第三回【戦国故事/蘇国再興】『まず隗より始めよ、と言う前に』
現代において、本来とは異なる意味で使われている故事成語は少なくありません。
今回は、その中でも特に顕著なケースを紹介したいと思います。
「まず隗より始めよ」という言葉は現代日本において「身近なところから始めよ」という意味で使われていますが、これは実にいい加減な解釈です。
そして、政治家や企業のトップがこれを言い出した時に始まるもの。
それは多くの場合、合理化の為のコストカットとなります。
代表的な取組みの一つは、企業においては社長および役員の給与削減から始まる人件費の削減でしょう。
賃金上昇を先延ばしにされ、ボーナスを減額され、福利厚生も縮小されてやる気を出す人はそう多くないはずです。
「上の人間が我慢しているんだ、お前も我慢しろ!」
これを暴論と思うのは、おそらく私だけではないでしょう。
さて、ようやく本題に入ります。
本来の故事は中国・前漢時代に編纂された書物『戦国策』で語られています。
戦国時代後期(紀元前300年頃)、隣国・斉の軍勢に国土を蹂躙され、父王を殺害された燕の昭王は高名な学者だった郭隗に尋ねました。
「斉に復讐を果たすには、どうすればよいでしょう?」
すると郭隗は「それでは、手始めに私を王宮で重用することからお始めください」と言います。
はて、と考える昭王に郭隗はこんな例え話をしました。
「古の時代、千里を走る名馬を千金で買うと言った君主がいました。やがて、三年経っても名馬を手に入れられぬ君主の前に涓人という男が現れました。『私が千里馬を手に入れてみせましょう』と申し出た涓人に君主は使いを任せることにしました。しかし三か月後、彼は死んだ馬の骨を五百金で買って来たのです」
「死んだ馬の骨を?」
訝る昭王に、郭隗は更に続けます。
「涓人の報告を聞いた君主は激怒しました」
「怒るのは当然ではないですか」
「しかし、涓人はこう言いました。『死んだ馬でさえ五百金で買ったという話が天下に広まれば、やがて生きた名馬を連れて来る者が現れましょう』と。涓人の言葉は誠でした。一年も経たぬ間に君主の下へ名馬が三頭もやって来たのです」
昭王はようやく郭隗の言わんとすることを理解しました。
「なるほど、理解した。あなたを厚遇することで……」
「優れた人物が天下より集まりましょう。郭隗という男が厚遇されるのなら、自分も厚遇されるはずだ、と考えて。国を強くするには、まず優れた人材が必要です」
二人は頷き合い、その日より昭王は郭隗を師と仰ぎました。
昭王は厳しい国家予算をやり繰りし、郭隗の為に立派な屋敷を建てるなどして遇しました。
やがて郭隗の例え話の通り、各国から優れた人物が続々と燕にやって来たのです。
その中には、後に戦国屈指の名将として語り継がれることになる楽毅の姿もありました。
組織が目的を達するには人材が必要であり、その為には高待遇を以て迎えねばならないという、これ以上ない好例です。
組織のリーダーは「まず隗より始めよ」と叫ぶ前に、その故事をよく理解すべきでしょう。
もしも現代の誤った解釈のように、昭王と郭隗が率先して『身を切る改革』を行ったならば、燕に優秀な人材が集まることもなかったでしょう。
現代の日本において、この言葉が元の意味からかけ離れた使われ方をしていると知ったら、昭王と郭隗はどんな顔をするでしょうか?
この話を読んだ皆様が、どうか良い組織の下で活躍できますよう。
後に楽毅は燕軍の総大将となり、諸国連合軍を率いて斉へ侵攻し大戦果を挙げますが、それはまた別のお話。