表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇島(R-15版)  作者: 蛇迫沸嗣
蛇迫沸嗣の日記
2/23

八月一日

 私は奈神村で、両親と歳の離れた姉、菊と一緒に暮らしていた。私達の暮らす奈神村は、貧しく、人の少ない村だった。

 菊はとても美しい人であったが、歳が二十になっても嫁に行く気配は見せなかった。それどころか両親曰く、昔遊廓から菊を貰いたいと申し出があっても、絶対に売らなかったらしい。

 そして菊は喋らなかった。私が話しかければ身振り手振りで反応こそしてくれるが、一切言葉を発しない。それでいていつも作り物のように美しい顔をしていて、そんな菊の様子は、人形のように見えた。


 その日私は、両親と竹を切っていた。ぬるい風が吹いて顔がべたべたとする夏の日であった。完全な晴天は珍しいくらい蛇島の上には常に厚い雲があったが、今日は特別曇っている。鼠色の雲はもくもくと層を作り、その先にある太陽の光を一切通さない。だから、蛇島はこうも暗いのだ。

 気がつけば両親はいなく、私は竹林の中にどっぷりと入ってしまっていた。どこもかしこも竹だらけで、どこから来たのかすら分からない。今日の天気と元から薄暗い竹林のせいで、竹の向こうには薄暗い闇が蹲って見える。

 もしかしたら、一歩進めば崖から転げ落ちてしまうかもしれない。

 その事実は、私をその場に固定するには十分すぎる理由であった。崖から落ちれば、どれだけ泳ぎに自信のある大人であっても死んでしまうだろう。なぜなら、深く見える黒い海は、実際はほんのわずかな深さしかないからだ。引き潮になると、そこに地面があることが分かる。崖から落ちれば、まずはその地面に頭をぶつけて死ぬだろう。運良く頭以外を打ったとて、周りは海である。すぐに波に攫われて死んでしまう。地面が続いているのはわずかな距離だけで、なんとか深い海に飛び込むことができたとしても、その周りは崖なのだ。少なくとも、精神村の方までは泳がなくてはならない。

 そもそもこの崖から落ちた人で、助かった人はいないのだ。全員叫び声すら聞こえずに消えてしまう。死体も見つからない。

 それに、問題は崖だけではなかった。

 竹林の中には、蛇島の象徴となる湖があるのだ。その湖は、山をくり抜いたような深さである。こちらもまた崖のようになっており、湖の水位自体はかなり低く見える。が、この水の層の下には、底なしの沼が隠されているのだ。

 蛇島では毎年一人、神様への〝生贄〟を湖に投げ入れる。その生贄となる人は、犯罪者か、犯罪者がいなければ奈神村の老人だ。性別、年齢共に特に縛りはないらしい。生贄にされてしまうので、この島で犯罪を犯す者など一人もいなかった。例えそれがほんの一度の暴力でも、詐欺であってもだ。それによりこの島は平穏を保っているし、老人が増えすぎもしない。元々貧乏なこの島は、残酷なことに働けなくなった老人を養う力などないのである。生贄になる老人はそれを分かっているので、皆何も抵抗せず深い湖の中に沈められていた。

 だが不思議なことに、老人達の死体が精神村の川の方に流れていったことはないらしい。つまり、湖には沼があって、落ちてしまった人間はその中に飲み込まれて死んでしまうのである。

 島の人々は、それを〝蛇神様が食った〟と言う。

 生贄を湖に投げ入れた場合は〝蛇神様に捧げた〟と言い、不慮の事故で人が食われた場合は、先程述べたように〝蛇神様が食った〟と言われる。

 ……私は、蛇神様に食われたくなどない。

 そう考えてすぐ、あることを失念していたことを思い出した。

 三角形の頂点に達するまで、土地は一度も下がる事なくどんどん盛り上がって行くのである。つまり、斜面を下っていけば竹林から出られる。湖の近くは僅かに竹が切られて開けているので、気をつければ大丈夫だろう。

 そう考えて私は歩き始めた。

 思えば、今まで一人で竹林の深い部分に入ったことなどなかったのだ。足元に気をつけながら竹の間を縫って歩いていると、僅かに左前が明るく見えた。竹林を抜けられたのだろうかーー


 ばしゃんっ。


 打ち寄せられた波の粒と潮風が私の顔に当たる。私はあと少しで、崖から落ちる所だったのだ。

 どうやらいつのまにか方向を間違えて、左側へ寄ってしまったらしい。蛇島はほぼ川で半分に割られており、向こう側に渡るには橋を渡らなければならない。つまり蛇島は、村で上下に分かれ、更にそれを川で左右に分けている。本土から見て奈神村を上、精神村を下、更にそれを左右で分けるとするならば、私の住んでいる所は上の右になる。

 私は両親と一緒に竹を取りに行くのに、橋を渡った記憶はない。ということはまだ島の右側ーー当時の私から見れば左側だがーーにいたことになる。それを、見通しが効かない竹林の中、竹を避けながら歩いたが為に左側に寄りすぎてしまったのだ。

 しかし右側に寄りすぎていれば、今度は川に落ちていた。

 当時の私はそんなことで頭をぐるぐると回らせ、顔を塩でべたべたにさせていた。

 このまま崖の際を、竹を掴みながら歩こう。

 考えた末、この結果に達した。こうすれば迷わない。そして用心をして、竹を掴みながら歩くのである。

 この作戦は上手く行った。しばらくすると竹がまばらになり、竹林を抜けて、民家が見えてきた。そこからは私のよく知っている道筋で、一直線で家まで帰ったのだった。

 はあぁと息を吐く。知らぬ間に随分緊張していたみたいだ。

 家に帰ると菊だけがいた。両親はいない。

「菊姉、父さん達は?」

 菊はゆっくりと振り返ると、首を横に振った。そして、玄関の方に行き外に出てしまった。私もいそいでついて行く。見れば、菊は精神村の方を指差していた。

「精神村? 僕、さっき一緒に竹を切ってたんだけど。急に行っちゃったの?」

 精神村に行くだなんて、何かよっぽどのことがあったのだろう。

 そんな私の心境を知ってか知らずか、菊は指を微かに動かして、大きな建物を指差す。遊廓だ。

 菊が何を考えているのかは、相変わらず全く分からない。

「まさか父さん、僕達がいて、しかも貧乏なのに、遊廓に行っていたとか?」

 菊は黙って、家に入ってしまった。追って入ると、菊が料理を作り始めた。

 パチパチと火の音がする。私に背を向けた菊のうなじが鱗のように青白く光っている。両親も私も、美しいとは言えない、なんとも平凡な顔立ちをしていた。奈神村は貧しいので、私達はお腹いっぱい食事を食べることすらできなかった。それでも、菊はたっぷりとした濡羽色の髪に、化粧をしたかのように真っ白な肌をしている。

 でも父は濃く黒い髪を持っているし、母は外で働いてもなぜか焼けない白い肌を持っているので、遺伝なのだろう。

 私が両親と似ている所と言えばなんだろう。

 表情だろうか。そういえば、父はよく私と母の笑い方が似ていると言っていた。

 しばらくぼーっとしていると、玄関が開く音がして、酒と懐かしいような香りが入ってきた。

 (かご)に竹を背負った両親である。

 帰ってくるなり父は、私の顔を無表情で数秒眺めると、菊の方を振り向き「ただいま」と言った。

 菊も「お帰りなさい」と言いたいのか、深々と頭を下げる。いつもと空気が違ってなんだか怖い。

 その後四人で昼食を食べて、特に遊廓に行ったことには触れずに夜を迎えた。


 その時の私は、これから今までの人生の全てが覆されるようなことが起きるなど、全く知らなかったのであるーー。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ