30話 渾身の『振り逃げ』
「え……テトラ?」
「っ!!…………。」
テトラは「しまった」という顔をしつつ、顔を赤らめている。
恐らく全く無意識で俺に喋りかけたのだろう。
俺は驚きのあまり声が出なかった。何を言えば良いのか分からなかった、と言った方が正しいかもしれない。
「武藤君、ヘクターさん!」
観客席からひょいと飛び降りた生徒会長が、無言で対面する俺たちのもとに駆けてくる。
「すみません。先生方を呼んできたため遅れてしまいました。もうじき来られると思いますが……お二人ともケガはありませんか?」
そう言った生徒会長に、テトラが近寄って頭を少し下げた。
「ええ……ごめんなさい、生徒会長。」
「……詳しい話は後で聞きましょうヘクターさん。でも、大きなケガが無いようで安心しました。武藤君も。」
心配してくれてはいるが、生徒会長の表情はやや険しかった。
あまりにも無謀すぎる俺たちの行動に呆れているのだろう。
「あっ……はい。 ……すいませんでした。」
俺もテトラに続いて謝った。
暫くすると生徒会長は、何かに気づいた様子で横を向いた。
「……あの二人は無事なのでしょうか?」
「えっ?」
生徒会長の視線の先には、右目を押さえてうずくまるジンと、ひたすらに自分のたわわな胸を触るマコモがいた。それぞれ何か呟いている。
「ぐああっ! 魔眼がっ……!」
「……どうなっている、最近の男子の趣向は。もふもふ……。」
「「「……………。」」」
「え〜っと………。」
「か………彼らは大丈夫そうですね。ふふ……。」
俺の答えを待たずして、生徒会長はそう結論づけた。この人に苦笑いをさせるとはあの二人、やはりただ者ではない。
「しかし珍しいですね、ヘクターさん。あなたが感情に身を任せて行動を取るようなことがあるなんて……。」
生徒会長は再びテトラに向き直ると、少し声を落としてそう言った。
「……珍しいも何も……あなたに私の何が分かるっていうの?」
今のテトラの一言に、胸がずきんと痛んだ。
テトラが悩み苦しんでいるのは確かだった。しかし俺を含めた全ての人間が、彼女を苦しめるものの正体を掴めていない。
「ああ……ごめんなさい。私、どうも全てを知ったような口をきいてしまう癖がありまして……。」
いつからか俺には、「彼女を理解してあげられるのは自分しかいない」という妙な責任感が芽生えていた。
今思えば、そんな感情があったからこそ、あの決闘の舞台に飛び込めたのかもしれない。しかし俺は、草太に怯え、マコモとジンに助けてもらっただけだった……。
昨日と同じく、何もできない自分が恨めしかった。
「とにかく戻りましょう。ここにいても……ッ!!」
「………しつこいわね。」
生徒会長とテトラが突然身構えた。とっさに彼女が身体を向けた方を見ると、叢草太が立ち上がっていた。
「まだ……まだ終わってないよ!」
ひたすらギラギラと光る両目でこちらを睨んでいる。このしぶとさ、執念というレベルではない。もはや怨念に近いものを感じた。
「……叢君。勝手は重々承知の上ですが、この決闘は中止です。じきに先生も来ます。あなたも少し頭を冷やして下さい。」
「おや? ……フォンテーヌさんじゃないか! 久しぶり!……ちょっとそこどいてくれないかな?僕はテトラさんに勝たなきゃならないんだ。」
生徒会長の一言は草太の耳に全く届いていない。
こんなヤバい人間があの皇陽高校の1位だと思うと鳥肌が立った。
「決闘を中止しなさい、と言っているのです……!」
「はははっ……今日は邪魔者が多いなあ。あはは……」
表情一つ変えない生徒会長に対して、奴は不気味に笑い続ける。 ……奴の視線はテトラを捉えて離さない。
「抜刀……!」
生徒会長は剣を抜いた。その刀身からは目映い光が絶えず放たれている。
彼女は俺に背を向けたまま言った。
「叢草太の狙いはヘクターさんです。先生が来るまで時間を稼ぐので、今すぐここを出てください。」
「……会長。私たちも加勢する。」
「所詮血塗られた道……だな。」
いつ立ち直ったのかは分からないが、マコモとジンが生徒会長の隣で構えている。その後ろ姿は、とても頼もしい。
「フォンテーヌ!私もまだ戦えるわ!」
テトラが叫んだ。
「あなたがこの事態を引き起こしたのです!これ以上あなたが参加したらさらに状況が悪化してしまいます!」
「うっ……!」
生徒会長の一言に、テトラは言葉を詰まらせる。しかし悔しそうな彼女の表情には何と言うのだろうか……人らしい、生き生きとした情緒があった。
……が、今はそんなことを思っている場合ではない。まるでゾンビの行進の如く、ゆっくりと草太が近づいてきている。
(こっ……怖ぇ。完全にイッちゃってるぞあの人!)
水星学園代表3人を目の前にしても、奴は歩みを止めない。初めて見た時のあの美男の面影はどこにもなかった。
「いっ……行くぞ!テトラ!」
「えっ!?」
焦りに焦った俺は反射的にテトラの手を握り、そのままコートの出口へと全力で走った。
が、その瞬間。
「うおおおおっ!?」
突然地面が隆起したかと思うと、その場所から出た何かが出口を完全に塞いだ。
俺たちの逃げ道を絶っているのは無数の大木だった。
「木……!?くそっ、あの野郎!」
「まだだよ………。」
草太が剣を地面に刺すと、コートの四方の壁を伝って樹木が伸び始める。そしてそれらは空中で交わり、巨大な屋根を作った。
逃げ道は、どこにもなくなった。
「しまった……!」
これでは時間を稼いでも、すぐには救援は来ない。
「ははは……逃がさないよ……!」
「させませんっ!」
奴の正面に立った生徒会長は、剣から一筋の光を放った。それは鞭のようにしなりながら草太に迫る。
「おっと!」
しかし草太は曲芸のような身のこなしでそれを避け、なおかつ一瞬で生徒会長を突破した。
「真宮さん!アラバスター君!」
「……了解……じゃすとみーとっ。」
マコモが身長ほどもある大剣を振るう。しかし逆にその剣を踏み台にされてしまった。
「……おうっ、ファウルチップ。」
「予想通り……。」
奴が飛び上がった先に、これまた勘良くジンが待ち構えていた。
「二度目はない……幾千の塵となれ!『煉獄爆炎刃』!」
黒い炎が炸裂した。これは大ダメージ……かと思われたのだが、煙の切れ間から草太の姿が見えた。こちらに向かって猛ダッシュしている。
(樹木を壁にして耐えたのか!)
俺は片手で、テトラの落とした剣を拾った。
生徒会長、マコモ、ジンを突破され、テトラを守るのは俺しかいない。しかも草太は俺を殺しかねない状態だ。
「……『振り逃げ』しかねぇ!」
『振り逃げ』を「逃げるため」に使おうと思ったのはこれが初めてだった。
『振り逃げ』の度に自分の無力さに苛まれる。しかし今の俺には、そんな下らないプライドよりも強いものがある。
それは、ただただ「死にたくない」という思い。
(絶対に……「逃げて」やらぁっ!!)
迫りくる草太がひどく遅く見えた。それでも奴のプレッシャーに押し潰されてしまいそうだった。
心のなかで虚勢を張っても、恐怖心が剣をもつ手の握力を奪っていく。
俺は剣を投げ飛ばすように振り抜いた。
テトラの手だけは、絶対に離さないように。
ありがとうございました。前回と似たような内容でしたが、次回からはまた違う展開が待っている……はずです。