第六回【実録/プライベート・ライアンⅡ】『オマハの獣 ハインリヒ=ゼーフェロー(中編)』
ハインリヒ=ゼーフェローの所属するドイツ陸軍第352砲兵連隊第1中隊は連合軍の艦砲射撃と爆撃を凌ぎ、重榴弾砲が配置された中隊本部と軽野砲が配置された海岸の防衛拠点Wn62はほぼ無傷の状態で連合軍の上陸部隊を迎え撃ちました。
オマハ・ビーチ上空には300機を超えるB24爆撃機の大編隊が飛来しましたが、爆撃隊は友軍の頭上に空爆することを恐れ、投下時間を数秒だけ遅らせていました。
落下地点を正確に計測した上での投下タイミングをずらしたことにより、爆撃はほぼ無意味なものとなります。
そして、その代償は上陸部隊の血で贖われることとなるのでした。
天候不順により連合軍の上陸は困難と考えたドイツ軍上層部の予測は、全くの的外れではありませんでした。
事実、本来の上陸決行日は6月5日であり、連合国遠征軍最高司令官・アイゼンハワー陸軍大将は天候の回復を待って決行を1日遅らせています。
連合軍が設定した5つの上陸地点のうち最も多くの犠牲を出したオマハ・ビーチは波が高く、歩兵部隊と共に上陸するはずだった27輌の水陸両用戦車は次々に水没。
この為、上陸第一波は機甲兵力の支援なしにドイツ軍の防御砲火を浴びることとなります。
奇襲とは敵の虚を突くこと、敵の予想に反する行動が基本となります。
敵の状況だけでなく味方の攻撃準備や環境の変化を考慮に入れた上での最適解が攻撃のタイミングであり、それゆえ僅かな時間のずれや判断ミス、事実誤認が大きな失敗につながりかねません。
オマハにおいてはそれが顕著であり、連合軍が同地区とゴールド・ビーチのドイツ軍守備隊をゼーフェローの所属する第352歩兵師団ではなく二線級の第716歩兵師団であると誤認していたことは有名です。
Wn62では6月6日未明から第352砲兵連隊第1中隊長・フレールキング中尉以下31名が警戒配置に着き、連合軍の上陸に備えていました。
ゼーフェローはトーチカが艦砲射撃を受けた際に軽傷を負ったものの、戦闘には支障なく中隊の人員と共に連合軍の艦隊を監視し続けました。
午前6時30分、オマハ・ビーチとユタ・ビーチで遂に連合軍の上陸が始まります。
オマハにおいて上陸を開始したアメリカ第5軍団は海岸から200メートルの地点で兵員を降ろしました。
第5軍団の将兵は胸まで海水に浸かり、泳ぐようにして海岸を目指します。
Wn62と後方の中隊本部は波打際まで敵を引き寄せてから射撃を開始しました。
ドイツ軍の防衛拠点は爆撃と艦砲射撃で沈黙したはず――そう思っていた上陸部隊の第一波は、忽ちにして砲火の餌食となります。
中隊本部の砲兵陣地からは榴弾砲が、Wn62のトーチカからは野砲と迫撃砲に機関銃が火を噴き、上陸第一波の将兵が次々に倒れます。
ゼーフェローもまた、毎分1200発の発射速度を誇るMG42機関銃で敵兵に猛射を浴びせました。
冷たい6月の海で冷え切った身体、しかも装備品は水を吸って重たくなります。
アメリカ軍の将兵は思うように身動きが取れぬまま、容赦のない十字砲火を浴び続けました。
生き残った将兵は戦友の死体を盾にして浜辺にしがみつきます。
上陸用舟艇を降りた兵に退路はありません。
文字通り背水の陣――彼らにとって生き残る方法はたった一つ、目の前の敵を倒し戦闘を終わらせることだけでした。
アメリカ軍が『フォックス・グリーン』と呼んだWn62前面の海岸は地獄と化しました。
戦車の多くは沖で沈み、運よく海岸まで辿り着いた戦車は対戦車砲や地雷で擱座。
上陸第一波は有効な火力支援もないまま砲火に晒され、組織的な戦闘が不可能なレベルの損害を受けたのです。
上陸部隊を左右から射撃できる『コ』の字型に入り組んだ海岸は幅が狭く散開が困難で、防御側に有利な地形でした。
ゼーフェローは海岸へ殺到する敵をひたすらに撃ち続けました。
トーチカから海岸まで400メートル余り。
機関銃が威力を発揮する絶好の距離であり、ゼーフェローの操るMG42はその性能を存分に発揮しました。
高い発射速度による独特の発射音から『ヒトラーの電動ノコギリ』の異名を取るMG42は現在においても世界で最も優れた機関銃の一つであり、これの派生型が未だ世界各国の軍で使用されているほどです。
攻める側の連合軍も上陸部隊の窮地に無策だったわけではありません。
対地ロケット弾を搭載した中型揚陸艦がドイツ軍陣地を掃滅すべくロケット弾を斉射しました。
しかしドイツ軍の防御砲火に接近を阻まれ、沖合から発射されたロケット弾は目標の手前に着弾。海岸に留まっている上陸部隊の生き残りを殺傷します。
オマハ・ビーチに限っていえば、全てが上陸部隊にとって不利に働いていました。
連合軍は上陸部隊の凄まじい損害を承知の上で、次々に後続部隊を送り続けました。
奇蹟的に砂浜からドイツ軍陣地のある崖に辿り着いたレンジャー大隊の兵士達は鉤付きロープと縄梯子で中世の攻城戦もかくやという戦いを繰り広げますが、銃弾や手榴弾に投石を浴び、ロープを切られ突き落とされていきました。
思うに任せぬ状況に業を煮やしたアメリカ第1軍司令官・ブラッドレー陸軍中将は重巡洋艦オーガスタ艦上から海岸への艦砲射撃を命じます。
この時、砲撃に加わったアメリカ海軍の戦艦アーカンソーと戦艦テキサスは第一次大戦前に就役した旧式戦艦でしたが、両艦の12インチ砲と14インチ砲による地上目標への射撃は絶大な威力を発揮しました。
発射された無数の砲弾は友軍の上陸部隊もろともドイツ軍の防御陣地を炎に包み、迫撃砲や対戦車砲が沈黙。ドイツ軍の火力優位が崩れてゆきます。
それに加えて後方の中隊本部は弾薬が底を突きかけ、補給もできぬ状態に陥っていました。
ゼーフェローは正午までに12000発もの銃弾を発射し、戦況が不利に傾く中でも無数の敵兵を倒し続けましたが、その戦いにも終わりが近づいていたのでした。(後編に続く)