第一章 病院へ、お見舞い
「ちーす。先輩、生きてますか?」
俺は病室のドアを開け、大部屋の右奥にあるベッドで、足を吊るされている先輩に声をかけた。
しかし俺の声に対する反応は皆無であった。
「ちょ、壮介君」
後方から瑞希が俺の袖を引っ張った。何事かと思い振り向こうとした時、左手前のベッドが目に入った。
そのベッドには一人の老人が、とても安らかな顔で横になっていた。
周りには家族らしき方々と医者、看護士数人が非常に緊迫した様子でベッドを取り囲んでおり、ベッド横に置いてある機械からは、ピッ、ピッと、割と間隔のあいた電子音が鳴っている。
はっきり言って、今の発言は気まずい。とても気まずい。
「あ〜、気付いてないよね?」
「多分。早く行きましょう」
後輩の広田がそう言って、俺の背中を押した。
「ったく、あの患者さんそろそろヤバいらしいんだから。後で居辛くなるのは俺なんだからな」
ベッドを囲む俺たちに、川上先輩は渋い表情を作った。
俺の名前は新谷壮介。羽音学院大学の二回生。
今日俺は、大学で所属している写真サークルの川上宏先輩のお見舞いに、俺のカノジョである岡本瑞希、後輩の広田藍と一緒に、羽音市の隣町にある大学病院へ来ている。因みに彼女たちも、俺と同じく写真サークルに所属している。
さて何故川上先輩は入院しているのかというと、先日大学の階段で足を滑らせて転落し、足を骨折してしまったためである。
「でも無事で良かったです。あの時はもう駄目かと思いましたから」
瑞希が安堵の表情を浮かべていた。何でも瑞希は先輩が転落した時の一部始終を目撃していたそうで、階段の下で頭から血を流し、ピクリとも動かなかった先輩を目の当たりにして、血の気が引く思いだったと、当時を振り返っていた。
確かに命に別状はなかったが、片足はギブスでガチガチに固められ、頭は包帯でグルグル巻きの状態が、果たして「無事」なのかは甚だ疑問である……。
「先輩、お花持ってきました。花瓶ってあります?」
「ああ、前にお袋が持ってきたのが、ベッドの下にあるから。サンキュ」
広田の問いかけに、先輩はベッド下を指差した。広田はベッド下から、ダンボールに入っていた花瓶を取り出し、花と一緒に持って病室から出て行った。
「エエ後輩や」
先輩はしみじみと呟いた。
「なんか俺たち、ダメな後輩みたいっすね」
「全然そんなことないぞ。俺が階段から落ちた時、応急処置をしてくれたり、救急車を呼んでくれたりしたそうじゃない。ありがとうな、岡本!」
先輩の感謝に溢れた眼差しは、瑞希のみに注がれていた。俺のことは……全く眼中に入っていない。
「せんぱ〜い、俺も見て〜」
俺は瑞希の横で溢れんばかりの笑顔を作り、一生懸命両手を振った。
「俺は君たちのような後輩を持てたことを、幸せに思っている!」
「いえ、そんな滅相もない」
「一日も早く、怪我治すからな。他の部員にもよろしく伝えておいてくれ」
「あ、はい。頑張って下さい!」
俺はただ懸命に手を振り続けた。軽くステップも踏んだりした。
俺はいつの間にか、空気と同化してしまったのか? そうか、だから俺の存在に気付いてくれないのだ。
そうだ、そうに違いない!
「先輩、何踊ってるんですか?」
いつ戻ってきたのか、広田が花を挿した花瓶を抱えて俺の横にいた。
「広田、俺の姿が見えるのか?」
「はい、くっきりと」
俺の問いに、広田はキョトンとした表情で答えた。
…………
お前らなんか、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえっ!
「ちょっと待ってよ〜」
病室を出て、大股で歩く俺の後ろを、瑞希が小走りでついてきていた。そしてそのまた後ろを、広田が全く訳判らないといったカンジでついてきていた。
「お前らなんか……お前らなんか、イソギンチャクに喰われてしまえばいいんだ……」
「壮介君、訳判んないよ」
俺は傷ついた……。この病院には、俺の心の傷を治してくれる科はないのか?
そうだ、ここはこの辺りでは一番大きい大学病院なんだ。傷ついた心を専門に扱う外科か何かがあるはずだ。そうだ、あるに違いない!
「ああっ、先輩が明後日の方向を向いて笑っています! しかも半笑いです!」
「ちょ、ちょっと壮介君!」
どこだ、俺の本当の居場所は……俺の、俺の楽園は・・・・・・!
「目を覚まして!」
カッコーン!
「ぬおっ!」
後頭部に刺すような激しい痛みに襲われた俺は、その場に蹲ってしまった。
後頭部を手で押さえながら顔を上げると、そこには瑞希と広田が立っていた。
瑞希の手には靴が握られていた。
硬いヒール部分を俺の方に向けて。
「先輩、大丈夫ですか? 色々と」
広田が心配そうに問いかけてきた。「色々」ってどういう意味だ?
俺は後頭部にあてた手を恐る恐る離してみた。
「血は出てないな」
もし出ていたら俺も即入院である。「色々」とシャレにならない。幸い頭は割れていなかったが、派手なタンコブができるのは避けられないような痛みであった。
周りを見ると、廊下を歩いていた他の患者さんが何事かといった表情でこちらを見ていた。さすがに恥ずかしいので立ち上がり、とりあえずその場を移動することにした。
「なあ瑞希、俺何であんな所で蹲っていたんだ? 頭メチャ痛いし」
病室を出てから、後頭部に激しい痛みを感じるまでの間、何をしていたか覚えていない。
ていうか、何で俺病院に来ているんだ?
……思い出せない。
「「気にしない、気にしない」」
しかし瑞希と広田は、同じ言葉を繰り返すだけで、他には何も答えてはくれなかった。
俺の背中を押す二人の「妙な」笑顔が、印象的であった。
エレベーターで一階へと降り、総合受付の前を通って出口へ向かうその時であった。
ドーン!!
大きな爆発音と共に病院全体が揺れた。巨大地震のような揺れとその衝撃で、俺たちはその場に立っていることができず、転倒して床に這い蹲った。
そして爆発音が余韻に変わり始めた直後から、院内はパニック状態となり、悲鳴と怒号に包まれた。
本能的にヤバいと感知した俺は、呆然として床に手をついたままの瑞希と広田を強引に抱き起こし、パニックになる人々を掻き分けて出口へ向かった。幸い出口近辺にいたため、すぐに病院外へ出ることができた。病院前のロータリーに未だ呆然としている二人を座らせた。
俺は二人がケガをしていないか確認したが、服が少し汚れた程度で幸いにもケガはなさそうであった。
「何なんだよ、一体!」
俺は二人の座っているロータリーから、病院全体が見渡せる場所まで下がった。
すると割れた二階の窓から黒煙がもくもくと、まるで青空を侵食するように広がっていた。




