表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

第一回【実録/プライベート・ライアン】『ルートヴィヒ=ナイグル 最後の戦闘』

 映画『プライベート・ライアン』。

 物語はライアン二等兵の兄弟が全員戦死したことから始まり、唯一残ったライアン二等兵を母の元へ送り届ける為に、彼を救出する任務を与えられたミラー大尉達の戦いが描かれます。

 無論、この映画はフィクションですが、これとよく似た実話がドイツにも存在することはあまり知られていません。


 ルートヴィヒ=ナイグル陸軍軍曹。

 ドイツ陸軍第519重戦車駆逐大隊において対戦車自走砲ナースホルンの車長として活躍した彼が経験した最後の戦闘を紹介します。


 映画『プライベート・ライアン』の冒頭では簡単に触れられていますが、第二次大戦においてアメリカ海軍に衝撃を与えた『サリヴァン事件』が存在します。

 真珠湾攻撃の後、アメリカでは日本への報復を胸に多くの若者が軍へ志願しました。

 その中にはサリヴァン家の五兄弟の姿がありました。


 真珠湾攻撃で幼馴染を失ったサリヴァン兄弟。

 長男ジョージと二男フランシスは既に海軍に入隊していましたが、残る三人の弟は幼馴染の仇討ちの為にアメリカ海軍へ志願入隊、兄弟全員が同じ部隊で戦うことを希望します。

 彼らの希望は叶えられ、三人の弟は二人の兄が乗る軽巡洋艦ジュノーへと配属されます。


 しかし、軽巡洋艦ジュノーは1942年11月の第三次ソロモン海戦において日本海軍の潜水艦・伊26により撃沈。

 これにより兄弟全員が戦死したのでした。

 映画『プライベート・ライアン』ではサリヴァン兄弟の二の舞を防ぐ為、ライアン家の三兄弟がそれぞれ別の部隊に配属されたことから物語が始まります。


 話を今回の物語の主人公、ルートヴィヒ=ナイグル軍曹に戻します。

 ナイグル家15番目の弟として生まれたルートヴィヒ=ナイグルは幼い頃より運動神経に優れ、1940年に召集され国家勤労奉仕団へと入隊します。

 翌41年には陸軍により召集。

 41年から42年の冬季戦で対戦車砲兵として活躍します。


 ソ連軍との激戦で負傷した彼は1942年に前線へと復帰、その後、1943年6月にヴィテブスクにて新設された第519重戦車駆逐大隊へと配属されます。

 そこで彼が出会ったものは強力な長砲身88mm対戦車砲を搭載した新型自走砲ホルニッセ(後に『ナースホルン』へと改称)でした。


 1943年8月に軍曹へと昇進したナイグルはホルニッセの車長となります。

 新兵器を得た彼はクルスク戦後、攻勢に転じたソ連軍を食い止める為に奮戦。

 2000m先からT-34中戦車を破壊する88mm砲は防御戦で絶大な威力を発揮。

 ヴィテブスクとその周辺で多数の敵戦車を撃破します。


 ヴィテブスク前面においてソ連軍を食い止め続けたナイグルでしたが、彼に運命の転機が訪れます。

 1944年6月10日、ナイグルは大隊長ホッペ陸軍少佐から大隊本部へと呼び出されます。

 少佐は一通の手紙を手に、思いがけない言葉を口にしました。


 それは、前線で戦うナイグルの兄弟全員が戦死または行方不明となり、四男がレーデンバッハで空襲を受けて二人の子供と共に死亡したというものでした。

 ホッペ少佐の手にしていた手紙はナイグルの母から届いたもので、「最後に残ったルートヴィヒだけは故郷へと返して欲しい」と書かれていたのです。


 ホッペ少佐はナイグルに帰郷を厳命。

 ナイグルは後ろ髪引かれる思いで戦友達に別れを告げ、帰郷の準備を始めました。

 しかし、ナイグルが帰郷の列車を待つばかりとなった6月23日、ヴィテブスク周辺にソ連軍の戦車部隊が大挙して現れました。

 そして、翌日にはドイツ軍の防衛線を突破したのです。


 6月22日に開始されたソ連軍の夏季攻勢『バグラチオン作戦』。

 東部戦線各地で雪崩のように押し寄せるソ連軍はここヴィテブスクでも勢いを強め、今やヴィテブスク市街が包囲されようという状況になっていました。

 ナイグルはこれを食い止める為、最後の戦闘へと身を投じることになりました。


 ソ連軍が目指すのはデュナ川に架かる橋。

 これを敵に渡す前に爆破しなければなりません。

 6月24日、ナイグルはナースホルン対戦車自走砲3輌を率いて出撃。

 デュナ川へと向かいました。

 同日午後6時、前線を突破したソ連軍戦車部隊を撃破する為にナイグルの小隊はオショルキへ急行します。


 T-34中戦車の部隊に遭遇したナイグル小隊は瞬く間にこれを撃破。

 彼の搭乗するナースホルンは数分の戦いで6輌を撃破します。

 敵の砲撃を避ける為に一度後退したナイグル達はボートで渡河を試みるソ連軍歩兵部隊を殲滅、翌25日には別の箇所で戦線を突破した敵部隊を撃破する為に移動します。


 僚車の乗員が負傷したことにより1輌で陣地を守備することとなったナイグルは偵察により8輌のT-34を発見、独断でこれを攻撃します。

 先手を取って火を噴いたナースホルンの88mm砲はT-34を次々と撃破。

 しかし戦闘に不慣れな装填手が、突撃する敵戦車の勢いに怯んでしまいます。


 間一髪、目前まで迫ったT-34を撃破したナイグルでしたが、その隙に難を逃れた別のT-34がナイグルのナースホルン目がけて発砲。

 76mm砲の直撃を受けて車両は大破、操縦手が即死します。

 一時的に気を失ったナイグルでしたが、意識を取り戻しても戦意を失ってはいませんでした。


 撃破されたナースホルンを離れたナイグルは、乗員の負傷により戦闘不能となっていた僚車を見つけるとこれに乗り込みます。

 近くにいた歩兵を装填手として乗せた彼は小隊に損害を与えたT-34を追跡、これを撃破します。

 ナイグルがいた陣地の突破を試みたT-34は全てが撃破されました。


 敵戦車の撃破を確認したナイグルは意識を失い、数日後に野戦病院で目を覚まします。

 見舞いに訪れたホッペ少佐は功一級鉄十字章を渡し、彼を労いました。

 7月27日、大隊本部でナイグルは栄誉ある騎士十字章を授与されます。

 彼の指揮する小隊は63輌もの敵戦車を撃破していたのでした。


 その後、前線を離れて後方勤務となったナイグルは英軍戦闘機の機銃掃射を受けて負傷するも戦争を生き抜きます。

 ナイグル家最後の兄弟・ルートヴィヒはその勇敢さと巧みな技術、強運を以て第二次世界大戦という恐るべき強敵に勝利したのでした。

 ナイグルに帰国を命じたヴォルフ=ホルスト=ホッペ少佐も戦争を生き抜き、中佐として第二次大戦を終え、1997年に88歳で世を去りました。

 そして、ナイグルはそれから6年後の2003年に世を去りました。

 享年82歳でした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ