表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇島(R-15版)  作者: 蛇迫沸嗣
ドッペルゲンガー
15/23

八月十三日

 今日は朱文金が正式に遊女を引退して、父と結婚し、私の()()()()になる日だった。

 今朝の本館の喧騒は、特に物凄かった。(いや)そうに顔を(しか)めている者、悔しそうにしている者、楽しそうに談笑している者――。

 しかし私は、特に三人の遊女が気になった。錦鯉(にしきごい)出目金(でめきん)葦登(よしのぼり)である。錦鯉と出目金は期待を含んだ表情をしていて、葦登はまるで死んだように無表情だった。葦登に関しては全く分からないが、錦鯉と出目金に関してはなんとなく理由が分かる。

 別館の特別室は、一番人気の遊女が使うのだ……。朱文金がいなくなったから、別の遊女の手に渡ることになる。となれば、人気の錦鯉か出目金が妥当だろう。現時点では錦鯉よりも出目金の方が人気だったはずだ。私としても、あの性格が悪い錦鯉が自分の部屋の上に住んでいるのは気が重い。

 ――ただ。

 私は葦登の方をちらりと覗き見た。葦登の言う通りならば、出目金が上に来れば――人殺しと部屋が近づくということだ。もし本当に、私の身に危険が迫っているんだとしたら?

 まずいんじゃないか。

 出目金に私は殺されてしまう? いや……。正直、あまりその状況は考えられなかった。出目金が人殺しには見えなかったのだ。それでも、心のどこかで疑っている自分がいる。かと言って葦登が私に嘘をついたとも思えなかった。

 あの自暴自棄になった感じが、果たして演技で出せるだろうか。もしかしたら遊女だから可能なのかもしれないけれど……。私が赤前垂れに混じって食事の準備をしていると、遣り手婆がやって来た。

 錦鯉か――出目金か――?

「葦登、ちょっと来なさい」

 結局別館の特別室に入ることになったのは、葦登だった。


 その後、引っ越しが始まった。朱文金の持ち物を全て移動させ、葦登がそこに入れ替わりで入ったのである。この遊廓に部屋がないことから、朱文金は奈神村の家に別居するらしい。その家がどこで、どんな家なのかは想像がつかなかった。

 意外なことに、錦鯉はあまり悔しそうな様子ではなかった。逆に葦登と出目金の方が、信じられないといった様子だったのだ。

 私は部外者なので様子を聞くことはできず、一人悶々としていた。

 それについて一人で考えても仕方がないので、朱文金と菊について考える。

 どうして朱文金と菊の顔がそっくりなのだろうか? そのことは、私以外誰も知らないのだろうか?

 朱文金と菊の顔がそっくりなのは、普通に考えたら()()()()()()()()()()以外に理由はないだろう。そもそも朱文金と菊の血が繋がっていて、私が本当に父――正治と朱文金の子なら、菊とは親戚ということだ。

 そこで、私はある可能性に思い至った。

 私の海原家の母と、朱文金が姉妹だったとしたら……?

 そうだとしたら辻褄は合う。母と朱文金は顔が全く似ていないが、似ていない姉妹などこの世にいくらでもいるだろう。母と朱文金は姉妹で、目が見えず美しかった朱文金は遊廓に売られた……。そのお金で母達は生活し、結婚して菊を産んだ。数年後、朱文金と正治の子である私が産まれ、私は海原家に預けられる。こう考えれば、菊が朱文金と異様に似ていること、血が繋がっていないはずなのに私と母の笑った顔が似ていた理由が説明できる。

 それに、母が朱文金と姉妹なら、私をこの歳まで預ける家に海原家を選んだのも納得する。

 しかし気になることがあるのだ。朱文金は、そもそもどうやって、客を取りながら私や兄を出産したのだろうか。いくら正治に贔屓されてるからといって妊娠の休暇など取れるわけがない。流石に出産の数日は取れるかもしれないが……。

 もしかしたら、妊娠で行水の休暇がなくなる分、それを出産用の休暇に追加していたのだろうか。なんにせよ、稼いでいる上に楼主である正治に贔屓されていたからこそ出来た芸当だ。

 お腹の膨らみをどうやって隠していたのかは知らないが、闇に乗じて上手くやっていたのかもしれない。

 ここまで考えたところで、再び葦登のことが気になってきた。葦登は朱文金がいなくなった今、三番目に人気の遊女のはずである。しかし、二番、三番の出目金と錦鯉を差し引いて特別室に入ることになったのだ。やっぱりこれは、異常なことじゃないだろうか。

 父の意図?

 例えば、父も出目金の母親が身投げした件で恨まれており、出目金に命を狙われている――だから近づけたくないとか――。錦鯉は、私はただ単に性格が悪いから嫌なだけだが、実際に関わるともっと実害のある人物なのかもしれない。だからこそ無害な葦登を特別室に置いた……?

 悶々としている所に、ぴしゃりと襖が開いた。

 葦登だ……。

「特別室まで来なさい」

 私は頷くと、すぐに後を追った。何か情報をくれるのだろうか。

 階段を登り、あの襖を葦登が開けると、ぱっと広い部屋が見渡せる。壮観だ。

「分かったの……。あたしがここに入れた理由が」

「ど、どうしてですか」

「そもそもこの部屋は、一番人気の遊女が使う部屋じゃなかったのよ」

「え……」

 驚愕する私に葦登は畳み掛ける。

「錦鯉姐さんは知ってたみたい。遣り手婆に聞いたんだけど……、かつて一回だけ、錦鯉姐さんの売上が朱文金姐さんを上回った月があったらしいの。その時、錦鯉姐さんは部屋のことを遣り手婆に聞いたんだそうよ。でも却下された……。なぜなら、この部屋は一番人気の遊女の部屋ではないから」

「じゃ、じゃあなぜ錦鯉さんは入れなかったんですか?」

「あんた知らないの? 姐さんは覗きと盗み聞きの癖があるのよ。だから特別室には入れてもらえないの。きっとあたしに恨みを持ってるわけじゃないんでしょうね。おそらくは姐さんの覗きを告発した人を恨んでる」

「告発した人……?」

「ええ。姐さんの覗きは暗黙の了解で、ここの遊女達は全員知ってるわよ。迷惑だけどそのことを他言したら、逆恨みで何されるか分からないじゃない。ただそれを、入ってきたばかりの小夏……鮎が、うっかり遣り手婆に言ってしまった。姐さんが鮎をいじめるのなんて何度も見ているわ。今回の失踪も、ついには鮎を殺したのかと思った」

「錦鯉さんが……」

「でも違うのよね。そんな雰囲気じゃなかったから」

 葦登があっさりとかわしたことが、まるで「鮎が自分で逃げた」と分かっているようだった。

「葦登さん、この前兄のことを〝男女〟って言ってましたよね? あれはどういう意味だったんですか」

「ああ、あのことね……。あいつは髪が長くて顔を隠してたのよ。でも、その髪の下の顔が朱文金姐さんにそっくりだった……。要は、女みたいな顔だったの」

「そのことを知っている人は他にもいるんですか?」

「さあ。正治様とあたしくらいじゃないかしら。ひょっとしたら遣り手婆も知ってるかもしれないけど」

「そう……ですか」

 葦登は何か気になったような顔をしたが、すぐに初めて会った時のように顔を背けてしまう。私が声をかけても一切反応しなくなったので、部屋に戻る旨を伝えて出て行くことにした。

 本館をうろついていたら、出目金に出会う。いつもの出目金だ。

「あら坊ちゃん……。聞きました? 特別室のこと」

 この様子だと、出目金も遣り手婆か錦鯉に説明されたのだろう。葦登に説明されたことを知られるとまずい気がするので、ここは適当に誤魔化した。

「聞いていません。やっぱり、何か理由が……?」

「そうですか。遣り手婆に聞いたのですが、本当はここ、一番人気の遊女しか入れない部屋ではなかったみたいなんです」

 その後出目金の説明を一通り聞いて、私は問いかけてみた。

「でも、どうして葦登さんなんですかね?」

「……さあ。私にはさっぱり分かりません。でも最近の葦登は朱文金姐さんに似てきているから、お客様への配慮なのかもしれませんね」

 出目金は特に悔しがる様子もなく、笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ