第十二回【現代飲料奇譚】『限りなく透明に近いコーラ』
グローバリズムが世界を席巻し、巨大IT企業のサービスや製品が各国に提供される現在。
東西冷戦の終結と共に旧東側諸国にも旧西側発のサービスや商品が普及することとなりました。
その一方で、国家間の緊張からそれらの提供が受けられない、または受けられなくなった国や地域が存在します。
今回は、それが当たり前だった冷戦時代にスポットを当て、現代人には馴染み深い飲料の逸話を紹介して参ります。
1959年にソ連で初めて購入契約が結ばれたアメリカ製品がペプシ・コーラであったことは広く知られていますが、それを遡る第二次大戦終結時、ソ連陸軍の英雄・ジューコフ元帥が連合軍とのドイツ分割交渉の席でコカ・コーラを飲み、その味の虜となったことはあまり知られていません。
アメリカ陸軍のアイゼンハワー元帥がコカ・コーラの愛飲者だったこともあり、コカ・コーラは第二次大戦中、重要な軍需品として世界の米軍将兵の喉を潤しました。
アイゼンハワーは前述したドイツ分割交渉の席でジューコフにコカ・コーラを勧めたといわれており、ジューコフの舌と喉はコーラを忘れられなくなりました。
その後、米英はじめ西側各国とソ連の関係は急速に悪化。
米国製品であるコーラはソ連において非合法化されます。
文字通りコーラを渇望するジューコフが、今後もこれを入手する方法はないかアメリカ側に打診した結果、トルーマン米大統領はコカ・コーラ社に対し、これの解決策を求めました。
「見た目を透明にして違う瓶に詰めればコーラに見えないだろう」
コカ・コーラ社研究員の発案により透明なコーラが開発され、赤い星をあしらった瓶に詰めてジューコフの下へ大量に届けられました。
しかし、ドイツにおけるファンタとは異なり、この透明なコーラはジューコフの死後、歴史の闇に埋もれることとなります。
ジューコフがこれをどう受け止めたかは明らかになっていません。
ジューコフはフルシチョフ政権で失脚したことで一時期、歴史の表舞台から去ることとなります。
フルシチョフの失脚後に名誉回復はなされたものの、ソ連共産党の主要ポストに就くことはありませんでした。
仮にジューコフが失脚することなくソ連の首脳となっていれば、東西冷戦の推移も大きく変わっていた可能性があります。
時は流れ、ペプシコ社がペプシ・コーラの独占販売契約を結んでいたソ連が崩壊して2年後の1993年。
かつてジューコフの喉を潤したであろう透明なコカ・コーラは皮肉なことにペプシ・コーラの後追いという形で復活し商業ベースに初登場します。
世界的にキャンペーンが組まれたものの大失敗に終わった『タブクリア』がそれでした。
1992年、ペプシコ社が透明なコーラ『クリスタルペプシ』および『ダイエットクリスタルペプシ』を発売すると、コカ・コーラ社は昔取った杵柄とばかりに糖質オフ炭酸飲料『タブ』のクリア版『タブクリア』を発売してこれに対抗しました。
しかし、これら透明なコーラは期待した人気を得られず短命に終わりました。
更に年月は流れ、平成30年(2018年)、日本限定で再び透明なコーラが発売されました。
それも名実ともに『透明なコーラ』であることを示す『コカ・コーラクリア』という名を冠して。
ジューコフが初めてコーラを飲んでから60余年、透明なコーラは日本の地で完成を見たのでした。
しかし、コカ・コーラクリアの発売から5年が経った現在、やはり店舗でそれを見ることはなくなくなりました。
コカ・コーラクリアの発売には「勤務中にジュースを飲むことの心証の悪さ」という日本らしい事情があったといわれていますが、それなら、まず名前とボトルのデザインを変えるべきではと思わずにはいられません。
消費者を引き付ける『コカ・コーラ』のネームバリューを必要とした一方で「コカ・コーラには見えないものを提供する」という商品コンセプトが存在する矛盾。
結果として、コカ・コーラクリアは「透明である」以外のアピールポイントを欠いた中途半端な商品になった感は否めません。
些か話は脱線しましたが、グローバル化のデメリットが多くの人に知られるようになった現在、それでも国際社会の構成員はグローバル化のメリットの下で生活しています。
ジューコフが神を信じていたかは寡聞にして知りませんが、死後の世界で色のついたコーラを好きなだけ飲むことはできたでしょうか。
前述した通り、我々が当たり前のように利用している商品やサービスを利用できない国や地域は多く存在し、それは時として相互理解の妨げや海賊版製品の横行といった弊害にもつながります。
良質なサービスや製品が国際社会に等しく提供され、利用される世界は未だ実現していません。
世界に真の意味での平穏が来たらんことを切に願います。