2話 テトラという少女
教頭に呼び出されて、放課後俺は理事長室に向かった。エスケープの件についての追及なのであろうが、1つ疑問がある。
――何で……理事長室なんだ?
剣術実習中に例の能力を発動させて呼び出しを喰らったのは、これで5回目だ。
だが前回まで呼ばれていたのは「生徒指導室」、毎回みっちりと校則にのっとって反省文を書かされていた訳だが、なぜ突然何の予告もなく「理事長室」までランクアップ(?)されたのだろうか……
長く、磨きあげられた廊下を俺はひたすら歩く。放課後だが、どの教室にもまだ多くの生徒が残っていた。
数人で集まって駄弁る者、机に突っ伏して仮眠をとる者、教科書とにらめっこして頭を抱える者、そして人目も憚らずいちゃつくリア充……
こうやって見ていると、「赤の他人にもそれぞれの生き方があるんだな〜」とつい感慨に耽ってしまう。
……まあ俺も、誰かにとっては「赤の他人」の中の一人なんだろうけど。
そうこう考えているうちに、理事長室直通のエレベーターの前に着いた。
普通なら気分が浮かない状況だが「理事長室ってどんなところなんだろう」という気持ちのせいで、むしろワクワクしている。
「↑」ボタンを押す前にエレベーターが降りてきた。どうやら先客がいるらしい。
到着を知らせる電子音と共に、ドアが開く。
するとそこには、艶やかな紅色の髪を腰ほどまで伸ばした少女が立っていた。
そして、エメラルドを嵌め込んだような深い翠色の瞳で俺を見た。
……が、彼女はすぐに目を背けると俺の横を通り抜け、足早にどこかへ去ってしまった。
「本当に分からない人だなぁ…」
テトラ・アレクセイ・ヘクター。今去っていった少女の名前である。
成績優秀、運動神経抜群、可愛らしくも端整な顔立ち、おまけに水星学園理事長であるヘクター氏の娘という肩書き付き。
また、彼女は剣においても「全学年通して」トップクラスだった。
背が高い訳でもなく、華奢な体つきをしているように見えるが、動きは洗練されている。
多くの人は彼女の剣の能力に目がいってしまう。
だが俺は、彼女の凄さはやはり剣技にあると確信している。
必要最低限の動きで相手の攻撃を避け、そして撃つ。
『30年に一度の逸材』――彼女をそう評する人間もいた。
口数が少ないため謎は多いが、俺はそんな彼女に憧れていた。
彼女のような人がいなければ、俺の心は小麦粉くらい粉々に砕け散っていただろう、多分。
余談だが『30年に一度の逸材』ことテトラと『振り逃げ王子』こと俺は、同じクラスで勉学を共にしている。
エレベーターに乗り込み、俺は最上階のボタンを押した。
さっきまで何か疑問があったような気がするが、多分思い出せなくてもさほど大したことではないだろう。
再びドアが開くと、そこには重厚感あふれる木製の扉があった。
ノックをしてドアに手をかける。
「水星学園1-B、武藤エイユウです。」
「……入りなさい。」
ドアを引いて部屋に入ると、まず最初に足下の感覚が変化したことに気付いた。
部屋一面に敷かれた絨毯。赤を基調としていて、それだけ見ていてもこの部屋の特別感が伝わってくる。
壁の辺りには油絵や、俺にはよく分からない骨董品が並べられている。多分理事長が集めたものだろう。
そして正面には、気品漂う木製のデスクと回転式の椅子、そして……その椅子に座りまっすぐ俺を見つめる男性――ヘクター理事長がいた。
特に強面という訳ではない。しかし彼の表情は、俺が入学式で見たときとは全く違い、真剣そのものだった。
理事長は一息つくと、はっきり、ゆっくりと、低い声で話し始めた。
「武藤エイユウ君。今日君を教頭先生を通してここに呼んだのは、君のエスケープを咎めるためではない。」
「えっ?」
意外すぎて心の声がそのまま出てしまった。
「突然だが、今から君の人生に関わる重要な話をする。落ち着いて聞いてほしい。」
俺はその瞬間、理事長室に向かうまでに抱いていた疑問を思い出した。
――なぜ今回の呼び出しは理事長室なのか。
………嫌な予感がする。
テトラの剣の能力についてはまた後日。