蜘蛛飴
最近は、小物作りにはまっているんだ。
少年の言葉を聞いた少女は驚いて、同時に尊敬の眼差しすら向ける。少年はと言えば、お陰で夜も寝られないと欠伸を噛み殺していた。
朝の陽気を浴びながら、通学路を歩む二人の影が長く伸びている。少年が眠そうに足元の影を見つめて口を閉ざしていると、どこかそわそわしていた少女はその小物とやらを見せて欲しいとねだった。
少年は特に言う事もなく、肩に提げた鞄から取り出したのは、掌サイズにデフォルメされた蜘蛛だった。太く丸い八本の足に、大きな目がふたつ、間にある黒い小さな点が残りの目なのだろうが、目立たないように細工してある。薄い桃色を基調としており可愛らしい。
蜘蛛と認識して嫌悪を感じるよりも、可愛らしく作られたそれに少女は喜ぶ。こんな才能があったのかと褒めると、冗談ではないと少年は不貞腐れた。何でも作っているのは妹で、これの手伝いをする為に夜も寝られないと言うのだ。
いつもいつも、仲の良さそうな事だ。
思わずちくりと感じた胸の痛みを無視しつつ、少女は柔らかな蜘蛛のお腹を撫でて違和感を覚える。それは滑りのよい手触りと共に、中に何か、ごろりとした異物があったのだ。
よく見ればお腹の上下を別けるように横に伸びるチャックがあり、開いてみると飴玉が転がり落ちてきた。何の変哲も無いただの飴玉だが、袋にも入っていない。
裸のままのそれに不衛生だろうと睨みつけると、妹の案だと少年は言葉尻に欠伸を加えた。
何の為の飴玉だろうか。首を傾げる少女は短く感じる時間の間に教室へと着いてしまい、少年は気も無く手を振って自分の場所へと向かう。彼女もまた、自分の席に着き、何となく持ってきてしまった蜘蛛を机の上に置いて撫でてみた。
少年の妹から、こういった手芸を学ぶべきか。そんな事を考える。
昼休みに友達から貰った飴玉を、袋のまま蜘蛛のお腹に収めた少女は少年の所へ行き、返しそびれたそれを手渡した。申し訳なさそうな少女に対して少年は、どうでも良さそうにそれを受け取った。
退屈な授業を終え、いつものように不審者に気をつけろといった言葉で締めくくられるショートホームルームを終え。待ち侘びた下校時間。
少女が少年の下へ小走りに向かうと、偶々、鞄を持って教室から出て来た少年を見つける。言葉も少なに帰るかと、その一言に少女は嬉しそうに笑った。
下校時間ともなれば、授業中の勉学を睡眠時間に回したのか、少年は朝より元気ではきはきと喋る。これから、また夜に小物作りを手伝わされるのかと問えば、憂鬱そうに頷くばかりであるが。
二人は取りとめもない会話をするだけで帰りにどこに寄るでもなく、ただ家路に着く。
そんな折、そろそろ別れ際かという所で角を曲がると、周囲の家の塀に沿うように建ち上がった電柱に向かって立ち尽くす男の姿があった。スーツ姿のその人物へ、社会人が帰るには早い時間じゃないのかと笑う少年。
用を足しているのかも知れない。
そう、ふと頭に浮かんだ少女は相手を思いやり、出来るだけ離れて気づかぬように立ち去ろうとした。その男の側から、やはりとでも言うべきか、ぴちゃぴちゃという水音に身震いする。少年は面白そうにそこへ顔を向けるので、目があったら居心地が悪いだろうと肘で小突いた。
しかし、少年が目を丸くしてそれを凝視する、所か動きすら止めてしまった。
さすがに少女も気になって、そこに目を向ける。
猫背の男は、少女の思うような事はしていなかった。ただ電柱に向かって、スーツ姿で立っている。口に蜘蛛のぬいぐるみを含んだまま。
ぴちゃぴちゃ、ぺちゃぺちゃ、ずっ、ずっ、ずっ。
お腹の部分を一心不乱に啜る男。蜘蛛のぬいぐるみは男の激しい口の動きに対して足を激しくばたつかせ、大きな目玉をぐるぐると回している。
動けなくなった少女に対して少年は、ははあ、なるほどと頷いた。
その横で少女は彼の妹からだけは何も教わるまいと決心を固めたのだった。
霜月透子様主催【ヒヤゾク企画】参加作品、三作品目となります。
「冬」「凍」に因んだ内容となりますが、おしゃぶりサラリーマンを登場させるかどうか、少年と少女の会話はどうするか、とラストが中々定まらずに投稿する直前まで考え込んだ本作ですが、個人的にはコミカルチックな締めとさせていただきました。
元々は感想欄でのやりとりで思い出したものから派生したものなので、産みの親となるのはお二人いらっしゃいます。ご読了、ありがとうございました。