卒業
卒業
美里和佐
とうとう、私立薫風学園高校の卒業式の日がやって来た。
あたしはまだこの高校の二年生だから、あたしが卒業する訳ではないが、あたしにとっては運命の日である。
我が校の卒業式は二月末日。一応は今日をもってあたしたち現二年生は最上級生にな
る。だから、先生諸氏の言うように残り少ない学園生活をもっと謳歌してもいいという
言葉は正論だと思う。
新学期になれば、改めて名実とも最上級生の三年生となる。
進路を決めてそれぞれの目標に向かって、学生としての本分を・・・という校長の代わり映えしない話は昨年の春も聞いた。
結局、先生諸氏の言う学園生活を謳歌するというのは、あたしたち生徒の言う青春したいって想いとは正反対のベクトルを持つのだろう。
あたしだって今は死ぬほど勉強しなきゃ後悔するって言う先生や両親の言い分も分からないではない。少なくともあたしのためを思っての言葉だっていうのも分かる。けれど先生や両親も含めて大概の大人は、彼ら自身が若い頃を猛勉強で過ごしてしまった事を後悔していると言う。そんな矛盾に説得力がある筈がなかった。
★
高校に入学した時のあたしは充実した学園生活を過ごそうと決めてきた。
もともと幼少の頃から体を動かす事が好きで、スポーツなら何でも卒なくこなす事ができた。
中学に入ると、どういう訳だか下級生の女子からラヴレターを貰う事もあった。
不本意ながらも、通算十通以上も(苦笑)。
―ガーリーガールになりたい―
このままじゃまともな恋愛ひとつできない。
そう思ったあたしは高校に入るとチアリーディング部に入った。
体も動かせるし、頑張って可愛いチアガールになるんだ。
そう決めて入部した直後、一年の六月。あたしは交通事故に巻き込まれて怪我をした。
歩道を歩いていたあたしは自転車に轢かれたのだ。
原因は相手のわき見運転。どうやらスマホを見ながら運転していたらしい。
不幸中の幸い命に関わる怪我ではなく、日常生活には事欠かなかったけれどチアリーィングができる体じゃなくなった。
そしてあたしは無所属、所謂帰宅部に入部した。
★
多くのスポーツ系のクラブは夏のインターハイを最後に三年生は引退する。大学進学組は一気に受験モードに突入する。
帰宅部組にとっては時期なんて関係ない。現役で大学を目指すなら一年生から受験モードに突入しても早くない。
あたしの名前は杉本葵。高校一年の夏からこの予備校で勉強し始めてもう一年になる。
趣味とかは特にない只の一女子高生。
以前はスポーツ観戦が好きだったけど、今はそれも嫌いになった。何故なら、競技試合で涙を流す男子選手はあたしの美学には反する。
総じてスポーツでの涙は美化される。勝っても涙、負けても涙。昔の陳腐な青春ドラ
マで「涙は心の汗だ。」なんて言っていたのが、世間に定着してしまった。
そんなものあたしには寒い死語にしか感じない。
男は人前で涙を見せるものじゃない。
だから、あたしは涙脆い軟弱な男子なんか興味がない。
―そう、あの時の事故が無ければ変わっていたかもしれないー
けれども、それが引き金となり予備校で勉強する気になった。そして無二の親友となる友達との出会いがあった。
佐々木美凪は高校一年からの同級生。ササキミナギとスギモトアオイ、入学当初から出席番号も近く、色々話す機会も多かった。自宅も近くて、通学電車も一緒だった。
さらにチアリーディング部でも一緒に入部してすぐに打ち解けた。あたしが事故で入院した時に真っ先にお見舞いに駆けつけてくれたのも彼女だった。
あたしの退部後も社交的な彼女は、その持前の明るさで一年の秋にはチアリーディング部と他部との応援についての交渉役に抜擢された。交渉をしてきたスポーツ系の男子部員はやがて彼女の笑顔をナギスマイルと呼びヒロイン扱いした。結果、それが一部の部員から妬まれ嫌がらせを受けた事もあって、二年生への進級を機に退部したと、彼女は言っていた。
そして再び予備校で彼女と一緒になった。
★
高校二年生の夏
「アオ、もう帰るよ。
「ナギ、片づけるの速過ぎ。」
「あんたがトロいの。」
予備校の授業が始まるのが午後五時、終わるのが午後九時から九時半。行く時は学校から直行すれば間に合う時間で問題は無かったけど、帰りは女の子ひとりで帰るのに安心な時間帯じゃなかった。あたしと美凪はクラスが違うので、終業時刻が違うことが多かった。
幸い自習室が十時まで開いていたのでいつも自習室で待ち合わせて一誌に帰宅していた。
「ほら、アオ。全力疾走。電車乗り遅れたらあんたのせいよ!」
「そんなこと言われても。制服は重いし、スカートじゃあたし早く走れないよ。」
毎日のように繰り返すやり取り。
あたしたちの距離は間違いなくお互いを親友以上の存在と認め合える関係に近づいていた。
★
夏休みに突入すると予備校の様子はガラリと変わる。夏期講習で短期間の生徒が一気に増える。あたしたちの講義の時間は変わらないが、自習室の顔ぶれは全く変わってしまう。夜も短期講習生が自習室を利用するから席は取り合いになるし、あたしたちにとっては迷惑な話だった。
「アオ、もう帰るよ。」
「早いけどしょうがないよね。」
あたしは腕時計を見て答えた。
会話の内容は変わらないけれど時間帯はいつもと違う午後八時。八月十三日から十五日の間の夜遅い講義は休講。と言っても、受験生には休みはない。早い講義が終わって自習室に行くとドアの前で美凪はあたしを待っていた。
「あれ、ひょっとして佐々木?」
聞いた事のない男性の声がした。美凪が声の主を振り返る。
「えーと・・・結城先輩と久我先輩でしたよね?」
そこには二人の男性の姿があった。
「やっぱり佐々木か。勉強熱心だな。」
「先輩こそ勉強熱心じゃないですか。」
「受験生だからな。直前の夏期講習だけだけど。」
「あ、紹介しますね、この子は杉本葵っていってあたしの大切なお友達です。」
あたしは二人に向かって頭を下げた。
「俺は結城健吾でこいつが久我直哉。薫風学園の三年だ。よろしく。」
美凪と話している方の男性が紹介してくれた。
「知ってる人?」
あたしは美凪に問う。
「二人ともサッカー部で、チアリーディングの応援の打合せで知り合ったんですよね
美凪は結城先輩に同意を求めて彼の目を見つめる。
―あ、なるほどー
これがナギスマイルか。こういう仕草じゃ誤解を招くかも。スポーツ系クラブの男子部員から彼女がヒロイン扱いされるのも分かる気がした。
「先輩たちもうお帰りになるんですか?」
ぎこちない敬語で美凪が尋ねる。
「いや。これから久我とちょっとな。」
当然、送るよって回答を期待していた彼女は不平そうな顔を向ける。
「久我先輩とちょっと何ですか?」
「いや・・・串カツ食いに行こうかって話をしていて。」
「一杯飲みに・・・じゃないんですか?あ、チクったりしませんよ。」
「違うって。受験生だし、験担ぎにって。」
「ベタですね。でも普通、カツ丼じゃないんですか?」
「新世界に有名な串カツ店があって一度見ておきたいて、のもあってね。」
「『ソースの二度漬けは禁止やで』って、あれですか?」
「佐々木、知ってるのか?」
「えー、関西じゃ常識ですよ。ねえ、アオも知ってるよね!」
「えっ・・・まあ。」
―いきなりあたしに振るかー
「じゃあ一緒に行っても良いですか?」
「ちょっとナギ。」
あたしは調子よく話を進める美凪を制する。
「いいじゃんアオ。そりゃ制服で行ったら不味いけど、夏休み中はあたし等も私服だし、あたしもそのお店見てみたいし。勘定はあたしが持つから。ねっ。」
「そういう問題じゃなくて・・・まあ・・・先輩たちがいいなら、あたしはいいけど。」
―ナギスマイル、美凪の瞳に見つめられると男女問わず有無を言わせないな。決してあたしは女性にそういう興味を持つわけではないけど―
一瞬は躊躇した先輩たちもナギマイルに簡単に折れた。
★
「ちょっと疲れたかな。」
長い洗い髪を上にでお団子に束ねて、湯船に浸かってため息をつく。
激しい運動が出来なくなってから伸ばし始めた髪も自慢できるくらいになった。
やっぱりお風呂のときと寝るときが一番落ち着く・・・それにしてもナギのあれはもう社交的と言うより強引で、結構我儘よね。
瞼を閉じて思い出す。
あの後、結局、美凪に押される形で、四人で串カツを食べに行った。先輩たちはやっぱり少し飲んでいた。あたしたちの勘定は美凪が持つって言っていたけれど面子もあるからって先輩たちが持ってくれた。本当はそれもナギスマイルに折れたのかもしれない。
―ナギって小悪魔かも―
けれど一番驚いたのは久我先輩があたしを覚えていた事だった。
昨年の五月、まだあたしたち一年生は入部したてで、事故にも合う前、サッカー部の応援に行った時の事。チアリーディング部の先輩たちの後ろで作り立てのチア服に恥じらいながら一生懸命に応援していたあたしの姿に励まされたなんて言うから、思わず赤面してしまった。
あたしは全然覚えてなかったといささか申し訳無さ気に言うと、あの時はみんな丸刈りだったからとフォローしてくれた。
その後あたしは事故に巻き込まれてチアリーディング部に復帰できなかったけど、彼はずっとあたしの姿を探していてくれたらしい。
彼にとっては新チームの公式戦で初ゴール決めたメモリアル戦。
あたしの一生懸命に応援する姿が彼の闘志に火を点けたと言う。
結城先輩より無口で多くの話はできなかったけど、そんな風に言われて意識するなと言う方が無理だった。
ベッドに倒れこんでもなかなか寝付けなかった。
彼も敗戦に涙したのかな?そんな弱い人なら気にもしないと思うけど。
「・・直接本人に聞くわけにも、行かないよね。」
あたしは次第に抑えきれなくなる想いに、自分の理想を肯定することで折り合いをつけていた。
あたしは涙脆い軟弱な男子なんか興味がないんだ。
★
「アオ、もう帰るよ。」
「・・・。」
「アオってば、帰るよ。」
「・・・あ、うん。」
予備校から駅まで、今夜は全力疾走ではなかった。
あたしは美凪の後ろについて歩いた。
「アオ、なんか悩み事でもあんの?」
駅の待合室。周りに人目がないのを確認して美凪はあたしをベンチに座らせた。心配そうな瞳であたしの顔を覗き込む。
「何か見てらんないよ。」
そういいながら美凪はあたしの横に座った。
「ブルーデーかな。」
「・・・違うよ。」
「じゃあ恋煩いとか・・・て、アオって意外に分かり易いのね。」
平静を装うつもりでも、あたしはポーカーフェイスが苦手だった。ましてや相手が美凪なら隠し事はできない。
「そっかあ、アオがねえ、意外。」
美凪はそれまで心配そうだった表情をほころばせた。
「・・・そんなに意外?」
あたしは照れながら言う。
「だってアオの理想って、めちゃクールガイでしょ。誰がそんなあなたのハートを射止めたのかな。」
美凪は楽しそうに立ち上がって微笑みかける。
「ほら、立って。電車乗り遅れるよ!」
★
いつもより遅い電車で帰ったので、自宅の最寄駅に着くとすでに腕時計の針は二十三時を回っていた。
「どうしよう、こんなに遅くなっちゃった。」
予備校のある界隈は、如何わしいお店の派手なネオンで夜も明るいけど。自宅のマンションのある駅からマンションまでは暗い道も多い。
「タクシーで帰る?方向一緒だしアオの家の方あたしの家より近いから相乗りで行けるし。」
「そうだね。」
「ねえ、アオ。」
「!」
急に美凪はあたしを抱きしめて、じゃれてきた。
「ナギどうしたの?いきなり。」
「んーなんとなく。アオに彼氏が出来たらあたしはもう・・・ねえ、アオの想い人って久我先輩?」
美凪はあたしの胸に顔を半分埋めたまま、悪戯そうな目をして言った。
「何で?」
答えるあたしの声は明らかに裏返っていた。
「・・・犯罪者がみんなアオみたいなのだったら嘘発見機はいらないね。」
あたしを抱いていた美凪が顔を上げて、腕の力を抜いた。
「恋煩いってのはジョークだったんだけど、図星でほんと意外だった。でも相手については、串カツ屋の時のアオを見てれば分かるよ。久我先輩も多少アルコールも入ってたんだろうけど大胆は発言だったわね。」
「どういうこと?」
「本気で言ってんの?あれはどう見ても・・・まあいいか。大切な事はむしろ。」
美凪は不服そうな表情ながらも納得していた。
「ねえナギ、久我先輩も試合で負けた時泣いたのかな?」
「さあ。あたしも早々にチアリーディング部辞めたし・・・まだ男の涙は理解できない?」
美凪はあたしの瞳をいつもと違う真剣な眼差しでのぞき込む。
「それより大切なのはアオの気持ちだよ。久我先輩に気持ちを伝えるか伝えないか。先輩の卒業まであと半年ないよ」。
「そう・・・だよね。ナギありがとう。やっぱり持つべきものは友よね。」
また美凪はあたしを抱きしめた。今度は無言だった。何となく美凪の想いが見えた気がした。
★
あたしはベッドで考えた。
ガーリーガールへの道は閉ざされたと思った。
だから勉学に逃げ込んだ。
そしてひとめぼれ、愛の告白。
思っただけで恥ずかしくなる。
まず伝えるかどうか。答えは簡単、YESだ。
いつ伝えるか。卒業式までに。
問題はどう伝えるか。
リハーサルは必要よね。
あたしはベッドから身を起し正座した。
―枕を先輩と思うのよ。
直球勝負!
「久我先輩!あたし先輩が好きです。」
心臓がドキドキ鳴っている。頬が紅潮していくのが自分でもわかる。
「無理よぉ絶対無理っ。」
直球勝負じゃ心臓が弾けちゃう。
なら、カーブよ。
「久我先輩!先輩の事、あたしは好きです。」
激しく赤面。ベッドに突っ伏す。
―あたしってバカ?直球と一緒じゃないー
ならチェンジアップ。
「あ・た・し好きです。久我先輩のこ・と♡」
再びベッドに突っ伏す。これじゃ痴女扱いよ。
―きっと先輩はサッカー部だから、うまくいかないんだわ、ならー
ドライヴシュート!
「先輩、あたしは・・・
一睡もできなかった。
★
とうとう、私立薫風学園高校の卒業式の日がやって来た。
あたしはまだこの高校の二年生だから、あたしが卒業する訳ではないが、あたしにとっては運命の日である。
「ほらアオ、あんな校庭の片隅に先輩一人だよ。」
「ドキドキが止まんないよ、ナギ。」
「ドキドキは一歩踏み出せばトキメキに変わるのよっ。」
「本当?タメイキに変わらない?」
「大丈夫だって。」
「あ、涙出そう。」
「それが心の汗でしょ。」
「あたしにも心の汗が分かったような気がする。」
「なら良かったじゃない。涙はオンナの武器でもあるのよ。うまく使いなさい。早く行かないとタイミング逃しちゃうよ。」
―心臓の鼓動がこんなにもドキドキいってるんだもん、汗かくよね―
「アオこっち向いて。」
声に振り向いたあたしの額に美凪はいきなりキスをした。
「ちょっと、ナギ!」
あたしは驚いた。美凪はうつむいて顔を見せずに、あたしの二の句を制して言う。
「おまじないよ・・・早く行って。」
「ナギ・・・ありがとう、大好きよ。」
美凪はずっとうつむいていた。
そして、あたしは久我先輩と対峙する。
―そう。あんなにリハーサルしたのよ、大丈夫よ。葵―
まず、卒業おめでとう、それから好きですてて伝えて、最後に「ただし告白の二度聞きは禁止やよ。」って落ちをつければ完璧。
「久我先輩。」
「ああ・・・こんなところで奇遇だな。」
「先輩。卒業おめでとうございます。」
深呼吸。
「先輩、あたし、すき・・・あたしは・・・す、すぎもとあおいです。」
「・・・知ってるよ。」
―やっぱりあたし言えないよ―
先輩もほかに答えようがなく困惑してか黙っている。
―違うだろ葵、もっと他に伝えたいことがあるだろ。お願い、ドキドキする心臓静まって―
もうひとつ深呼吸
「先輩!・・。」
―あ、涙出そう。―
「あたし・・・先輩?」
あたしは彼の頬を伝う滴を見た。
―何で?そこあたしが泣くとこじゃないの?ハンカチを出したあたしの立場はどうなるのよー-
「あ。」
涙に気づいた様に先輩は顔を背けた。
「幻滅したろ。俺すごく涙脆くて。卒業なんだなと思うと涙出そうになって校庭の隅にひとりで隠れてたんだけど。みっともないとこ見られちゃったな。」
先輩は袖で涙を拭く。
「久我先輩。ハンカチないなら、これ使ってください。」
あたしは自分のために取り出して行き場を失ったハンカチを差し出した。
「杉本、ごめんありがとう。ちゃんと洗濯して返すから。」
先輩はハンカチを受け取って目頭を押さえながら言った。
「いいですよ。そのまま返してください。あたしがちゃんと洗濯しますから。」
あたしはまだ顔は背けたまま先輩の前に回り込む。
「幻滅なんか・・・・しませんよ。心の汗、青春していて羨ましいくらいですよ。」
意外に可愛い一面を見せた久我先輩に、あたしのドキドキはトキメキに変わっていた。
平静を取り戻そうとする先輩はまだ涙を目に溜めている。
―本当に可愛いんだ―
半年前のあたしなら、即却下だったろうな。
「ねえ、先輩、県立大学受けるんですよね。」
「まあ。受けるけど通るかどうかは。」
「二次試験頑張ってください。先輩ならきっと大丈夫ですよ。」
「また杉本に応援してもらったな。」
「そうですよ。あたしが応援したんだから尽力してください。でも落ちたらまたハンカチ貸してあげますね。そしてまた串カツ連れて行ってください。」
あたしは精一杯の笑顔で答えた。