八月十五日
父の目的はなんだろう。出目金に殺されそうになった宗治を菊と入れ替えるのは仕方なかったとして、今になってわざわざ面倒な入れ替わりをやっているのはなぜなのか。犠牲が少ない方が、当然父にとってもいいはずである。その分過去の犯罪が暴かれる可能性も減るのだから……。
そもそも私は細かい時系列がよく分からない。出目金の母が身投げしたのが何年前で、遺書が見つかり宗治が菊と入れ替わったのは何年前なのか。私が産まれて海原家に預けられたのが、この二つの事件の間にあるはずなのだ。おそらく父は、その時に菊と宗治が似ていることを知った。その入れ替わりは宗治を生き残らせるための、急ごしらえのものだったのだろう。おそらく今起こっている入れ替わりは計画的なものだ。菊と宗治の入れ替わりがばれないうちに、着々と人を殺して入れ替わっている……。海原家の両親は、父と宗治からすれば邪魔者でしかない。そして朱文金も、宗治を呼び寄せる時の邪魔者なのだ。同じ顔の人物が二人いれば、遊女や村人達は当然噂する。そのほとんどは幽霊だの妖怪だのと言うだけだろうが、一部には過去の事件と結びつける人間がいるだろう。出目金なんなは、殺人を行なっているだけあってそれに気がつくかもしれない。そうなるとまた宗治が命を狙われかねない。だから、邪魔者は全て殺した……?
父は宗治の命をなんとしてでも守りたいのだろうか。
正治と宗治。私の名前――沸嗣――。この名前は、本当の意味を隠しているのかもしれない。
私の本当の名前は、贄継……?
そうであると決まった訳ではない。ただ、どう考えてもこの名前は特殊だと思うのだ。普通沸嗣という名前を、どういう意図でつける……? こんなに曰くのありそうな名前を、大事にしている時期当主の息子につけるだろうか。むしろ、宗治という名前の方が明らかに親子だと分かる。
ただ、沸嗣が〝贄継〟から取られたんだとしても、意図が分からない。〝生贄を継ぐ〟という意味なんだろうか?
でもどうして? 生贄なんて、父なら好き勝手できそうなものだ。それを名前にするなんて、「次の生贄はこいつだ」と周りに言いふらしているものではないか。
……それが目的だとしたら……。
どこかの地域では、男児が魔物に殺されないように、ある一定の年まで女のふりをすることがあるという。そうすることで成長することができるとかなんとか。例えば、宗治が幼い頃から体が弱かったとしたら。葦登の言うように、顔が隠れて見えない程の髪の毛だ。元気な人間なら、顔が隠れるまで髪の毛を伸ばすなど怪しく見えるだろう。
宗治の虚弱体質を、父が蛇神様の祟りだと受け取ったとしたら? 蛇神様が宗治を生贄として欲していると受け取ったとしたら?
その対象をずらす為に、私の名前を〝沸嗣〟にしたのだとしたら……。
私はそれこそ生贄だ。宗治を安全に当主にさせる為の。
そんなに大事にして育てた宗治を、父が朱文金のふりをさせたまま、あの海原家で生涯御隠居生活をさせる訳がないだろう。つまりこれから起きることは何か。
きっと、宗治が何者かとして遊廓に戻って来る。
邪魔者は殺される……。なら、私は……?