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可愛い人  作者: 山口にま
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それぞれの憂鬱

二人の気持ちは破裂寸前だった。二人はどちらともなく誘い合い、人目をしのぶ場所へと移った。暗い部屋の二人。晶はまだ迷っている。小百合は唇を強く噛み締めて俯いていたが、やがて大きく息を吐くと勢いをつけて晶の胸に飛び込んだ。女の体は柔らかく暖かかった。晶は逡巡した後小百合を抱き寄せる。

そこからは小百合の決断は早かった。自分で衣服を解いて行き、レースをふんだんに使ったキャミソール姿になると晶の手を自分の体に導いていく。

「桶川さん、僕やっぱり…」

まだためらっている晶の唇を小百合は自分の唇で塞いだ。

小百合の勝ちである。晶は小百合と共にベッドになだれ込む。もはや小百合の愛撫に身を任せるしかなかった。


小百合は浴室で熱いシャワーに打たれていた。そこへ入っていく晶。

「やめて!」

小百合は鋭く言って自分の体を腕で隠し、背中を向けた。

「どうして隠す」

晶は小百合に近づき、半ば強引に彼女を自分の方へ向かせる。

「だってこんな明るい場所で・・・」

「さあ見せるんだ」

晶は男の力で小百合の腕を体から剥がし、その裸体をさらけ出させた。小百合は強く目を閉じてこの屈辱に耐える。

これは罰なんだ、私が徳永さんを愛してしまった罰。

晶の太く長い指は遠慮なく小百合の体を探っていく。その恥知らずな指が下半身の秘密へと踏み込もうとした時、小百合は大きな声を出した。


「駄目ぇ!」

「うわぁ!」


二人は同時に跳ね起きた。

しかし晶は一人のアパートで、小百合は隣で夫が眠る寝室で、だ。

「夢・・・・」

ホッとしたような物足りないような気持ちで息を弾ませている小百合を夫は心配そうに見つめる。

「大丈夫?随分うなされていたけれど」

「うなされていた?」

甘美な声を出していなかったかと小百合は気が気ではない。

「まだ二時半だよ。寝なさい」

小百合は夫の腕枕に頭を預けて目を閉じる。最近夫婦はまた同じ部屋で眠るようになったのだ。小百合は夫の手に自分の手を重ねる。夫は小百合の手を握り締めた。

違う、この手じゃない。あの大きな手は紛れもなく徳永さんの手だ。 いや、この手だったのか。夢の中で体を触られた感触はいつまでも小百合に残り、小百合は朝まで何度も異夢を結んだ。


その頃晶は反射的にベッドに小百合がいない事を確かめる。夢か・・・・。

「夢で良かった」

ひとりごちて晶は再びベッドに身を沈める。晶は連日残業続きで一時過ぎにやっとベッドに入れたのだ。淫靡な、しかも中年女性相手の淫靡な夢で短い睡眠を邪魔されてたまるものか。


でもどうして桶川さんの夢なんか見たんだろう?俺、本当に疲れているんだな。


翌朝、二人は朝の挨拶以外に言葉を交わすことはなかった。しかしそれはいつもの事だった。晶は小百合の唇を、小百合は晶の手を盗み見る。今日の晶は小百合が「公務員」と呼んでいる、白いワイシャツに何の変哲も無い灰色のスーツ姿だ。

晶はやおら立ち上がり、

「僕出掛けます。今日は帰りません」

と告げ、ホワイトボードに取引先の社名を書いて出て行った。八代の名前こそ書いていないがきっと最後は親会社に行くのだろう。公務員の時はいつもそうだ。小百合は思った。

晶が出掛けてくれてほっとする小百合。頭の中を覗かれるはずはないのに一緒にいるのが辛かった。


小百合の読みは当たった。晶が外出先から帰社しない時は、決まって親会社に呼び出されているのだ。夕暮れ迫る時間、通用口の暗証番号を押して古巣である八代商事国際営業二部に入って行く。真っ先に目に入るのが恋人の神崎アリスだ。

目の端で互いに頷き合い、晶はそのまま上司の播磨部長の元へと進んで行く。

「お、よく来たな。まあ座れ」

と打ち合わせ用テーブルに晶を導くのだった。

「忙しいんだって?」

「月に一度は海外出張です。あの会社、生産コストを抑えてもなかなか赤字体質からは脱却出来ないんですよ」

晶は最早お手上げと言った表情だ。播磨は笑いつつ

「まあそう言いなさんな。せっかく縁あってグループ企業になってもらったんだし。で、正直なところどうだ?椿インテリアさんで骨を埋める気にはなったか?」

「今のままだと厳しいです」

晶は即答する。

「人材不足で、海外の案件はほぼ僕と中居の二人だけでやっている状態ですし」

「お前のアシスタントは英語と中国語が喋れるだろうに」

「立て続けに二人辞められました」

無念そうに晶が言うと播磨はカッと目を見開き、

「おいおい、俺は報告を受けてないぞ」

播磨さんには言いつけるなと中居から口止めをされていて、そのままになっていたのだ。

「済みません。このままでも仕事が回ると思っていたので報告しませんでした。実際最近までは順調でしたし」

「なんで次々にアシスタントが辞めていくんだ?」

「満足にボーナスも出ない会社で、ボーナス支給日の翌日には辞表が提出される有様で」

「ここまで救いのない会社だったのか!我が社が椿さんに投資した額、本当に回収できるのかね⁉︎」

「長丁場になると思いますよ」

「アシスタントもつけてもらえないのか」

「一応四十四歳の事務の女性をつけてもらいました」

「おばさんだな」

「おばさんですね」

晶は同意する。

「そのおばさ、いえ、そのアシスタントはほんの少し英語が喋れるから電話番ぐらいはしてくれますが商談にはとても連れていけないし、そもそも一般事務で採用したから外に連れ出すなとか残業させるなとか色々制約があって。しかも二歳ぐらいのお子さんがいて、無理もさせられないんですよ」

「四十四で二歳児の母か。逆の意味で得難い人材だぞ。お前も大変だな」

「大変ですよ

晶は大きなため息を吐く。

播磨は慰めるように

「ところでこれから次長と飲みに行くけれどお前も行くか?」

播磨の誘いに、良いですねと晶は即答。播磨と共に立ち上がり再び恋人に目配せをしようとするも、彼女は背中を向けて電話中だった。


晶が播磨から解放されたのは午後九時を過ぎた頃だった。桜はまだまだ咲きそうにない三月だ。夜は寒い。上司たちの姿が見えなくなると晶はすぐさま携帯を取り出してアリスに電話をする。

「今から行っても良いかな」

電話口のアリスは一瞬ためらったが、良いわよと答えて晶を受け入れるのだ。


部屋で待つアリスは入浴を済ませ、化粧を落としていた。海外生活の長かったアリスは華やかな化粧を好んだが素顔は幼い顔をしている。その二面性を晶は愛した。アリスの部屋には晶の下着もパジャマも置いてある。時には海外出張の帰りに空港から真っ直ぐアリスの部屋に向かうこともあった。

播磨からしたたか飲まされた晶はアリスから冷たいハーブティをもらい、一息つく。アリスの部屋は程よく暖房が効いて、晶のかじかんだ体がゆっくりとほぐれていく。彼はスーツをハンガーにかけるとベッドに飛び込んで

「あー出向は辛いね」

と大げさに嘆いてみせるのだった。

「やめて、布団が酒臭くなるわ」

アリスは晶をベッドから引きずり出し、

「さあお風呂に入ってきて」

と母親のように命じた。

熱いシャワーで汗と酒の臭いを落とし、いつものように自分専用のシャンプーを手に取ると既に空だった。アリスが補充し忘れているな。晶は些か不満に思いながらもアリスの甘い匂いのシャンプーを代わりに使った。


部屋に戻るとアリスは既にベッドに入っていた。なんとなく不機嫌な気配がする。アリスに声をかけて冷蔵庫からハーブティを出してもう一杯飲んだ。本棚にはドイツ語の本が並んでいる。彼女は幼少期をドイツで過ごしていたのだ。本人曰く、「英語よりもドイツ語の方が得意」らしい。少なくとも英語の能力は晶よりもアリスの方が上だった。「本当は外交官になりたかったんだけどね」アリスはよくそんなことも口にした。

晶もベッドに入りアリスの隣に横になる。シャンプーの補充をしておいてよと言う代わりに、

「今度来る時にシャンプーを買って来るよ」

と言った。アリスはそれには答えず、

「私達、いつもこうね。いつ会うかとか、どう付き合うかってことは全部晶が決めてしまう」

「今日押しかけてきて迷惑だった?」

「ううんそう言うことじゃない。ただ私達のこれからのことも晶次第なのかなって考えるとなんだか不安で」

もしかして結婚をせっついているのか?晶は言葉を選び選び、

「俺も少しは考えているよ。ただ三十五までは仕事に打ち込みたいし・・・」

「違うわ、そう言う意味じゃないの」

アリスの言いたいことは確かにそんなことではなかった。


年上の晶がアリスをリードして行く道を示してくれることは頼もしいことだった。しかしアリスは男と肩を並べて商社で働いている三十過ぎの女になったのだ。晶の強引さが時に鼻につき、余裕のなさゆえの強がりに感じてしまうのだ。

アリスはそれ切り黙った。そう言えば明け方桶川さんのおかしな夢をみたなと晶は思い出す。それを贖うかのように晶は優しくアリスを抱き寄せる。

「好きだよアリス、大好きだ」

晶はアリスに唇に自分の唇を重ね、パジャマを脱がしていった。アリスの胸は柔らかく温かだった。アリスはしばらくは晶の好きにさせていたがやがて申し訳なさそうに

「ごめん、今日はちょっと・・・」

「生理?」

「ううん、でも始まりそう。お腹が痛いんだ」

「そうか、なら早く寝た方がいい」

晶はアリスを腕枕で休ませた。ごめんねと言ってアリスは目を閉じる。晶はアリスの愛撫を何とは無しに待ったが、アリスは目を閉じたままだった。


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