第三章 かつて、渦中の人
翌日。
午前の講義が終わり、昼休みとなった。待ちに待った昼食タイムだ(といっても、大学の講義スケジュールは学生によってバラバラなので、みんながみんなというわけではない)。
俺は瑞希と一緒に売店へ行ってパンと水を購入し、写真サークルの活動室へ向かった。
昼食の場所だが、瑞希と一緒の時は大体次の講義がある教室か、空き教室で食べている。しかし今日に限ってサークルの活動室で食べることになったのには、一つの大きな理由があった。
そこにTVがあるからである。
そしてTVで観たい内容も決まっていた。昨日の爆破事件の続報である。
実の所、昼のワイドショーなんて朝の帯番組と大して変わらない内容なのだが、俺も瑞希も朝はギリギリまで寝ているダメな大学生なので、昨晩からの進展を未だ確認していなかった。
「うい〜す」
「失礼します」
活動室に入ると、先輩が数人TVを観ながら昼食を摂っていた。何を観ているのか、俺はパンと水の入ったビニール袋をテーブルの上に置いて、TVへと近付いた。
「おう、お疲れ。例の爆破事件の続報、やってんぞ」
俺の存在に気付いた先輩が、顎で俺にTVの方へ促してきた。
何か新しい情報が出てきたのだろうか。俺は画面に注目した。
「狙ってたのよ! 絶対、絶対私のこと狙って、あそこに爆弾をおいたのよ。私はっきりと見たんだからね!」
TVに映し出されていたのは、記者に囲まれてがなり続ける一人の女性の姿。
年齢は五十代後半くらいであろうか。パーマをあてたショートカットに、ケバい化粧。一見すればどこにでもいそうなオバチャンである。
「……で、これは一体何なんですか?」
「だから昨日の爆破事件だって」
昨日俺は事件のあった病院にいたが、このオバチャンの存在は知らない。このオバチャンと今回の事件に一体何の関係があるというのか? 一応瑞希にも確認するため視線を送ったが、やはり判らないのか両手を広げ、首を振った。
「誰です? このオバチャン」
すると先輩はニヤッと笑った。今の発言のどこに、笑う所があったのだろうか?
「そうかお前、白川十未子を知らない世代なのか」
白川十未子。……何か聞いたことのある名前だ。でも、顔とか背格好は全く思い出せない。
「誰なんです? その白川って人。名前は聞いたことあるような気がするんですけれど」
瑞希も俺と同様であり、白川十未子について身を乗り出して訊ねてきた。
「お前らって、そういう世代なんだな。俺も歳をとったな。つっても、そんな離れてもないし、いう程昔でもないが……」
先輩は何かをブツブツ言っている。早く教えろっつーの!
「はいはい、そんな顔するなって。この白川ってのは、十五年前に起きた毒物混入事件の容疑者だった人なんだよ」
「容疑者?」
そんな人が何故?
「この白川十未子も、病院爆破の現場にいたんだってさ」
俺の心中を見透かしたように、先輩はそうフォローを入れてくれた。
「これはね、絶対私のことを狙ってたのよ! 私がトイレに入った時に、変な人影が後ろからついてきて、持っていたダンボール箱を用具入れの中に置いて出て行ったの。おかしな人だなって思ってたら、爆発したの。あれは絶対私の命を狙ったものに違いないの! もう、警察は一体何をやっているの!」
TVの中で、白川が暑苦しい顔でヒステリックにまくし立てていた。爆発時に負ったのか、頬には絆創膏が張られていた。
白川はかなり興奮した状態で話しているので、聞いていても何を言っているのか、あまりよく判らなかったが、画面がスタジオに切り替わってコメンテーターの話となり、そこでようやく白川の置かれていた当時の状況を掴めることができた。
爆破事件当日、白川は診察をうけるため大学病院を訪れていた。診察終了後、トイレへと向かった際、入口でダンボールを胸に抱えた女性と鉢合わせになった。白川は先にトイレの中へと入るが、その女性は抱えていたダンボールをモップ等が保管されている用具入れに入れ、用を足さずに出て行った。白川は不審に思いながらも、用を足そうと個室へ入ろうとした時、爆発が起こった。因みに、女性の顔は帽子と色のついた眼鏡でよく判らなかったそうである。
「でも、だからといって、この人が狙われたかどうかは判らないと思うんだけど」
俺の隣りでTVを観ていた瑞希が、そう呟いた。
俺も同感である。今TVで説明された白川の状況を考えてみて、この爆発物が白川を狙ったものとするには少し無理がある。
「単純に、って言ったらおかしいけど、病院自体を狙ったんじゃねえのかな」
先輩の一人が瑞希の呟きに答えた。状況から言えば、そう考えるのが普通である。白川はその現場に、運悪く遭遇してしまった。それだけのような気がする。
「何だか、被害妄想的だな」
俺はTVの前を離れ、テーブルの上に置かれたパンの入った袋に手を伸ばした。
現場の状況からみて、この爆破事件が白川を狙ったものである可能性は低い。もし本当に殺るなら、こんな間接的かつリスクの高い方法は選ばないと思う。正直言ってバカな話である。
しかしこんなバカな話を、TVは大真面目に報道している。これは一体どういうことなのか?
「んで、ここで繋がってくるわけにぇ。その十五年前の事件ってにょが」
「そ、壮介君。パン食べながらしゃべるのはやめようよ」
因みに今日のメニューは、アンパンといちごジャムパン。口の中がネチョネチョする。
「詳しく見てみるか?」
先輩の一人はそう言って、活動室の隅に置かれているパソコンのスイッチをONにした。
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『藤野川毒入りたこ焼き事件』
概要
平成○年八月十日夜、○○県藤野川市中野地区で催された夏祭りで、町会の屋台で振舞われたたこ焼きを食べた人が、下痢や腹痛、吐き気を訴え、病院に搬送された。搬送中に意識を失い、その後死亡する人もいたため、警察がたこ焼きと吐物を検査したところ、農薬の成分を検出。現場の状況から、何者かが何らかの方法で、たこ焼きのたねに毒物を入れた可能性が高いと判断。県警は捜査を開始した。
容疑者
同年八月三十日、警察は中野地区在住(当時)のパート従業員、白川十未子を殺人と殺人未遂の容疑で逮捕する。物的証拠は無く、夏祭り参加者の証言等による状況証拠を積み重ねての逮捕となる。
犯行動機について警察は、白川十未子は以前より地域住民との関係が上手くいっておらず、また同年七月に夫である白川悠三を事故で亡くし、その告別式の際にも、地域住民とトラブルを起こしていた。それらにより白川十未子は今まで溜まりに溜まっていた地域住民らに対する不満が爆発し、犯行に及んだと判断。尚、白川十未子は逮捕直後より容疑を全面的に否認した。
裁判
同年十月一日、白川を容疑者否認のまま、殺人と殺人未遂で起訴。
検察側は今回の事件について、「日頃から地域住民らに対して不満を感じていた白川十未子は、夫の告別式で起こったトラブルにより不満が爆発。地域住民の無差別殺人を計画し犯行に及んだもの」とし、白川十未子を追求した。
その後裁判が行われる。当初、白川の有罪が濃厚であると言われていたが、やはり物的証拠が無く、夏祭り参加者の証言等での組み立てが中心となり、意外にも苦しい裁判運営を強いられることとなった。また頼みの証言についても、目撃者の記憶が曖昧なものであったりするため、決め手となる証言が得られずにいた。逆に、夏祭りに参加していた女性(匿名)より、検察側が主張する白川がたこ焼きに農薬を入れた時間帯に、別の場所で白川を目撃したという証言があり、検察側は日に日に劣勢となっていった。
事件から五年後、地裁は白川に対し、「証拠が不十分」「毒物を入れることができたのは、白川だけとは言い切れない」として無罪を言い渡す。検察側は判決を不服として、即日控訴する。
地裁判決から二年後、高裁は地裁判決を支持、検察側の訴えを棄却する判決を出した。その後検察側は控訴を断念。よって白川の無罪が確定した。
その後
無罪確定後、白川は多数の出版社、TV局を相手取り、名誉毀損等の民事訴訟を起こす。この背景には、逮捕前後に加熱した報道により、自身のプライベートを曝け出されてしまった経緯がある。
また事件直後から白川の自宅周辺に落書きや中傷ビラといった嫌がらせが後を絶たず、裁判で無罪が確定した後も続いた。白川は自宅に防犯カメラを設置する等で対応するが、あまり効果は見られず。結果白川は自宅のある中野地区を離れることとなる(現在白川宅は取り壊され、空き地となっている)。
※※※※※※※※※※
「なるほどねえ。何となく思い出してきた」
白川が関わった『毒入りたこ焼き事件』について、インターネットの未解決事件を扱ったサイトで、一連の流れについて知ることができた。今更ながら、便利な時代になったものだ。
「これって今から十五年前の事件だよね? 私たちはその時五歳。よく覚えてないのも無理ないよ」
瑞希の言うとおり、当時の俺たちは幼稚園児。しかも生まれ故郷はこの地方ではないから、事件について何の関心もないのは当然といえば当然。俺が思い出したのは、白川の裁判について。有罪か無罪かという論議を何度かニュースで観たことがあった。
「そういえば、戸山教授は中野の近くに住んでいたと思うぞ。他に詳しいこと知りたかったら聞いてみたらいいんじゃない」
戸山教授というのは、俺が受けているゼミの先生。小汚いボサボサの白髪頭と、文系のくせに何故か羽織っている白衣がトレードマークである。ゼミ生の間では「とっつぁん」と呼んでいる。
「ふ〜ん、とっつぁんがねえ。暇な時に一度訊ねてみるか」
「いや壮介君、戸山教授はそれなりに忙しいと思うよ。確かによく学内ブラブラしてるの見るけど」
俺がゼミ以外でとっつぁんに会うと、いつも暇そうにしており、よく研究室や食堂に誘われる。いつ自分の研究を行っているのだろうかと疑問に感じるのだが……。
「そうかなあ。まあこういう時に限って、向こうが忙しくて会えないっていうのがお約束なのかもな」
俺は瑞希にそう答え、アハハハハ〜と笑いあった。
「おお、新谷じゃないか」
昼食を終えて次の講義が行われる教室へ向かう途中、白衣を着た小汚いオッサン……もといとっつぁんに「偶然」出くわした。
手には何故か虫取り網が握られていた。
「何をしようとしてるんですか?」
恐る恐る訊ねてみた。この人はたまに俺たちの想像を遥かに超えた(くだらない)ことをする。
「いや何って、これから駐車場裏の林へクワガタを捕まえに行くんです」
……呆れて何も言えないというよりも、ツッコミどころが多すぎて、どれから手をつけていいか判らなかった。
「どうしたんだ?」
とっつぁんは視線を逸らし押し黙る俺たちを、とても不思議そうに見ていた。
「いや、そんなマジで何? みたいな顔されても。ツッコミどころが多すぎて……」
「スミマセン、今の季節にクワガタはいないかと……」
するととっつぁんは、手に持っていた虫取り網を俺たちの前にかざしてみせた。
「いやいや、もしかしたら越冬クワガタがいるかもしれない。捕まえたら、娘に見せびらかしてやろうと思ってね。お父さんの株アップに繋がるぞ」
無駄に格好よく虫取り網をかざしたが、出てきた言葉はあまりにくだらない。
因みに、とっつぁんは四十を過ぎてから結婚。現在は奥さんと、幼稚園に通っている、孫のような一人娘の三人家族である。
アホなのか? このオッサンはアホなのですか?
瑞希の方へ視線を送ると、瑞希は完全に目が泳ぎ、俺にすら視線を合わせてくれなかった。
「要は……暇なんですね」
俺は思わず、言ってはいけない本当のことを口にしてしまった。
「いやいや、クワガタ探しで忙しいのだ」
再び俺たちの前に虫取り網をかざしてみせてきやがった。
…………
スミマセン、俺が間違っていました……。
(壮介君、ガンバッテ)
かすかに、瑞希のものと思われる声が聞こえた。
……どう、ガンバレと?
午後の講義終了後、俺はとっつぁんの研究室に来ていた。
この研究室、広さは大体八畳くらいなのだが、それを全く感じさせないくらい、本で埋め尽くされている。人間が活動できるスペースは、トータルで二畳程しかない。本の他にあるのは、机とパソコン、小型の冷蔵庫にトースター。
俺は冷蔵庫を開けてみた。
中には本が所狭しと詰め込まれている。
初めて見る人はこの光景にドン引きするであろう。しかしゼミ生にとっては「いつもの光景」なので、もう驚くことはない。
一応言っておくが、ドン引きする方が普通の反応である。この光景に慣れてしまった、俺たちゼミ生がおかしくなってしまったのだと思う……。
「君も一つどうだ?」
とっつぁんは俺に煎餅をすすめてきた。一ついただくことにする。
ちょっと湿っぽい煎餅を食べ終わった後、俺は今回研究室にやってきた理由を伝えた。
それは十五年前に起こった、あの事件について。
「ああ、たこ焼き事件ね」
略すると何て緊張感のない事件名なのだろうか。
とっつぁんは立ち上がり、扉近くの本棚の前から一冊の雑誌を俺に手渡してきた。
それは事件当時に発売されていた週刊誌であった。開くと一ページ目から事件についての記事が掲載されていた。
「実はね、当時ちょっとした縁で、事件についての資料を集めていたんだ。大半は私の自宅に保管しているのだが、その雑誌だけ研究室に埋もれていたんだ。それでね……」
俺はとっつぁんの話をテキトーに右から左へスルーしながら、いくつもの関連記事に目を通していった。
事件の概要についての記事は、昼にインターネットで見たこととほぼ同一であった。ただ、この雑誌で多くのページが割かれていたのは、当時まだ「疑惑の人」であった白川のプライベートについてであった。
「いやあ、あの頃はスゴかったんだぞ。市内をTV中継者が走り、警察の前にはいつもマスコミが大勢待機。逮捕の日は朝からヘリコプターが何機も飛んでいた。藤野川が一気に有名になった事件だったよ」
俺は生返事をしながら記事に目を通す。記事の内容は、正直「あることないこと書いてます」という印象。素人目にも信憑性に欠けるものであった。
また白川に対する嫌がらせについての記事も掲載されていた。最初は無言電話にピンポンダッシュ。それらがどんどんエスカレートし、投石や「殺人夫婦は出て行け!」等と書かれた中傷ビラが撒かれたりしていたようだ。
「……てなカンジで凄まじい時代があったんだ」
何だが話が脱線しているようだったので、もう気にしないでおこう。次のページをめくると、被害者についての記事が掲載されていた。
被害状況(八月二十日現在)
死亡
三倉 チヨ(七十七)
畑山 正憲(二十一)
下村 大和(十二)
斉藤 千恵美(九)
この他、意識不明の重体二名を含む二十五人の方々が入院中となっていた。
インターネットの方には具体的な被害者の数が書かれていなかったため、具体的な被害状況を、俺はここで初めて知った。
老人から子供まで、四人もの人間が亡くなっている。この事件、死者が出ていることは知っていたが、具体的な数を示されると、この事件がどれほど重大で、痛ましいものか、ここでようやく実感できた。
「ところでとっつぁん。さっき、ちょっとした縁って言ってけれど、それって何なの? 探偵でもやってた?」
そういえば、小汚いボサボサの頭が、有名な某探偵と似ている。一応念を押すが、あくまで「小汚いボサボサの頭」のみである。
「……さっき話したじゃないか。聞いていなかったのか?」
とっつぁんは呆れたように顔をしかめた。
スミマセン、聞いてませんでした。
「全く……。え〜、事件の容疑者だった白川十未子さんの旦那さんである白川悠三さん、彼は私の大学の先輩なんです。学生時代色々と世話になったことがあるので」
……意外な事実発覚。
世間て、意外と狭いんだなあ。
心の中で、某相田さんぽく呟いてしまった。