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第四章  広田藍、跳ぶ!

 その後、俺はとっつぁんから、事件当時の雑誌を借りて研究室を後にした。

 そして俺は次の講義の行われる教室へと向かった。ケータイを見てみると瑞希からメールがきており、先に教室へ向かうとのことであった。

 次の講義、教室は四階。正直エレベーターで一気に上がりたいのだが、この大学のエレベーターは狭くてなかなか来ない。待っているより、階段を上がった方が早く辿り着ける。

 研究室のある棟から移動し、階段を駆け上がる。そろそろ講義開始なので、他の学生たちも慌しく階段を上り下りしていた。

「あ、先輩」

 二階と三階の間にある踊り場から数段上がったところで、聞き覚えのある声が聞こえた。

 見上げると、上り階段の先に広田が立っていた。

「おう、おいっす」

 俺は片手を上げ、広田に挨拶をしようとした、その時だった。

「キャッ!」

「あっ!」

 下からではよく判らなかったが、広田が何かの拍子に階段を踏み外した。

 そしてバランスを崩した広田は、階段の上でよろけ……、

「ひゃっ!」

「危ない!」

 跳んだ……ようにみえた。

 実際は階段を数段転げ落ちた。周りに俺を含めた数人の学生が受け止めたので、下まで転落するのは防ぐことができた。

「おい、大丈夫か!」

 俺は広田の身体を抱きかかえ、とりあえず踊り場まで移動した。

「い、いたた……」

意識はある。しかし右足首を押さえ、苦痛の表情を浮かべていた。

「ちょっとみせてみろ」

俺は広田のGパンの裾をめくってみた。段差の縁で切ったのか、出血していた。

「痛っ!」

俺が足に触れると、広田は身体に電流を流されたような反応を見せた。今のは切ったところを触られたことでの痛みではない。

そして次第に、足首が腫れてきているようにみえた。

もしかして、骨に異常が……?

「おい、誰か手伝ってくれ! 医務室へ運ぶぞ!」


「痛っ」

「あ〜、やっちゃったかも」

 俺は広田に付き添って医務室へ来ていた。医務室まで、場に居合わせた他の学生に協力してもらい、医務室まで移動した。

 医務室でとりあえず切り傷の処置をしてもらった。けっこう出血していたが、傷自体は浅いものであった。

 しかしそれ以上に厄介なことになりそうだった。

 医務室に到着する頃になると、広田の右足首はプックリと腫れあがっていた。医務員さんが足の状態をみると、一瞬で表情が曇った。

「とりあえずコールドスプレーとテーピングで応急処置をしましょう。でもこれ以上の処置は、ここではできないわね」

ということは……、

「折れちゃっているんですか?」

広田が泣きそうな顔で俺に訊ねた。悪いけど、俺に聞かれても判らない。

「そこまでは……。ちゃんとレンドゲンを撮ってみないと判らない。とにかく、早くちゃんとしたお医者さんへ行くことね」

「医務員さん、この近くに病院ってありますか?」

 この近くに病院……。足ってことは整形外科だよな。

「佐野クリニックがある」

 俺の言葉に、医務員さんも思い出したかのように手を合わせた。

「そうね。佐野クリニックなら、大学からすぐだし、バス通り沿いにあるわね」

 ということで、応急処置が終えてから、俺は広田を連れて佐野クリニックへと向かった。


「うい〜す」

「先輩、いくら何でも病院でその挨拶はないと思います」

 俺の後ろから、松葉杖姿の広田がツッコんできた。

「いいんだよ。ここは俺の馴染みだから」

 この佐野クリニック。大学からも近く、歩いても十分そこらで来れる所なのだが、足を怪我した今の広田にとって、そのくらいの距離を歩くことも困難な状態。大学前からバスでここまでやってきた。

「要は先輩のかかりつけなんですね」

 佐野クリニックは、俺が羽音市へ引っ越してきてからお世話になっている病院で、整形外科の他にも内科と皮膚科、リハビリ科も併せている。この病院を選んだ理由は、名医がいるとか看護士さんが美人とかではなく、単にアパートから一番近くにある病院だからである。

待合室に視線を移すと、数人のじーちゃんばーちゃんが長椅子に座っていた。このじーちゃんばーちゃんたち、病院に来ているのだからどこか悪いはずなのだが、待合や診察室で楽しそうに談笑している姿をみるので、一見してどこがどのように具合が悪いのか判らない。待合には大画面のTVも設置されており、病院というより憩いの場というカンジだ。

「あら新谷君、いらっしゃい」

 受付の奥から、一人の看護士さんが出てきた。

「どもっす」

 俺は片手を挙げ、軽く挨拶をした。

「…………」

 すると俺をジロジロ見始めた。否、俺だけじゃない。俺と広田をジロジロと見ている。

「あの、何か?」

すると何故か苦笑い。

「新しいカノジョ?」

「違います!」

広田が俺のカノジョ……何て激しく、危険な誤解なんだ。

「先輩、そんな即答しなくても……。ちょっとショックです」

 ツッコむところが違う! 瑞希がいたらどうなっていたか……。

「あら違ったの? てっきり新しいカノジョを見せびらかしにきたのかと思っちゃった」

「いくらいつもお世話になってるからって、そんなアホなことは考えません!」

 しかし俺のツッコみを尻目に、再び受付の奥へと消えていった。ケタケタ笑いながら……。

「先輩、あの人誰ですか?」

 広田がそう訊ねてきた。

 広田の頬が赤くなっているのは、あえてスルーしておこう。

「ああ、あの人は佐野文子さん。看護士でここの院長夫人。若く見えるけど、もう三十路ど真ん中だ」

「先輩、そこまで聞いてないです」

 何でも、元々別の病院で勤務していた文子さんを、院長である佐野先生が一目惚れ。ストーカースレスレの熱烈アタックを受け(文子さん談)、結婚に至ったのだそうで、所謂玉の輿ってヤツだ。

「先輩、とりあえず座ってもいいですか?」

 よく考えたら立ちっぱなしだった。

「ああ悪い。お前保険証は? 出してきてやるから、そこに座ってろ」

「はい、ありがとうございます」

 俺は広田の保険証を持って受付の前へ。

「文子さーん」

 名前を呼ぶと、奥から文子さんが出てきた。

「……何でメス持ってるんですか? ここで使うことなんてないでしょ」

 俺の問いに文子さんはただただ微笑んでいた。一瞬空気が凍りついたような気がした。

「こ、これ保険証です。お、俺のじゃないですよ。あそこに座っている後輩の娘ので。整形でお願いします」

 すると文子さんは微笑み、右手にメスを持ったまま、俺の差し出した保険証を受け取った。

 一つ思い出したことがあった。

 文子さんは「三十路」という言葉に、とても敏感だということを……。


 …………

 待合室に腰を下ろして、もうすぐ一時間。未だに名前は呼ばれていない。

 待合の先客は数人だったが、一人一人にかかる診察の時間が長いため、すぐに順番が巡ってはこない。

 広田は一応急患なのだが……。

「私は別にいいですよ。命に関わるってわけじゃないですし」

 当の広田はというと、待合に置かれてある雑誌を読んだりして寛いでいる。足首は痛むが、テーピングにより、我慢できない程ではないとのこと。

「でも先輩は大丈夫ですか? もうすぐ時間じゃ……」

 今日、俺は夕方からバイトがある。だからこの調子で待ち続けていると時間に遅れてしまうのだ。

 広田一人を残していっても、別にどうってことはないと思うのだが、一応瑞希にメールを入れておいた。瑞希の講義終了後、付き添いを交代してもらい、瑞希が到着したら、俺はクリニックを出ることになっている。

 時計をみると、講義終了時刻間近。

「もうすぐ瑞希が来るからな」

 広田は俺の言葉に返事はするが、雑誌に夢中なようで、顔はこちらには向けてこなかった。

 そしてしばらくの沈黙の後、

「そういえば、ずっと気になっていたんですけど」

 広田は雑誌を閉じてラックへと返した。

「先輩たちは、どうして付き合っているんですか?」

 とても唐突な質問だった。しかし広田の目はマジだった。

「どうしてって、何をいきなり」

 俺は広田の意図が掴めず、どう答えていいのか戸惑った。

「最初の出会いとか、何で付き合うことになったのかとか、そういう話です」

 要は俺と瑞希の馴れ初めの話ね。もう遠い過去の話のように感じるが、俺と瑞希は大学で知り合ったのだから、まだ二年も経っていない。

「う〜ん、何でだろうな」

 俺の言葉に、広田は「ええ?」と少し呆れたような声を出した。恋人との馴れ初めを覚えていないの? というカンジである

「単純に初めて顔をみたのは、入学式の時。瑞希とちゃんと知り合ったのは、サークルの新歓コンパだ」

 俺は当時の状況を振り返ってみた。

 大学に入ったら何かをやりたいと考えていた俺は、入学式と同日に行われていたサークル発表会で写真サークルを知り、その後入部を希望した。

 瑞希がやってきたのは俺よりも後、新歓コンパの直前だった。当初は時期的に「コンパでタダ飯」狙いじゃないかと言われていたが、純粋に写真撮影に興味があったようで、コンパ後に正式入部となった。

 コンパでの俺と瑞希は挨拶を交わす程度の関係でしかなかったが、どうも俺たちは「撮影対象のツボ」が似ているらしく、課題作品の撮影等で瑞希と一緒になることが多かった。当然一緒に過ごす時間も、他のメンバーよりも多いわけで、色々なんやかんやしているうちに、いつの間にかこういうことになっていたのだ。

 大体一回生の夏頃から付き合い始めたが、正直、正確な日はよく判らない。

「一応聞きますけど、付き合っているんですよね?」

 今の言葉、付き合い始めてから今まで、周りの人間からそれこそ百万回言われてきた。

 そしてその言葉に対する答えも、それこそ百万回言ってきた。

「ああ、付き合ってるよ」

 いつ付き合い始めたとか、俺はそんなこと今となってはどうでもいい。

「いいんじゃねえの。世界に一組くらい、俺たちみたいなのがいても」

 俺と瑞希は、いわば「始まりのない恋愛」。そんな俺たちの行き着いた答えが、これだった。

「あはは。さすがですね。でも一組ってことはないと思いますよ」

 俺の話に、広田は半ば呆れ顔で笑っていた。まあちょっとしたノロケ話だしね。

「何か羨ましいですね。私もはやくカレシ欲しいなあ……」

 広田はそう言いながら背伸びをし、俺から視線を外した。

「あれ?」

 広田が待合室に設置されてあるTVに釘付けになった。

 TVでは夕方の情報番組が流されており、画面の下には『あなたの健康チェック』というテロップが出ていた。

 どうかしたのかと訊ねると、広田は画面に映し出されている、いかにも頭の良さそうなコメンテーターを指差した。

「あの人、この間大学病院で見たことありますよ」

 そのコメンテーターはテーブルの前に「財部 司郎」と書かれたネームプレートが置かれていた。

「ああそうなんだ。よく覚えてるな。誰なんだ?」

「川上先輩のお見舞いに行った時、私お花を生けるのに外へ出たじゃないですか。その時、教授回診があったみたいで、そこで見ました。名札見たら冗談みたいな名前だったので覚えています」

 広田は当時の状況を説明してくれた。爆破事件があった時のことだな。

 冗談みたいな名前……ああ「白くて大きな塔」のことね。

 実際は(たからべ しろう)と読むらしい。

「タミヤさんです」

 お前何歳だよ……。

「ていうかTVに出ているってことは、けっこう有名な先生なのかな?」

「この先生のことかは判りませんが、大学病院の内科って県内ではトップレベルらしいですよ」

 広田としばらくTVに観入っていると、俺を呼ぶ声が聞こえた。

 声の主を探すと入り口の所に瑞希の姿を発見した。

「じゃ広田、付き添いチェンジな」

「はい、ありがとうございました」

 俺は立ち上がり、思いっきり背伸びをした。

「あ、そうそう」

「はい、何ですか先輩」

 一応釘を刺しておこう。

「さっき話をしたこと、瑞希には内緒だそ」

 俺はそういい残し、クリニックを後にした。


 そして夜。

 バイトが終わってからケータイを見ると、瑞希からメールが届いていた。

 広田の足首は捻挫で、一週間もすれば良くなるそうであった。足首には簡易ギブスが施され、しばらくの間は不便かもしれないが、とりあえず骨折でなくてよかった。


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