63話 水面下の緊急事態
夜、明日にも戦いを控えた相部屋の選手たちの就寝は早かった。
合宿の時みたいに少しくらい騒ぐだろうと思っていたため、彼らが部屋に戻ってくるなり明日の支度とストレッチを済ましてベッドに潜ってしまったのには少し驚いた。
やはり、剣士になるための絶好のアピールの場である『剣士養成五学校対抗戦』。万全の準備を整えたいということだろう。
で、何となく、部屋を暗くしなければという雰囲気になってしまったので。
おとなしく電気を消して、俺も布団を被った。
眠気の波は全く押し寄せてくる気配が無い。このホテルに着いてすぐ三時間ほど眠っていたからだろう。
仕方ないから、明日のことについて考えてみた。
明日、俺の出番はない。
それでも、間近で一流選手の剣技を見る権利が俺には与えられている。そう思うと興奮しなくもないが……あの、実際に試合に出る興奮を味わってしまったため、どうもいまいち盛り上がらない。
見ているだけ、というのは中々残酷なものだ。特に、知っている人が死力を尽くして戦うとなると尚更だ。
(…………。)
口だけでなく、俺の脳内音声もすっかり静かになってしまった。何もすることが無いと分かっていると、考えることに意味を見出だせない。
ベッドの中で一つ寝返りをうって、端末のフレーム部分に表示してある時計を見る。日付はもう変わっていた。
何もしなくていい。
何も考えなくてもいい。
それで良いんだ、だって、出場しないのだから。
…………。
数分後、俺は静かに上半身を起こし、端末を起動させた。
**********
「……ヒーロー。」
「……………。」
「……ヒーロー。」
「……………。」
「……ヒーーーーローーーー。」
「……えっ!?」
自分が呼ばれているのだとようやく気づき振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「ん?…………気のせい」
「じゃない。」
もう一度同じ声が聞こえた。
その聞き覚えのある声に、まさかと思いつつも視線を下に傾けてみる。
「あ………ごめん、マコモ。」
声の主は、眠たげな瞳(実際眠いのかどうかは分からない)で俺を見上げていた。
取り方によってはからかっているように見える俺の反応に、マコモは表情こそ変えていないが、頬をぷくりと膨らませている。
「……夜更かしでもしていたのかヒーロー。」
「え?いや……うん、まあそんなところ……かな。」
「……むう。」
どこか呆れを含んでいるマコモの反応に、俺は内心むっとした。遠足前の子供みたいに、ただ夜更かししていたというわけではないのだ。
だが、昨晩の俺の行為は夜更かしに違いない。
三時間夕方に寝たから、夜寝る時間を三時間削っても大丈夫なんじゃね!?という考えは少々浅はかだったか。
「……とにかく、夜更かしは今日に限らず良くないことだから控えた方がいい。成長期の今にたくさん寝ないと、大きくなれない。」
「そう言うマコモはちゃんと寝たのか?」
マコモはいつも微睡んでいるような表情なので、眠いのか眠くないのかまったく判別がつかない。ちゃんと目を開ければ、くりんとした可愛らしい瞳になるのだろうが。
「……勿の論。」
マコモは腰に手をあてがって、胸を張った。胸元のボタンが飛びそうな勢いで制服の布が張った。
「……十時間ぐっすり。」
「そうか……」
昨日俺の所に来たのが八時頃で、起床時間が六時。つまり俺の部屋から出ていってからすぐに部屋に戻ってベッドイン……もとい就寝ということか。
「……成長期は必ず来ると信じている。」
残念ながら彼女は、膨らむ成長に全ての成長ホルモンを使ってしまっているような気がする。まあこちらとしては嬉しいことこの上ないのだが。
「あっ!二人ともおっは〜」
その声を最後に、静寂は突然訪れた。俺は恐る恐る振り向いた。
揺れ揺れる赤い長髪の間に覗く眩しいほどの笑顔、はきはきした声。そこには、テトラの姿をした何者かがいた。
(アンネかっ……!)
テトラの中にいるもう一人の少女、アンネ。
昨晩のテアに次いで久々の再会だから、本来なら喜ぶべきところだろう。
しかし俺は冷や汗が止まらなかった。このホテルのロビーには、会場へのバスを待つ水星学園代表メンバーが全員集合している。
幸い今の挨拶は集団のところまで届いていなかったようだが、俺の隣にいたマコモは、アンネをじっと見つめている。
ああ、マコモのことだから今ので勘づいたに違いない。ごめんテトラ、秘密守れなかった……
「……おはようヘクター。元気そうで何より。」
「うん!いい朝だからね。」
「……今日は何だかいつもと違う。」
「そうそう。昨日までのあたしじゃないってこと。」
「む……活躍に期待。」
「よし、あたしに任せなさい!」
あれ……
何か話、弾んでない?
ならこのままで良いか……
見守ること数秒。
いや、良いわけないだろっ!
「話盛り上がってるところ悪いけど、ちょっと良いか……」
「え、なに〜?」
「いいから!」
俺はアンネをマコモから引き剥がして、通路へと逃げ込んだ。
「どったのエイユウ?」
「どったの、じゃない!」
「あ、そういえば、会うの久しぶりだよね!」
「そーいえばそうだな……ってそういう話じゃなくて!何でわざわざ多重人格がバレるようなことを……」
不用意な行動を叱るつもりでいたのだが、そこから先の言葉は言えなかった。
アンネだって一人の女の子なのだ。たとえテトラの中の人格であっても、テトラが許されてアンネには許されない、ということがあってよいのだろうか。
「いやー、ごめんね。久しぶりだったからテトラの振舞い方ちょっと忘れちゃってねー。いやー、それにしてもびっくり。久しぶりに会ったらいきなりエイユウがこんなに積極的にねえ……きゃー嬉しー!」
そう言って両頬に手をあてる。
この調子じゃあ、叱ろうが叱らまいが結果は同じか。俺の口からは、無意識にため息が漏れていた。
その様子を見ていたアンネは、にやりと笑みを浮かべた。
「分かってる分かってる。」
「何が……おわっ!?」
と、アンネは俺の首に腕を巻き付けてきた。そして、耳元で囁いた。
「やっとその気になってくれたんでしょ……?」
妙に艶やかな声と生々しい息づかいに、危うく「はい」と答えそうになったが、そんな雑念を振り払うごとくアンネの肩を掴んで、引き離した。
「あ、あのなあ……」
呼吸が荒くなっている自分が悔しい。しかし、彼女の温度が全身に貼り付いて、忘れられない。
「もー、冗談だってば。」
テトラやテアの時は絶対に見られない表情を彼女は見せてくれるが、やはり彼女に対する苦手意識は拭い去れない。
「……『剣士養成五学校対抗戦』をどうするか、でしょ?」
うって変わって真剣な眼差しのアンネに、俺は小さく頷いた。
「うん……何とか大会までにテトラと入れ替われるか?」
テトラがいないとなると、水星学園の戦術は間違いなく崩壊するだろう。多重人格ゆえそのようなハプニングはある程度覚悟していたが、如何せんタイミングが悪すぎる。
「うーん、あたしも意図的に出てきてる訳じゃないしな〜……ま、何とかなるでしょ。」
「何とかなるって……。」
「とーにーかーく、あたしに任せといて。」
ぽん、とアンネは胸を叩く(まな板を拳で叩いたような音がした、なんて口が裂けても言えない)。
「皆さん、バスが到着しました!忘れ物のないように、一年生から乗り込んで下さい!」
声に振り向くと、ロビーにいた集団がぞろぞろとホテルの外へと流れていた。俺たちも急いでバスに向かった。