『探偵は偶然や第六感で事件を解決に導いてはならない』
「いえ、特に何も」
瞬さんがそう答えると、高橋刑事は途端に困惑した表情になった。
「本当に何も見てないのかね?」
「ええ、何も」
「おかしいね……おおむらさんの部屋の窓は内側から鍵がかかっていた。しかし一方でドアの鍵は開いていた。しかし、君の言うとおりドアから誰も出入りしなかったと仮定すると、あそこは密室だったということになってしまう。だが、凶器となったキーボードには、指紋が拭き取られた形跡があったのだよ。事件の可能性が高いわけだね。つまり……」
高橋刑事はわざとらしく一度言葉を切った。
「瀬名君……君が言っていることが本当だとすると、犯人は君でしか有り得ないんだよ」
いやいやいやいや、そんなバカな、と口走りそうになって、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。なんだかこの刑事はあまり刺激しないほうがいいような気がする。とんでもない理由で因縁つけてきて、そのままロックオンしそうなタイプっていうか。
そう、思い込みの激しい、執念深いタイプだ。俺は頭は悪いけど、人を見る目だけはあるつもり。メトロポリタン・ヴァンガードのファンには特にそういうタイプが多いような気がする。
そんな奴がエリートコースに乗ってる警察ってどうよと思うけど、テレビやなんかでこのところ立て続けに報じられている警察の不祥事を見ていると、警察だってロクなもんじゃない。刑事ドラマの主人公みたいな正義感に燃える刑事なんてのは、もしかしたら四つ葉のクローバーぐらいURな存在なのかもな。刑事ガチャなんかあっても絶対引かないけど。
まさか瞬さんがそんなことするわけない。ちゃんと捜査すれば瞬さんの潔白は証明されるはずだ、とは思うけど、ふと、この間ニュースで見た冤罪事件のニュースが頭に浮かんだ。警察が適当な捜査で犯人をでっち上げ、取り調べの際、無理矢理自白に追い込んだという事件だ。
瞬さんがあれの二の舞になったらどうしよう。そもそも瞬さんをここまで連れてきたのは俺なんだ。そう思うと、責任を感じてしまって、黙っていられなかった。
「瞬さん、本当に何も見てないんすか? 何か、こう、見落としとか、うたた寝しちゃってたとか、本に熱中してたとか……」
「いや、ちゃんと起きてたぞ。それに、周りが静かだったから、人が出入りしていたら気がつくはずだ」
呑気なのか惚けてるのか、高橋刑事のねめつけるような視線を浴びても、瞬さんは全く意に介していない様子だ。こっちは気が気じゃないってのに……。
「もし俺が犯人だったとしたら、ここから不審な人物が出入りするのを見た、とでも言っているんじゃないですか? その方が、無理なく疑いを自分から逸らすことができる」
瞬さんが不敵な笑みを浮かべながら言うと、高橋刑事は少し考えてから答えた。
「いや、そうとも言い切れないな。そんな嘘は調べればすぐにわかる。それよりなら、現場を密室にして事故に見せかけるほうを選んだと考えれば不自然ではない」
すると、瞬さんはやれやれと言わんばかりに軽く肩を竦めた。
「なるほど、そういう考え方もあるんですね」
俺にはその仕草が、高橋刑事を挑発しているように見えた。なんだろう、あまり普段の瞬さんらしくない。
「あ、あのぅ……」
その時、部屋の片隅で一連の会話を見守っていたオーナーのおばさんが、おずおずと口を開いた。
「実は、ロビーには防犯カメラが設置してありまして、その映像を確認して頂ければ、そちらのお客様が申されたことが事実かどうか、わかると思うのですが……」
「えっ、防犯カメラ?」
これには高橋刑事も意表を突かれたようで、応じた声が若干裏返っていた。そりゃそうだわ、こんなボロっちい民宿に防犯カメラが設置されているなんて誰も思わないもんな。そんな情報があるなら先に言ってよオバサン!
見張りの刑事が面倒くさそうにオーナーの言葉を補足した。
「確かに、そちらの青年はロビーでずっと読書をしておりました。その姿がばっちり防犯カメラに収められています。また、カメラに映っていた人間は彼のみ。玄関からロビーを通らずに客室まで行くことは不可能ですから、外部からの犯行は有り得ないということになりますな。カメラの映像は引き続き確認中ではありますが、今ここにいる六人と被害者、そしてオーナー以外に、今日あの建物に入った者はいないようです」
なんだ、もうチェックしてあるんじゃん。
「……な……何だって……」
当てが外れたのか、高橋刑事は目を丸くして驚いていた。ざまあみろ。
それにしても。
殺人という言葉と、さっき目にしたおおむらさんの姿。
頭の奥のほうで、記憶がチリチリと疼くような感覚。
監獄島(※)での凄惨な事件のあと、俺は何度かカウンセリングを受けた。島に着いてからの記憶が曖昧で、PTSDによる記憶障害と診断されたのだ。
あの事件以降、俺は、頭の中にぽっかりと穴が空いたような喪失感に囚われている。監獄島のことだけじゃない、何かもっと大事な記憶をなくしてしまっているのではないかという疑念。子供の頃からの記憶が、靄がかかったようにところどころ曖昧になっている。
シャワーを浴びて速攻で寝てしまった俺は、寝ぼけ眼でおおむらさんの頭部から流れ出る血を目にして、もちろんめちゃくちゃ驚いた。一瞬で目が覚めた。けど、それだけじゃなかった。
あの日以来、心の奥底に封印された記憶、その断片を掴みかけたような気がしたんだ。
チリチリ、チリチリ。
まだその感覚が仄かに残っている。
でも、どれだけ思い出そうと努力してみても、糸の切れた釣竿のように、その先には何も見つからない。
いったい、俺は何を忘れているんだろう……。
※シリーズ二作目「監獄島の惨劇」参照。
監獄島以来久しぶりに語り手となった鮫太郎ですが、当時とは設定が変わって、普通の男の子になっています(笑)