06 湿気がほしい
「ねえ、タケル、気持ちいい?」
ワカエが俺の耳にそっと囁きかける。耳に当たる息が熱い。
まあ、色っぽいことが行われているわけでもなく、単に肩を揉んでもらっているだけなんだけどさ。
「ここはどう?」
ワカエだけではなく、月夜も俺にマッサージをしてくれている。背中のポジションにワカエがいるので、月夜担当は太ももやふくらはぎのマッサージだ。自分で適当に指圧することはあるが、やはり他人にやってもらうとその気持ちよさは段違いだと思う。
なんか二人とも急に甲斐甲斐しくなったな。今まで完全にただの居候で、俺が家事をこなす中、ゲームをしたりテレビを見たり木の上で眠っていたりとフリーダムに過ごしていたというのに。
これはもうあれだ。きっと心を入れ替えたに違いない……!
「で、何が目的だ」
まあ、人はそう簡単に変われない。キノコだって同じだろう。この甲斐甲斐しさは下心があるんだろう。
二人ともそれを隠すつもりはないようで、俺の前に二人並んで正座などする。
「実はね、加湿器が欲しいんだよ」
ワカエの言葉に月夜も頷く。
加湿器か。確かに、空気が乾燥する冬だと、喉を痛めやすい俺みたいなやつには必須だけど、まだ秋も始まったばかりだというのにいささか気が早すぎではないだろうか。
でも、加湿器なら大した値段でもないし買ってやるか。
「それぞれの部屋に一個ずつでいいな」
そういえば最近家電量販店に行ってなかったし、買うついでに何か面白そうなものがないか見て回るとしようか。そんなことを考えていたら、ワカエが俺のそでを引っ張ってきた。
「それだと二個でしょ。もっとほしい」
「……え? 二人の部屋に一個ずつ、合計二個で十分だろ」
「タケル、勘違いしているようだけど、私たちの部屋に置くんじゃなくて、私たちの分身がいる部屋に置くんだよ」
分身がいる部屋……? ああ、ヒラタケとツキヨタケが生えた客間のことを言っているのかな。
「あそこの部屋か。そんなに広くないから、一個で十分だろ」
すると、二人とも首を横に振った。
「全然ダメだよ。湿度を少なくとも七十パーセントぐらいにしてくれないと」
「そうよ。私たちは湿っている環境じゃないとうまく育たないんだから」
「月夜のはどうでもいいけど、私の分身のヒラタケちゃんは、可哀想に、乾燥した環境でなかなか大きくなれなくて」
「ちょっと、私のはどうでもいいってどういうことよ」
「言った通りの意味だけど」
「……喧嘩を売っているようね」
二人の間に見えない火花が飛び散り始めるが、そんなことはどうでもいい。
「ちょっと待て、いくら何でもそんなに湿度を高くするわけにはいかないぞ」
『えー!? なんで!?』
二人の声がハモる。ついさっきまでの剣呑な気配はどこへやら。お前ら本当は仲がいいだろ。
「家ってのはな、維持がものすごく大変なんだよ。うちぐらいの大きさになると、小規模住宅ではないから固定資産税がわりとバカにならない額になるけど、それは問題じゃない。金についてはな」
母が昔俺に教えてくれたことを思い出しながら二人に話す。
「家はきちんと手入れをしないとすぐ痛む。だから、俺は毎日こまめに掃除をしているんだ。そして、その中で一番気をつけなければいけないのが湿気なんだよ。水の処理を疎かにしているとすぐにカビが生える。俺が台所と風呂場に何枚もタオルを置いて水滴をすぐ拭いたり、換気に気をつけているのは知っているだろ」
面倒になって少しでも放置すると、そのちょっとした油断であっという間にカビができたりするそうだ。それを嫌って母がやっていたことを、今は俺が引き継いでいる。
俺が生きている間に一回は改築をする必要があるだろうが、家の維持を無視したら一回ではすまないだろう。さすがに家の建て替えぐらいの規模の出費となると何度もやれるものではない。
「でも、私たちは湿気が必要なんだよ。精霊の私たちは乾燥にもそれなりに強いけど、分身のキノコは……」
「私たちの可愛いキノコが可哀想だと思わないの?」
「カビが生えてもいいじゃない。私たちキノコのお仲間みたいなもんだし」
「もしかしたら、カビの精霊もくるかもね。可愛いかもよ?」
カビの精霊……それはちょっとご遠慮願いたい。カビは病気の元だからなあ。キノコも一部の種は病気の元になるって話を聞いたことがあるな、そういや。
だが、こいつらの分身のキノコが乾燥で弱ったら、こいつらはどうなってしまうのだろうか。このまま何もしないのもなあ……。
「なあ、あの部屋にあるキノコ、別の場所に移動させることはできるか?」
「……まあ、ここからあまり離れた場所じゃなければ」
「そうか、なら……」
俺は二人を庭の離れにある蔵に連れて行った。
両親が生きていた頃は色々なものが入っていたが、相続の時にほとんどのものを処分した。今はほぼ空と言っていい。
「ここに木を何本か置けば、そこに生えることができるんじゃないか? 電源はあるし、蔵と言っても小さいから、加湿器を四、五個ぐらい置けば十分だろ」
二人は蔵の中を何度も見回して、それから小さく頷く。
「窓があるし、あそこから風が通るようにすればいいかな」
「風通しはよくないとね」
「問題は原木だけど……」
「雑木林にブナがあるから問題ないでしょ」
「温度と湿度の管理は私たちがやればいいかな」
「交代でやればいいわね」
なんか二人でどんどん話を進めている気がする。
まあ、家が湿気まみれにならなければもういいよ……。
蔵の掃除をし、雑木林から原木となるブナをゲットし、加湿器五個と温湿度計、さらに冬のことを考えてエアコンを買い準備が整ったのが三日後だった。
加湿器は昨日からフル稼働しているので、すでに蔵の中は温度が十八度で、湿度は七十パーセントに達している。
「本当はもっと温度と湿度が高い方がいいんだけど」
ワカエは若干不満があるようだが、最初に生えた場所よりはいい環境ということで機嫌がいいように見える。
用意した原木のうち二本には、ヒラタケとツキヨタケがそれぞれ一つずつ生えている。心なしか前よりも色艶がよさそうに見える。
「でも、ここだと動物が入ってきてかじったりするかも……」
家と比べるとどうしても管理が行き届かないからそういう心配がある。
だが、ワカエと月夜は余裕のある表情だった。
「私たちキノコの精霊の分身をなめてもらっては困るかな」
ワカエが指をパチンとはじくと、ヒラタケから何かが大量に出現した。
「な、何だ!?」
それは、キノコサイズのワカエだった。しかも、五人ほどいる。
「何それ……」
「私の分身が具現化したものだよ。分霊ね。ミニキノ娘ってのはどうかな。まあ、気軽にワカエちゃん一号、二号とか呼んでよ」
なんかやりたい放題だな。予感がして月夜の方を見たら、そこには想像通り、月夜ちゃん一号から五号までが勢揃いだった。
『見回りするぞー!』
『おー!』
「全員で見回りしたら効率悪いでしょ。きちんとシフトを組みなさい」
「八時間交代で、休みをきちんと取るようにね」
『はーい!』
なんかもう、好きにしてくれ。
なお、ミニキノ娘たちは食事とオフの時は家の中に来るようになった。
こうして、うちの賑やかさが一気に増したのであった。