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『双生児や一人二役の変装は、あらかじめ読者に知らされておかなければならない』

 俺の仮説が否定されたからといって、どこかから他に有力な仮説が湧いてくるわけでもない。あれほど事件解決に意気込んでいた高橋刑事さえも、疲れのためか、一言も発しなくなっていた。警察の捜査はどうなっているのだろう。周囲の雰囲気は、進展がありそうには感じられない。

「あの、刑事さん、けいくんの容体はどうなんでしょう」

 松生は思い出したように見張りの刑事に尋ねる。

「まだ、意識は戻っていないようです」

「あの、私達はいつまでここにいなければいけないのでしょうか? できれば、私達も病院に行きたいのですが……」

「ええ、その……まあ、もう少々お待ちいただけますか」

 見張りの刑事の表情も今一つ冴えない。彼の態度がそのまま捜査状況を表しているように思える。

 これといった収穫もないまま、俺達六人は、もう一度オーナーの自宅の応接間に戻った。


「何か、わかったんですか?」

 応接間に戻ると、座椅子で休憩していたらしいオーナーが不安そうに尋ねてきた。つい数時間前まではこの民宿が満室になったことを喜んでいたはずなのに。ある意味、一番気の毒なのはこの人かもしれない。

 応接間の柔らかい椅子に身を沈めると、今まで蓄積していた疲労感が一気に押し寄せてきた。

 一同を重い沈黙が包む。早々と爆睡してしまった鮫ちゃん以外はおそらくほとんど寝ていないのだから、無理もなかった。特に、メトロポリタン・ヴァンガードのメンバーはツアーを終えたばかりで、相当疲労が溜まっているはずだ。

 そのまま、どれぐらい時間が経っただろうか。時計を見ると、短針はもう文字盤の『6』を越えている。気付けば、もう窓の外が白み始めていた。


 ふと尿意を催した俺は、トイレの場所をオーナーに訊いて、応接間を出た。すると、すぐ近くで刑事たちの話している声がする。別に盗み聞きをするつもりはなかったのだが、聞こえてしまうものは仕方がない。俺は素直にその会話に耳をすませた。


「被害者は頭部の裂傷のみで、脳には異常なさそうだ。おそらく、意識を取り戻すまでにそう時間はかからんだろう。被害者が犯人を覚えていればいいが、相当酔っていたらしいからな……もし記憶がなかったら、酔っぱらって自分ですっ転んで頭を打ったってことにしとこう」

「はあ……え、事故になるんですか? じゃあ、凶器の指紋が拭き取られていたことはどう説明するんです?」

「キーボードっていったら商売道具だろう、自分で手入れして拭き取ったんじゃないかね。何より、現場は密室だったんだろう? どうせ傷害事件止まりなんだし、これ以上捜査しても面倒なだけだ。とりあえず関係者の連絡先だけ控えておいて、もう解放してやってもいいんじゃないか。バンドのメンバーはどうせそのまま病院に行くだろうし、一人は刑事だ。あとの二人は学生だろう?」


 要するに、この件は事故として処理されることになるらしい。警察がややこしい事件を捜査したがらない、ということは経験上知っていたので、別段驚くことでもなかった。


 用を済ませて応接間に戻る途中で、何気なくスマホをチェックする。LINEの通知が何件かあって、母親、小雨、そして、彼女の真紀からのものだった。どうやら、事件に巻き込まれたことを鮫ちゃんが小雨に報告していたらしく、小雨から俺の両親と真紀に連絡がいったらしい。母親と小雨からのメッセージは俺達の身を心配するもので、この二人には、これは事件じゃなくて単なる事故のようだ、と返信しておいた。刑事の話を立ち聞きして得た情報を明かしてしまっていいのかと一瞬躊躇ったが、こんなところまで熱心に調べられはしないだろう。いざとなったら、これは自分の推測だった、と答えればいいだけの話である。


 真紀からのメッセージは、『通話したい』の一言だけだった。


 俺は、見張りの刑事に許可をとって一旦外に出た。見張りの刑事は、もうどうでもいいと言わんばかりの反応で、すっかり捜査の意欲をなくしているらしい。

 外に出ると、早朝の澄んだ空気が、随分おいしく感じられた。すぐにLINEのトーク画面を開き、通話をタップ。この時間だともう寝ているかもしれない、出なかったら後でかけ直せばいいか、と思っていたのだが、予想に反して、画面はすぐに通話中に切り替わる。


「あ、真紀? おはよう。起こしちゃったかな」

『おはよう。密室殺人に巻き込まれたんだって?』

 彼女の声のトーンは、俺が聴き慣れた声よりもだいぶ低かった。なるほど、こっちの真紀か。

 真紀は二つの人格を併せ持っているのだが、今回の事件においてはあまり重要ではないので、彼女についての細かい説明は割愛させていただく(※)。

「いや、確かに密室だけど、殺人ではないよ。被害者はまだ生きてる。どうやら命は助かったようなんだ」

『へえ……まあいいわ。密室の状況を教えて』


 俺は、現場の状況と、刑事に話した内容をそのまま伝えた。

 真紀は根っからのミステリ好きで、以前俺と真紀と小雨の三人で事件に巻き込まれた時には、密室のトリックを見事に解いて見せた実績がある。彼女はこの事件をどう見るだろうか。


『無理ね。不可能だわ』

 彼女はあっさりと言い切った。もう少し悩んでもよさそうなものだが。

『確かに、その状況なら事故と考えざるを得ない。つまんないわね……ところで、瞬はその時何を読んでたの?』

 人が一人殺されかけた事件でつまらないとは何事か、と思ったが、こちらの真紀はいつも冷淡な人間である。

「この間真紀から借りたやつだよ。アガサ・クリスティの、『アクロイド殺し』」

『ああ……あれね。瞬が好きそうな話だものね。何か手掛かりになりそうなものを思い出したら連絡ちょうだい。私はまた寝るから』

 そう言い終わるが早いか、通話は一方的に切られてしまった。


 通話したいというからかけたのに、用事はそれだけかよ。どうせなら、もう片方の真紀と話がしたかったのだが。

 まあ、ぼやいても仕方がない。上着も着ていないし、少し体が冷えてしまった。そういえば、天気予報で今朝の東京は冷え込みが厳しいと言っていたっけ。地元に比べると生温いけれど、長く留まるには寒すぎる。


 そろそろ応接間に戻ろうか。そう思って振り向くと、そこには、こちらをじっと見据える人影があった。

※シリーズ一作目「アンダンテ」参照


次が終章なので読者への挑戦を挟むならここしかないわけですが、まあ、やめておきます笑

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