10話 振り逃げ王子のお仕事
「……気づいてないの?」
「え?」
剣術実習の授業を終え教室に帰る途中で、テトラが俺の方を振り返り声をかけてきた。
まさか、無駄話など一切しない彼女が俺に話しかけて来るとは。
「回りを見なさい、回りを。」
俺は言われた通り、回りの様子を伺ってみる。
クラスメイトが、ちらちら視線をこちらに向けながら、ひそひそと小声で会話している。
「あいつ本格的にやばいよね?」
「『振り逃げ王子』……ほんと何考えてんだ…?」
「……いつも通り……だけど?」
俺は思った事を素直に話す。
「あんた今までどういう環境で生きてきたのよ……。」
しかしテトラには軽く呆れられてしまった。
俺だってずっとこんな環境で生きてきた訳ではない。この学園に入り、『振り逃げ王子』の異名を授かったあたりから、クラスの人間に避けられ始めたのだ。
まあ、そんな環境に2ヶ月程で慣れてしまう俺も俺なのだが……。
「……で、『気づいてないの?』という言葉にはどういう意図が……?」
「それ本気で言ってる?」
俺の勘の鈍さに相当呆れたのか、溜め息混じりに彼女は教えてくれた。
「はぁ……あんた、私のストーカー疑惑掛けられてるわよ、多分。」
ええっ!?と口から叫びが漏れそうになったが、自分の行動を思い出すと、一つ心当たりがあった。
「追い回したからか……。」
昨日の放課後、「落し物を届けるために」彼女を追った。しかしそんな事情を知らない人間から見たら、俺は「変質者」にしか見えなかっただろう。
「もう一つ。」
テトラがぶっきらぼうに言う。
「………ごめん、分からない。」
実は思い当たることはもう一つあるのだが、口が裂けても彼女の前では言えない。
「………今日ずっと、私の後ろをついて回ってたでしょ。」
「ッ!………。」
バレてる。完璧な追尾をしていたはずなのに、こうもあっさりバレてしまうのか。
何故俺が彼女のいく先々について回るのか、その理由は昨日の放課後まで遡る……
**************
テトラが部屋から出て扉が閉まると、俺は理事長にすぐ聞いた。
「理事長、お願いとは一体?」
「ヘクター君の行動監視……簡単に言えばお目付け役を君に頼みたい。」
「はあっ!?」
驚きのあまり口が滑ってしまったので、すぐに聞き直した。
「……ええと、何故ですか?」
理事長は静かに目を瞑るとこう言った。
「先ほどのやり取りを見ていれば分かると思うが、ヘクター君は学園の方針に反抗的だ。あの調子だと、水星学園の『剣士養成五学校対抗戦』出場を妨害しにくる恐れがある。」
なんてことを言うんだ。それこそさっきお前がテトラに言っていた「下らん憶測」じゃないのか。
色々言いたい事はあったが、そんな事は面と向かって言えないので仕方なく黙って続きを聞いた。
「彼女は優秀な生徒だ。そんな事をさせたくはない。だから君に『ペンタグラム』までの間、彼女の行動の監視と牽制をお願いしたいのだ。もちろんその間は君への『退学勧告』を取り下げよう。働き次第では、『退学勧告』の取り消しも考えている。」
退学勧告の取り消し――その言葉を聞いた瞬間、俺の心は大きく揺れ、全身に稲妻が走るような感覚がしたことを覚えている。
退学を自分の心で決めたのに、何故あの時の俺はあんなにもこの学園に残りたいと思ったのだろうか。
「……武藤君?」
「あっはい!?」
「私の頼みを、どうか聞いてはくれないか?勝手なのは重々承知の上だ。それでも、「君に」頼みたい。」
「はいっ!分かりましたッ」
「……すまないな武藤君。」
**********
このような取引が成立したので、俺は今日、彼女の行動を一日中見守っていたのだ。
「ふん、どうせ理事長に監視でも頼まれたんでしょ。出場を妨害されないように。」
……が、こうも早く勘づかれてしまうとは。
しかしここは何としてでも切り抜けなければ、俺が殺されるかもしれない……!
「えっ、ええと……何の事かな〜?」
「ハア……分かったわよ。このことは見て見ぬふりしてあげる。」
「……申し訳ありません。ありがとうございます。」
完全に気圧され、全て認めてしまった。
「言っておくけど、騒動起こすつもりはないから。昨日は出場に反対してるように見えたかもだけど、出場できるんなら『ペンタグラム』には出たいと思ってたしね。」
そう言うと彼女は、俺を置いて教室へと歩いていった。
周囲がざわつき始める。
「初めて見た……テトラさんがあんなに人と喋るなんて。しかも『振り逃げ王子』と。」
「あり得ないよな。昨日ストーカーしたやつと話すとか。」
「武藤が洗脳したんじゃね?」
「絶対そうよ。絶対。」
取り残され立ち尽くす俺の脇を、クラスの人間が通り抜けていく。
ふと大きな影が、俺の前で止まった。見上げるとそこには見覚えのある大男が立っていた。
「ごきげんよう、『振り逃げ王子』様。」
「……何だよディミトリ。」
「ストーカーといい、今のお喋りといい……お前『お嬢様』とどういうご関係だぁ?」
この大男、ディミトリはテトラの事を『お嬢様』という。彼女が理事長の娘だからそのように呼ぶのだろう。
それにしても相変わらず、ゲスな笑顔だ。
「……………。」
「なあなあ教えてくれよ。」
周囲にいた数人が口を開いた。
「なあ……ディミトリって結構エイユウに絡んでないか?」
「何気仲良しだよな……」
「あぁッ!?オレがコイツと仲良し!?心外だな!!」
ディミトリが血相を変えて周囲を睨み付ける。そして肩を怒らせながら、大股で廊下を歩いていった。
……まあ俺もコイツと仲良しなんて心外だが。
それにしても……
何で俺は突然、「退学したくない」なんて思ったんだ?
「行動の監視」という形でも、例えあの理事長の頼みだとしても、これから陰ながらテトラに関われると考えたら、ますます俺の中の「退学を惜しむ気持ち」は強くなっていく。少し興奮すらしている。
俺の彼女に対する「憧れ」は、「恋心」とは違う気がするんだけどな………
読んで頂きありがとうございます。
次回、番外編「9.5話」を投稿予定