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蛇島(R-15版)  作者: 蛇迫沸嗣
人間消失
12/23

八月九日

 吉住の旦那が消えた頃に起こった漁場での火事。その間、住民のほとんどはそっちを見ていたんじゃないか……? 

 事件現場の座敷は川の上。少しずれているとはいえ、死体を川に投げ込むことはできるだろう。この深い沼のような川になら、死体は跡形もなく沈んでしまうんじゃないか。

 例えば鮎が吉住の旦那を殺したとして、死体の処理をして〝消えた〟ということにしないと、重い罰が下されてしまうだろう。例えどんな精密な計画を立てて鮎が殺したとバレないようにしたところで、容疑がかかれば処罰される可能性はある。だからそもそも死体を残さなかった?

 ここまでの情報だけで仮説を立てると、まず鮎が吉住の旦那を殺して、火事で住民の意識が逸れているうちに死体を川に捨てる。次に鮎は食事を運んできた誰かに「旦那様が消えた」と言う。そして真夜中、鮎が私の部屋にやってきて私と交わる。わざと私に自分が窓の外から覗いている所を目撃させ、私に鍵を閉めさせて密室を作る。

 その後どうにかして島から脱出した――。

 これくらいだろう。そしてまだまだ分からないのが、鮎がどうやって島から出たかだ。まだ島から出たとは確定していないものの、この狭い島で遊廓から足抜けして、罰を受けずに逃げ続けるなど不可能だろう。鮎もそれを分かっていたはず。だからこそ、島から脱出したはずなのだ……。

 そもそも鮎が吉住の旦那を殺したかどうかは分からない。もしかしたら本当に〝消えた〟のかもしれない。それに、鮎の島からの脱出は相当計画的なものに思える。それなのに私の立てた仮説で考えると、「吉住の旦那が消えた」という前提を作るのに漁場の火事が必要になってくるのだ。計画的な犯行に、運の要素が絡まってくるとは思えない。かといって咄嗟にやった殺人だと、それこそ上手く出来すぎていると思うのだ。

 そうしたら考えられる可能性は、協力者がいるということ。漁場に火をつけられて、鮎が逃げる為の船を用意できて、鮎の提案を受け入れてくれるような口が固い人間……。

 そんな都合のいい人物などいるのだろうか。いるとすれば、鮎と長い時間を共にした人物? 家族とかだろうか。いやでも、鮎を遊廓に売るくらいだから信頼関係はあまり良くないのかもしれない。

 そもそも私は、鮎がどんな家の出かも知らない。

 でも、漁師に協力者がいたとしたら……?


 私は玄関で下駄を履き、外に飛び出した。分厚い雲を突き抜ける太陽の日差しが、嫌な感じに暑い。べっとりした潮風が吹いていて、髪の毛が(ひたい)に張り付いた。

 無断で遊廓を出たけれど、いいのだろうか。

 注意されたらやめればいいか……。

 そう考えて私は漁場を目指した。精神村は、奈神村よりもずっと活気がある。子供達が走り回っていたり、女性が立ち話をしていたり――どれも奈神村じゃ滅多に見られない。

 そうして二十分ほど歩いていると、漁師達が使う小屋が見えてきた。一部が黒く焼けている。

 ここまで来たものの、鮎の協力者のことを聞くにはなんと言えばいいのかまでは考えていなかった。

 普通に聞いたら、遊廓の関係者だと思われて本人が出てきてくれないに決まっている。カマをかけて探ってみたらいいのだろうか。

 私は一か八か、近くにいた漁師に声をかけてみることにした。

「すみません、﨓中(たぶなか)さんの親戚の人って今どこにいますか?」

 若い漁師は一瞬驚くと、

「浅海さんのことか?」

「はい、そうです」

「さっきまでここら辺にいたんだけどな……。ちょっと待ってろよ、坊主」

 そう言ってにかっと笑うと走り去ってしまった。これで親戚じゃなかったり、疑われたりすればまずかったが、あの漁師がすんなり信じてくれて助かった。浅海……。やはり、鮎には漁師の親戚がいたのだ……!

 少しの間立っていると、建物から顔に深い皺が刻まれている老人が出てきた。後ろには、暗い顔をしたさっきの若い漁師がいる。怒られたのだろうか。

「名前は?」

「……に、沸嗣です……」

「へー、にえつぐぅ? 変わった名前だな、親に付けられたのか」

「お前は黙ってろ」

 若い漁師は肩をすくめて黙り込む。

「わたしゃ小夏のことなら何も知りませんよ、お引き取り願います」

「僕の名前を知っているんですね」

 老人は顔を顰めて、

「……おい、お前はちょっとあっち行ってろ」

 若い漁師にそう言った。

「はあ、まあ分かりましたけど……」

 若い漁師はとぼとぼと建物に入って行く。その背中が見えなくなってから、私は老人に話しかけた。

「確かに僕は遊廓の関係者ですけど、このことは誰にも言うつもりはありません」

「そりゃあ信用できませんな」

「僕はこの事があろうがなかろうが……他人に小夏さんのことを言うつもりはありませんが、小夏さんはとても頭のいい人でしたよ」

「ほう、そりゃまたどうしてですか?」

「浅海さんは小夏さんと親戚なんですよね。聞きたくないことかと思いますが……」

 耳打ちしろと身振りで示されたので、私は小声で昨夜のことを言った。

「……そうでしたか」

 私は夜這いのことを話した。老人は暗鬱とした表情をしながらも、何かに納得しているように見える。

「ですから、僕はこのことを他の誰にも言えません。それに、小夏さんを追うつもりもありません」

「それじゃあ、あなたがなぜここに来たのか聞かせてもらいましょうか」

「浅海さん、あなたは小夏さんの協力者ですね?」

 老人の細い目が怪しく光った。口元の白い髭を撫で付けている。

「協力者だったとしたらどうされます?」

「僕が納得するだけです」

「そんなんじゃあ教えられません」

「……それじゃあ、嘘の証言をします」

「嘘の証言……?」

 私は覚悟を決めた。またしても、一か八かだ……。

「浅海さん、あの晩小夏さんは人を殺したんじゃないですか? あなたが火事を起こして、精神村の人達の注意をこちらに向けさせた。その隙に小夏さんは、死体を川に投げ入れることができた――」

 老人は試すように私の目を見ている。

「僕はどうやって小夏さんが島から逃げたのか知りたいんです。教えてくださったら、小夏さんが有利になるような証言をします。小夏さんはもう本土に辿り着いているかもしれませんが、それでも捜索が本土に及ばない方がいいでしょう。教えてくださらないのなら、昨夜のことと僕の考えを遊廓の関係者に話します。

 老人は、ため息を吐いた。


 「昨夜の火事で、船が一艘(いっそう)灰になりました」

 老人は座り込み、私の方をじっと見ている。その目は明らかに、これだけの判断材料で私が分かるかどうか試していた。

「今から行けば、まだ間に合います」

「えっ……?」

「まだ引き潮です。あなたは証拠を確かめることができる」

「証拠って……、小夏さんの……」

「これだけ言っておきましょう。私と小夏は確かに共犯者でした。あなたの推理は間違っていない。

 ……お分かりになりましたか。それではあなたは、これから行く場所にある証拠を処分してください。終わったら、それは海に流して構いません。間違ってもここに戻さないように」

 老人は小さなツルハシのようなものを私に持たせた。

 私は首を縦に振ると、急いで小屋を出て奈神村へ向かった。走る私に、村人達が振り向く。

 遊廓を過ぎると、懐かしい景色が広がっていた。

 ――奈神村だ!

 我が家に帰ってきたような安心感に襲われて、思わず歩を緩める。しかし急がなければ引き潮でなくなってしまう。大きく息を吸い、再び私は走り出した。

 べとべとした潮風、息の詰まるような厚い雲、生えっぱなしの草木。民家はまばらにしかなくて、村の奥は竹林に飲まれている。どこを見渡しても、十五年間、私が住んでいた奈神村だった。

 今まで行ったことは無かったが、港へ行く階段が端に見えた。白っぽい岩でできた階段である。私は駆け寄って下を覗いてみた。

 黒い海が見えたかと思えば、冷たい風が下から吹き上げる。海は穏やかで全てを飲み込んでしまいそうな様子だった。木の囲いが付いているとはいえ、この階段から降りるのは正直怖気付いてしまう。

 でも、鮎は――小夏は、ここを降りたのだ。ここを降りれば、小夏が島を出た証拠を見ることができる。

 私は潮風を胸いっぱいに吸い込んで、吐いた。何度かそれを繰り返すとようやく足を踏み出す。左腕が島の岩肌にくっつくくらい近づいて階段を降りた。

 一段降りるたび気温が低くなっていくのを感じる。

 一番最後の段を降りると、引き潮で露出した足場に移動する。岩でできた足場はしっかりしており、ここにも横に木の囲いがある。満潮になったらこの足場は水に呑まれるのだろうか。

 足場の上を進むと、左手に島の岩肌が大きく抉れて、中に船がとまっているのが見えた。これがあの洞窟だろう。奥には小屋のようなものがあり、人影が見えた。見つかったら用を聞かれるかもしれない……。

 でも、洞窟の中を通らないと向こう側の足場には辿り着けない。船が出られるように、洞窟の前には足場が無いのだ。私は足場の通りに洞窟の中へ入った。穏やかな水音と、水が滴る音が聞こえる。私の足音が足元からではなく周りの空気全体から聞こえて、変な感じだ。

 洞窟の一番奥に着き、広くなった足場には小屋があった。小屋の中から人の気配がする。私はそこを足早に通り過ぎた。

 洞窟(どうくつ)から出ると、足場はあるものの、もう木の囲いは無い。小夏が見たであろう景色と重ね合わせながら、慎重に歩を進めていく。

 もう少しで〝証拠〟が見つかるはずなのだ。

 何度も冷たい風が吹き上げて、冷や汗をかく。そうして島の角まで辿り着いた。岩肌に背中を投げ出しながら、首だけがくんと下げて必死に足場を凝視する。船を繋ぎ止めていられるくらいの穴……。


 ーーそうしてついに、私はそれを見つけた。


 足場に相当頑張って作られたであろう穴がある。私の推理は、合っていた――!

 まず小夏は、自分が見世に出される前にあの老人と会って計画を立てた。その計画は、前半部分は私がさっきあの老人に説明した通り。浅海氏が火事で注意を引きつけて、その隙に小夏が死体を遺棄したのだろう。しかし浅海氏は、事前に()()()を作っていた――そしてそれを燃やして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 本物の船はどこか別の場所に隠しておく必要があった。かといってこの断崖絶壁の奈神村に船を置いておく訳にはいかない。人口が多くて見つかってしまうから、精神村に置くわけにもいかない。誰にも見つからない、なおかつ小夏がすんなりと行ける場所に船を置いておく必要があったのだ。その隠し場所に、この引き潮にしか現れない足場はぴったりだった……。

 おそらく、浅海氏は必死でここに船を固定したのだろう。そうして、これを見つけた私がやることはただひとつ。

 私は貰ったツルハシで何度も何度も穴を削った。足場がなめらかになるようにならす。曲線にはならなくても、船を固定できる穴だと分からなくなればいい。

 ――そうこうしているうちに、海水がうっすらと足場にかかって来る。そろそろ潮時だろう。

 私はツルハシを海に捨てて、来た道を戻った……。


 島に戻る階段を登っている時、上から漁師と思われる人間が降りてきた。私の顔を見て、信じられないという顔をしている。……何かバレたのか……?

「ぼ、坊主、お前いつからここにいた?」

「いつって……。さっきからいましたよ」

 漁師はますます信じられないという顔をする。

「何をやっていた」

「こ、ここの洞窟が見てみたくて……勝手に入っちゃ駄目でしたか?」

「……それは別にいい……。そうか……。俺の見間違いかな。さっき竹林のあたりに、お前と全く同じ顔の奴がいたんだよ。でもそいつと服は違うし、本当に単なる俺の見間違いのようだ。呼び止めて悪かったな」

 私は壁に張り付きながら漁師とすれ違った。同じ顔の人間……。私と、同じ顔……。

 それが妙に引っかかる。

 すっかり島の上に出て、生い茂る雑草を踏みつけながら私は考えた。初めて遊廓に来て自分の部屋に入った時、見つけてしまった埃の乱れ。まるで誰かがさっきまでそこにいたかのような……。確か、あの時手形が見えたんじゃなかったか。ちょうど私と同じくらいの大きさの――。

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