドライフラワーの方がずっと美しい。

 向かい側の路上で若い男同士が声を荒げて喧嘩しているが、片方は鉈でもう片方はアイスピックを持って互いに突き刺したり切り合ったりしている。見慣れた光景だ。

 赤信号、みんなで渡れば何とやらというように自分一人が不老不死になるのでなく、みんが不老不死になれば何も怖くないという触れ込みで発売されたこの薬物は、今や国民の90%がすでに飲んでいるという。

 飲まない理由としては宗教上の理由や製薬会社の理念に共感できないなど色々あるが、いずれにせよごく少数だ。

 継続して飲む必要がなければ値段自体も食パン1斤に満たないのにも関わらず夢の効能を得られる神薬。常識的に考えたら飲まない方が変だろう。

 だが、僕はこの不死の薬を飲んでいない10%の内の1人だ。

 この薬は副作用は確かにない。しかしそれは薬そのもの話であり、この薬を飲んだことで人間の心は荒廃してしまったという意味では、副作用は確かにあったと言える。

 まず、人は痛みを恐れなくなった。いや考えなくなった理解しなくなったと言うべきかもしれない。何をしても死ななくなったことで人は人を大切にしなくなった。己自身も他者も。

 宴会の余興で切腹や毒をあおるのはまだマシな方で、強盗や傷害事件はかつて人が死ぬのが当たり前だった時代に比べて40倍以上に増加した。いじめもより残酷に悪化し、大半の学生がリストカットをやるようになった。

 銃規制もなくなったことで銃声は日夜鳴り響いて安眠を妨害している。しかし、僕も護身用としてチーフスペシャルを脇下に吊るしている。

 最初、苦痛から解放されるのは素晴らしいことだと僕も思った。

 でも、痛みとは人間にとって危険信号であり、リミッターでもあったのだ。それがなくなったことで人間は文字通り箍が外れ、獣の如く他人というものを理解せずに欲のままに行動している。

 もちろん全員が全員とは言わない。不死になっても車は壊れるので赤信号で車は止まるし、動物や草木を愛でる人だって以前と変わらずいる。

 しかし、過労死がなくなったことでパワハラや長時間労働は免罪されるようになり、子どもが死ななくなったことで虐待も遥かに件数が増えた今の時代が幸せなものであるはずがない。 

 人の心は貧しくなり、夏でもどこか冷めきった空気が街を満たしている。不老不死になったことで人の心は死んだ。本来人間に許された範囲の残酷さを完全に凌駕している。

 街ゆく人々はみんな横目で僕を見ている。薬をまだ飲んでいないという意思表示で腕に黄色い腕章を付けているからだ。

 遊びで人を背後からバットで殴りつけるような人間も今日日珍しくない中、うっかり殺されたらたまったもんじゃない。

 僕みたいな人間もいるから一応殺人罪も六法全書にはまだ残っている。ただ死刑制度はなくなったので、死刑に代わる最高刑として中世の火炙りや串刺しのようなとにかく責め苦を与えるだけの残酷刑が復活した。

 ミミズだらけの部屋に7日閉じ込めるというのもあるらしい。石打を観衆にやらせるようなことも一部ではやっていると聞くが、やる方もやる方だ。

 そう、不死だから懲役も大した罰にならないのだ。むしろ終身刑なんて導入したら泣きを見るのは刑務所の方だ。そうなったら何しろ永久に囚人を養わなくちゃいけない。

 しかし、これもまた獣のやり方だ。不死だからその内反省もするだろうと犯罪者の更生を未来に丸投げし、ただ刑務官がストレス発散に拷問するだけに留めているとうのはどちらが犯罪者か分からない。本末転倒も甚だしい。

 すっかり荒廃しきった世界だが、これでもまだ不老不死が当たり前になってからまだ10年も経っていないのだ。つまりこれからもっと悪化していくということだ。

 仮にこれから不老不死になったとして、こんな気の狂った連中と地球最後の日まで共に暮らしていくと思うと怖気が走る。昔だって暴行や通り魔はそりゃ起きたが、今のように気軽にできるものではなかったし、みんな血を見ることだって嫌がっていた。

 不老不死になった人達もかつてに比べて明らかに治安が悪くなったことには内心気づいているが、この特権を授けて頂いた以上、会社に盾突くことは言えない。それは政府も同じだ。

 だが、人が不死になったからと言って地球上の天然資源まで無尽蔵になったわけではない。いつかは枯渇するのだ。

 それに戦争が始まったら両方の陣営で誰も死なないから、どっちかが折れるまで半永久的に戦い続けることになる。それによって環境も破壊される。

 地球はあと80億年は滅ばないというが、今いる人類もあと80億年生き続けるんだろうか。それともどこかで別の星に移住するんだろうか。

 不死薬を飲む人間にも大なり小なり事情はあるが、大体は終わることを恐れた人間が続きを見たくて飲む。でも、終わりが見えないというのもそれはそれで辛いだろう。

 いずれにせよ僕には関係ないことだ。少なくとも僕は僕のまま何も変わらずに死ねることを誇りに思う。

 僕がそう思って地下鉄の階段を降りていると、胸に変な違和感を感じた。不思議に思って手をそこにやると、赤黒い血がべったりと付着していた。

 振り返って上を見上げると、制服を着た高校生がベレッタを持って立っていた。その隣にはスマホを構えた女子もいる。どうやら悪ふざけで僕を撃ったらしい。薬の未飲者と気づかずに。

 足の力が抜けて、階段の踊り場まで僕は崩れ落ちた。

 普通なら傷を負った瞬間、怪我の度合いにもよるが長くても5秒以内に治癒するので、そうならずに倒れた僕を、撃った高校生含めて周囲の人間が怪訝な顔で取り囲んだ。


「あ。あれ? 変だなどうなってんだコイツ」


「ちょっとまずいよ。この人腕章付けてる。不死薬を拒否してる人だ」


「はぁ? 嘘だろマジかよ都市伝説だと思ってたぞ」


「君達これ殺人だぞ。しかも腕章をつけて意思表示までしてる人を殺したとなると罪は重いぞ」


「じ、じゃあどうすればいいんですか。嫌っすよ3日間ずっと火炙りなんて」


 何も聞こえなくなってきた。視界も灰色からだんだん黒く染まっていく。これが死なのか。今後誰もこの感覚を知ることなく生きていくのか。


「まぁ仕方ない。命あっての物種というしな。この人も死ぬよりも生きてる方を望むだろう。ちょうど余ってるのがあったんだ」


 消えかかる意識の中で、口の中に何かを入れられたことに気づいた。それが何なのか瞬時に理解して、残る力で吐き出そうとしたがその後に茶か水を口の中に流し込まれて無理矢理飲み込まされた。

 その途端に恍惚感に変わっていた痛みが元に戻ったかと思えば、それが嘘のように消え失せて視界も澄んできた。やがて周りの音もよく聞こえるようになってくる。

 自分も不老不死になってしまったらしい。奇妙な安心感があった。なってしまったものはもう受け入れるしかない。不思議と勝手に薬を飲まされたことへの怒りは湧いてこなかった。

 これで自分も何をしても死ねなくなったわけだ。何をしても死なないことは何をしてもいい。これが究極の自由ということなのか……。


 ***


「たった今世界人口92億人の内の89億人が不老不死となりました。そろそろ90億を超えますね。そして若返り薬を飲んだ人間の数は今現在73億8004万3586人です


「人間の数はあまりにも増えすぎた。このままでは戦争など起きなくても食糧問題や公害で我々は自滅してしまう。だからこそ人口増加を食い止めるための我が社の不老不死薬だ」


「ええ、最初は国民も半信半疑でしたが、各国の王族や首脳も飲んでからは速かったですね。何しろ何も対価を払うことなく不死身になれるのですから」


「だが、人を不死にさせて出生に強い規制をかけるだけでは足りない。92億人もの人口を養えるほど地球の容量は大きくないのだ」


「はい。それで社長は若返り薬を開発させたというわけですね。錠剤の中に埋め込んだ極小のマイクロチップ。我々がボタンを押せばそこから電磁波を流して不死薬の効果を無効にさせます」


「フン、不死薬というのは若さの前借りのようなもの。どんな病気や怪我も即座に治してしまうのはあくまで人間の自然治癒力を極限まで高めているからに過ぎない。薬の効果が切れたらそれまでのツケで身体は急速に老いるか腐ってしまうだろう」


「しかし、不死薬のおかげで我が社をすっかり信頼した民草は若返り薬をしっかりと飲んでくれました。これで国連が秘密裏に行っている人口削減プロジェクトも、ほとんど成功したようなものです」


「君の言う通りだ専務。しかし、不死になったことでこれほどまでに人が凶暴、無関心、無遠慮になるとは思わなかった。死が人間を高潔たらしめていたとは皮肉だ。ま、これで私も躊躇なくボタンを押せるというもの」


「その中で若返り薬を飲まない人間というのはまだ比較して今後の地球を担うのに期待できるということですね社長」


「お取り込み中失礼致します社長。国連事務総長から緊急のお電話です。恐らく……」


「ああ……はい。お待たせしました。私です。ええ……そうですか。了解しました。失礼します。専務、流石にこれ以上若返り薬を飲む人間が増えると地球の経済が成り立たないので、ただちに不死薬の効果を切って人口を間引けというご命令だ。君の家族は若返りの方は飲んでないだろうな?」


「ええ。無論です」


「では、このボタンを押すとしようか」


 カチッ。

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