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第九章  十五年前からの復讐

「壮介君!」

 佐野クリニックから少し離れた場所で、瑞希が俺を待っていた。瑞希は俺の姿を見つけると、まるで何十年も生き別れになっていた家族と再会したかのように駆け寄ってきた。

「壮介君、よかった……」

 顔を涙でくしゃくしゃにした瑞希は、俺に抱きつこうとした。

「あ、待て!」

 俺は瑞希を受け止めはせず、半歩下がって瑞希を止めた。

「これ、爆弾だからな!」

 俺は胸に抱えているダンボールを瑞希に見せつけた。

 俺の言葉を理解したのか、瑞希の顔から一気に涙がひいた……。

「そ、壮介君……何でそんな危険なもの持ってるのよ……?」

 瑞希の声は震えており、今度は俺から少しずつ離れていった。

「回収したんだよ。回収! 瑞希、これから大学へ行くぞ。これを駐車場の水道で、水に浸して処理するんだ」

 瑞希の見ると、街路灯で照らされたその顔は、正に顔面蒼白といったカンジだ。まあ光の加減もあると思うのだが。

 俺は大学の方へと続く、道を歩き始めた。瑞希はついてこない。

「無理なら帰ってもいいぞ?」

 勿論、強制はしない。というか、どっちかって言うと、俺一人で処理をしたい。瑞希を危険な目に遭わせられないからな。

 しかし、俺の言い方が悪かったようだ。

「う〜、行くよ……」

 瑞希をムキにさせてしまった……。


 …………

 俺たちは徒歩で大学の駐車場まで移動した。

 最初瑞希は俺のかなり後方を歩いていたが、途中からヤケになったようで、俺の隣りにくっついていた。

「死なばもろとも!」

 目を合わせると、震える声でそう言ってきた。

 できれば「ずっと一緒だよっ!」みたいな可愛いことを言ってほしかったが、こういう時の瑞希はどうも男前な発言をするみたいだ。

「よし、この辺で」

 俺は駐車場のほぼ中央にダンボールを置いた。ここなら万が一爆発しても、建物への被害はないだろう。ホント、無駄に広い駐車場だ。

「じゃ、水道のホース引っ張ってくるね」

「おう、頼む」

 瑞希は駐車場横に設置された水道の蛇口に、ドラムに巻かれた散水用のホースを取り付けるため、一旦この場を離れた。ホースは水道横にある倉庫の中。大したものは入っていないので、普段から鍵はかかっていない。

「さて……」

 瑞希が作業をしてくれている間、俺は手持ち無沙汰。その時、地面に置かれたダンボールが視界に入る。

「オジャンにしてしまう前に、中身を拝見させてもらいましょうかね」

 他の誰かが同じことをやっていたら、俺はそいつに頭突きを喰らわせていたであろう。

 ああ、俺の何というアホな好奇心……。

 俺は厳重に封印されたダンボールを開けてみることにした。

「ん?」

 ここで初めて気付いたのだが、このダンボール、所々傷やシミで変色していた。昨日今日に用意したモノではなさそうなカンジだ。

 蓋を封印していたガムテープを引き剥がし、開けてみた。

「んぷ!」

 開けた途端、独特の黴臭さが鼻孔をついた。何でこんな臭いがするのだろうか?

「おお……これか」

 それは新聞に包まれ、そこにあった。

 俺が今まで持っていたもの、それは爆弾であると理解はしていた。

 しかし、今直にそれを見ると、背筋に冷たいものが走り、暑いなんてこれっぽっちも感じていないのに、額から汗が滴り落ちた。

 俺は新聞をめくってみた。

「おお……」

 計器類、導線、火薬……。

 昔のマンガやドラマで見たことのある爆弾そのものが、今ここにあった。

「ん、何だこれ?」

 俺は爆弾の計器部分に目がいった。計器の一つに、小さな南京錠が二つぶら下がっていた。

 俺はその周辺の計器類を指で辿ってみた。

「これ……安全装置か」

 暗くてよく判らなかったが、指で触った感触で、南京錠の先に絶縁体らしきものがあるのを確認した。

 つまり、この南京錠を開錠しない限り、この絶縁体を外すことはできず、結果爆弾はその機能を果たせないということ。

「鍵、どっかにないかな?」

 ダンボールの中に鍵が転がっていないか、俺は隅の方へ手を突っ込んだ。

 何度かガサガサやっているうちに、新聞と新聞の間に、何か硬いものがあった。

 ただこの硬いもの、完全に新聞の間に入り込んでしまっているようで、普通に取り出すには爆弾本体を動かさなければならない。それはちょっと怖かったので、指で新聞を破り、そこから硬いものを指で引き寄せた。正直、指が攣りそうだった……。

 硬いものはあっちにいったりこっちにいったりしたが、ようやく取り出すことができた。その硬いものは、予想通り鍵であった。

「ああ、随分汚れちまったな」

 俺の指は新聞の間でたいぶ擦れたので、茶色く汚れてしまった。

「ったく、こんな汚れて、いつの新聞なんだよ」

 俺は爆弾を包んでいた新聞に目をやった。


『王・長嶋、連夜のアベックホームラン』


「え?」

 俺は爆弾を包んでいた新聞を破り取り、記事や日付を確認した。

 日付は今から約四十年も前で、正に「古」新聞であった。

 おいおい、ちょっと待てよ……。

 この古新聞を見た俺は、とてもとても「嫌な予感」がした。

 もしかして、もしかして……!

 俺の中で、一つの「仮説」が、ものすごいスピードで形作られていった。

「壮介君、どうしたの?」

 後ろを振り向くと、瑞希がホース片手にキョトンとしていた。蛇口を捻ってこちらへ来たようで、ホースからは水が流れ出ていた。

 俺は爆弾の入ったダンボールを再び封印した。

「瑞希、爆弾処理は一旦中止だ。すぐ移動するぞ!」

「へっ?」

 見えた! この事件の隠された真相が!


 ※※※※※※※※※※

 私が大学二回生の時、所属を決めたゼミに、その人はいた。

 名前は白川悠三。

 殆んど手入れをしていない白髪交じりの長髪に無精髭。見た目はどうみても四十代だが、実際は私と二つしか変わらない年齢だった。

 白川と私は同じ地方の出身、そして研究しているテーマが似ていたということもあってウマが合った。

 当時金のなかった私に、バイトを紹介してくれたり、飯を奢ってくれたり何かと世話を焼いてくれた。

 下手な論文しか書けず、教授にカミナリを落とされた時、好きになった女性に振られて落ち込んだ時、白川は一升瓶片手に私を励ましに来てくれた。

 私にとっては、兄のような先輩だった。


 しかし、そんな白川には、もう一つの顔があった。


 私が大学生の頃、世は学生運動の全盛だった。

 旗を掲げ、ゲバ棒を振り、様々なアジテーションが飛び交う。

 世の若者が、そのエネルギーを巨大な権力に向かって撒き散らした、そんな時代……。

 私は運動の類に興味がなかったので、運動に参加している学生たちを、まるで別世界の人間のように眺めていた。

 しかし、あの人……白川は別だった。

 白川は学内における学生運動の殿として、何百もの同志を率いていたのだ。


 それを知ったのは、ある日白川の下宿に呼ばれた時であった。

 部屋を見渡すと、大学で知っている白川とは、大きくかけ離れたものがズラリと並んでいた。

 アジテーションが書かれた旗・ヘルメット・ゲバ棒・火薬・刃物……。

 私が今まで冷やかな視線を送っていた人たちが持っているものの、大概がそこに揃っていた。

 すると、白川は真剣な顔で、私の前に立った。

「俺たちと、一緒にやらないか?」

 白川はそう言い、私に右手を差し出した。

 私は悩んだ。時間にして十秒もなかっただろうが、丸一日考え込んだような気分であった。

 そして私はこう言った。

「僕にはできません」

 私は白川の部屋を出た。扉を閉めて、私は逃げるようにその場を後にした。

 白川は私を追っては来なかった。


 それから、私と白川は、次第に疎遠になっていってしまった……。

 

 そして今から十五年前。白川は事故い遭い、誰にも見取られず、病院への搬送中に救急車の中で孤独に息絶えた。

 ※※※※※※※※※※


「遅かったじゃ……!」

 街路灯が僅かに照らす真夜中に、俺たちはある場所で、ある人物に遭遇した。

 この人、誰かと待ち合わせをしていたようだが、予想に反した人物の登場に、かなり動揺しているようだった。

「あ、あんたたち、誰!」

 その声に、俺は無言でダンボールを前へ突き出した。

 そして、俺はダンボールをゆっくりと地面に置いた。

 俺と、ある人物との間に。

「ここに文子さんは来ませんよ」

 状況を飲み込めていないのだろうか。ある人物は、俺の方は見ず、ただ地面に置かれたダンボールを見つめていた。

 そして俺は前に出る。

「あなたが爆破事件の犯人ですね。白川十未子さん」

 俺が名前を呼んだ次の瞬間、白川は夜叉のような目つきで、俺を睨みつけてきた。


「な、何言ってんのアンタ」

 白川の視線は、明らかに俺を威嚇していた。

 でも俺はブレない。

「最初の病院爆破事件。爆弾を仕掛けたのはあなたですね」

 俺の単刀直入な言葉に、白川の表情は変わらなかった。さすがは、何年も裁判を闘ってきた人。それなりの修羅場はくぐっている。

 でも俺は続ける。

「爆破事件直後、TVに映っているあなたを見て、一つ不思議なことがあった。顔や腕に大火傷をする人がいたのにも関わらず、一番爆弾に近い場所にいたあなたが、何故かすり傷程度で済んだのかということです」

 すると白川は腕を組み、胸を反った。

「フン、運が良かったんだよ。それがどうかしたのかい?」

 白川は鼻で笑い、俺を挑発してきた。

 でも俺は話す。

「おかしいんですよ。一番爆心地に近かった人間が、火傷をしていないというのは。あなたが負った傷というのは、おそらく割れた蛍光灯かなにかの破片で切ったものです」

「だから、運が良かったんだって言っているでしょ!」

 でも俺は止まらない。

「それは考えられない。ただ、もしそこに爆弾があることを知っていて、何時何分何秒に爆発が起きることも知っていて、そしてその対処法を事前に考えていれば……」

「やかましい!」

 俺の言葉を、白川の怒号が遮った。見れば、こめかみに青筋が浮き上がっていた。

 でも俺は怯まない。

「しかし、あの爆弾は本気のものではなかった。あれは世間の目を自分へ向けさせるための、いわば囮の爆弾。あなたはある理由で文子さんと接触し、この爆弾を渡した」

 すると白川は再び鼻で笑った。

 でも俺は進む。

「あなたは、文子さんと同じく、大学病院に対し怨みがありますね」

 俺の言葉に、白川が眉をピクッと反応させた。

 いよいよ核心へ。

 俺は前へ出る。

「白川悠三。あなたの十五年前に亡くなった旦那さんですね。旦那さんは十五年前、事故に遭い搬送中の救急車の中で亡くなった」

「な、何を……」

 白川は何かをしゃべろうとした。

 でも俺は遮った。

「何故救急車の中で亡くなったのか? おそらく、受け入れを拒否された。最初に搬送された藤野川の大学病院に」

 俺の言葉が終わっても、白川は口を真一文字に結んだままだった。

 何か言い返したいが、言葉が見つからない。そんなカンジだった。

「何故受け入れ拒否をされたのか、そこまでは判りません。空いているベッドがなかったか、担当医の手が塞がっていたのか……」

 理由が何にせよ。受け入れを拒否されたということには変わらない。

 そう、つまり……、

「旦那は大学病院に見殺しにされた……。あなたはそう考えたのではないですか?」

 もし、大学病院が受け入れてくれていれば、救われた命かもしれない。

 そう、大学病院が拒否しなければ、白川悠三は死なずに済んだのかもしれない。

「そしてあなたは病院に対して復讐を考えた。しかしそんな時予想していなかったことが起こった。あの毒入りたこ焼き事件です。しかもあなたは事件の容疑者として逮捕されてしまった」

 裁判はとても長かった。一度は有罪を言い渡されそうになった。

 無罪を勝ち取り、世間の目からやっと解放された時、あれから十五年の歳月が流れていた。

「違う……」

 白川は小さな声で呟いた。

「はい?」

 俺は一歩前に出た。

「違う違う違う違う違う……」

 白川はただ「違う」を何度も何度も連呼していた。

「違い、ますか?」

「違う!」

 そして金切り声で、一つ叫んで終わった。

 でも、俺は賭ける。

「な、何を?」

 俺は地面に置いたダンボールを持ち上げ、ここへ来た時と同じように抱えた。

「そうですか……。判りました」

 俺は白川に背を向けた。

「ハハハ。どうやら、俺の見当違いだったようです。すみません、俺もまだまだ青いですね」

 そして俺は一歩一歩白川から離れていった。

「俺はこれから警察へ行きます。そしてこの爆弾のこと、文子さんのことを洗いざらい話してきます」

「えっ?」

 白川が今、どんな顔で俺の話に耳を傾けているのかは判らないが、その声色には、明らかな動揺が滲んでいた。

「あなたが犯人じゃないとすると、これは文子さんの単独犯ということになる。文子さんは殺人未遂とか色々な罪に問われることになる。残念な話だけど……」

「ちょ、ちょっと……」

「文子さんはどの位の刑が科せられるのだろうか? 死刑になることはないだろうけど、下手をしたら無期懲役ということになるだろうな。もう二度と、文子さんに会うことはできなくなってしまうなあ」

「ちょっと待って!」

 再び金切り声が暗闇を切り裂いた。しかし、それは先程のものとは違う、悲痛な叫びであった。

 俺は振り向き、白川を睨みつけた。

「ちょっとって、何だよ?」

 俺は白川へと詰め寄った。

 俺は賭ける。白川の「心」に!

「どっちなんだ? 文子さんがやったのか、それともアンタがやったのか、どっちなんだ!」

「私がっ、私がやったのよ!」

 そこには、何とも悲痛な表情をした、白川十未子が立っていた。

 よかった。

 白川十未子は、「心」を持つ人間だった……。


 俺は白川と再び対峙した。

「これは……俺の推測ですけれど、裁判であなたのアリバイを証言した匿名の人物というのは、文子さんですね」

 白川は静かに頷いた。

「そうだよ……。死刑になるかもしれない私を、どん底から救ってくれた。そんな人を、見殺しになんかできるものか!」

 白川は俺の方を見ていない。しかしその言葉には、確かな「感情」があった。

 毒入りたこ焼き事件の裁判は、十五年前のあの日、白川十未子が毒物を混入することが可能だったかということが最大の焦点だった。

 最初は、夏祭り参加者の目撃証言により、毒物を混入させた時間まで特定されていった。そして一審では有罪が濃厚となり、死刑は避けられないだろうという状況であった。

 しかしこれを覆す新たな証言が浮上する。ある人物が、白川が毒物を混入させたと思われる時間帯に、別の場所で白川を目撃したというものであった。

 この新証言は非常に具体的なものであった。反対に、夏祭り参加者の目撃証言は、数が多い反面、内容があやふやなものも多かった。弁護側はこの点を鋭く指摘、一気に形勢逆転となったのだ。

 つまり白川はこの証言のおかげで無罪を勝ち取ったのだ。

 言い換えると、この証言が出てなかったらば、死刑になっていたということ。

 証言をしたある人物……文子さんは、白川にとって命の恩人なのだ。

「文子さんは何故最初から証言しようとしなかったんですか?」

 今まで黙ってやり取りを見ていた瑞希が、恐る恐るというカンジで訊ねてきた。俺と白川のやり取りに圧倒されたのだろう。

「怖かったんだよ。あの当時、周りは白川憎し一色だったから。文子はもう藤野川を離れていたけど、祖父母は生活しているからね。一人だけ私の味方になった日にゃ、周りの住人が何をするか判らない……。そんな異常な状況だった」

 文子さんが匿名で出廷したのも、裁判所がそれを認めたのも、地域住民の影響を恐れてのものということか。

「文子さんの弟、大和君の件は知っていたのですか?」

 瑞希が続けて質問を放った。

 白川は目を閉じ、ゆっくり、そして深く頷いた。

「文子の弟のことはだいぶ前から知っていた。不憫な子たちだよ……」

「復讐の計画はその時から?」

「いや……あの時は自分の裁判で手いっぱいだったし、世間の目もあったからね。正直、忘れかけてたよ。でも……」

 白川は俺の前に握り拳をつくってみせた。

 その拳は、小刻みに震えていた。

「文子さんから、財部教授のことを聞かされたのですね」

 白川の拳の震えが大きくなった。目には光るものがあった。

「ああ……。最初は他人事のように聞いていた。でも聞いているうちに、私の中に眠っていた何かが目を覚ましたんだよ。旦那を見殺しにした病院が……憎い」

 目を覚ましてしまったのか。

 十五年前から続く、復讐心が……。

「正直言うとね、最初は怖かった。でも、文子一人でさせるわけにはいかなかった。一度は絞首刑を覚悟した身体。私は文子と運命を共にしようと誓ったんだ」

 そして白川はその場に力なく、ペタンと座り込んだ。

 俺はその白川の前に、ダンボールを置いた。

 俺は以前とっつぁんより、白川悠三がかつて学生運動に参加していたことを聞いた。

「この爆弾、旦那さんが学生運動時代に入手したものですね」

 すると白川は首を振った。

「……これはね、旦那が作ったものなんだ」

 白川の告白に、瑞希は驚きの声を上げた。

 確かに爆弾は精密なものというより、お手製というカンジであったが、まさが白川悠三自身が作っていたとは。

「昔から機械いじりが好きな人でね。作った爆弾を過激派に売って金にしていたみたい。これと前に病院で爆破したのは、残り物だよ」

「よくたこ焼き事件の家宅捜索で見つかりませんでしたね」

「家の床下をかなり深く掘って、そこに隠していたんだ。警察も床下を暴いてまで捜査はしなかった」

 なるほど、それで爆弾は今まで陽の目をみずにこれたわけか。しかし今更、警察の怠慢と責めることはできない。警察が捜していたのは毒物の痕跡であり、まさか床下に爆弾が眠っているなんて夢にも思っていなかっただろう。

 白川は俺が置いたダンボールの蓋を開けた。中の爆弾を、まるで思い出の品のように眺めていた。

「南京錠の鍵の一つは、あなたが持っていますね?」

 すると白川はポケットから、鍵を一つ取り出して、俺たちに見せた。

「この南京錠は、私と文子二人でつけ、それぞれで鍵を管理する。抜け駆けと裏切りを防ぐために」

 鍵が二つあったのは、この爆弾は二人が揃わないと開けることはできない。これにより、お互いを守り、そしてお互いを牽制していたということなのだ。

「文子の鍵はどこに?」

 白川の問いかけに、俺も鍵を取り出した。

「そうか……じゃあ、この爆弾、使うことは、できないねえ……」

 白川は静かに蓋を閉め、そして全てを諦めたかのように、うな垂れた。

「ねえ、壮介君……」

 瑞希が俺に声をかけてきた。

 そして、俺の手をギュッと握った。

「結局、十五年前の事件って何だったの? 結局、犯人は誰なの?」

 そう、それこそ今回の事件に残った、唯一にして最大の謎。

「正直、俺には判らない。誰かが入れたのかもしれないし、幾つもの不幸な偶然が、最悪のタイミングで重なった事故かもしれない」

 ただ一つはっきりしているのは、白川十未子は「無罪」だということ。

「白川さん、百万回言われたことかも知れませんが、俺も言わせてもらいます。十五年前、あなたは本当に毒物を入れていないのですね?」

「入れてない。私は、やってない!」

 今まで力なくうな垂れていた白川だったが、俺の問いかけだけは、とても力強い返答をした。

 その姿に、瑞希は息を飲んでいた。

 この十五年間、白川は百万回同じ答えをし続けてきたのだろう。

 何回答えても、その言葉を、信じてくれる人がいないから……。

「判りました」

 正直、何か言葉をかけたかった。でも、これだけしか言葉が出てこなかった。

 「信じます」というのは簡単だ。しかし、俺が言うと、それはとても薄っぺらなカンジがする。

「俺たちは警察じゃない。ご自身の身の振り方は、ご自身で決めて下さい」

 しばらくの間があり、そして……。

「……自首、するよ」

 白川はゆっくりと立ち上がった。

「文子の手に、手錠をかけさせるわけにはいかない。あの子には、幸せになってもらいたいんだ」

 白川の瞳には、揺るぎない決意が見て取れた。

 ただ文子さんが、全くの無罪放免ということにはならないであろう。結果として何も手を下さなっただけであり、共犯の罪は免れることはできない。何らかの処罰の対象になるであろう。

 でも俺は、これでよかったのだと思う。

 勿論、罪を犯したことは残念なことだし、決して許されることではない。

 ただ、白川と文子さんは、自分たちが守ろうとしたものを、これ以上悲しませるような決断はしなかった。

 俺はそれで充分だと思う。

 

 そして白川は、ポケットから携帯電話を取り出した。

 何言か通話した後、携帯電話をダンボールの上に置いた。

 もう何も話すことはなかった。しかし白川の目からは、不思議と悲壮感を感じることはなかった。


「瑞希、行こうか」

「うん……」

 遠くからサイレンの音が聞こえ始めた頃、俺たちはその場を離れた。

 

(ありがとう)


 病院の敷地を出た時、後ろからそんな声が聞こえたような、気がした……。


 完


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