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01 出会い

 目の前の鍋がグツグツといい感じの音を立て始めた。

 今日のメニューは、鶏のもも肉、白菜、エリンギ、ヒラタケ、豆腐、ネギを具材とした一人鍋だ。鍋は作るのが簡単で、しかもうまい。材料をまとめ買いする身としては定番中の定番だ。

 いつもながら鍋が煮えてくるとわくわくする。いつが食べ頃だろうかと、キラキラした眼差しで鍋の具材を見つめるのだ。



「よっこらしょ……」


 そのとき、女の声と共に、鍋から白いものが飛び出してきた。


「は?」


 足だ。

 人間の生足だ。

 どこも荒れていないきめ細かい肌だ。これは男の肌ではない、女の肌だと直観で分かる。俺がポカーンと見つめていると、足はいつの間にか二本になり、もぞもぞと動きながら俺の真横の畳に足の裏をつける。


「……せいやー」


 気の抜けたかけ声らしきものと共に、両足が踏ん張るような動作をすると、鍋から一気に何かが引き抜かれるようにして現れた。


 それは、全裸の少女だった。

 年齢は十五、六歳といったところだろうか。灰褐色の髪は肩より長く、前髪が左目を隠しているグレー色をした大きな右目は、どこか眠たげで焦点があまり合っていないような印象を受ける。

 何よりも、小柄ながら胸が大きいのが目につく。

 うん、男なら絶対にそこに目がいく。鍋から出たときに、ブルブルンと揺れたのを俺は目撃した。それにしても、なんて綺麗な肌だ。エロ動画に出てくる肌の荒れた年齢不詳の女の肌とは比べ物にならない。

 何より先っぽがピンクだ。素晴らしい。


「なんてこった、毒キノコでも入ってたか」


 俺は頭を抱える。

 こんな非現実的な出来事は幻覚でしかありえない。最近、スーパーで売ってたキノコパックに毒キノコが混入していたとかいうニュースを見たことがある。きっと俺の買ったキノコにも毒キノコが混ざっていたに違いない。

 でも、まだ食べてないぞ? いや、毒性が強いキノコで、似たことによって何らかの成分が出てきて、鍋の湯気に混じって俺をステータス異常にしたのかもしれない。きっとそうだ。


「おおー、本当に実体を持てた……」


 幻覚が何か喋っている。これは本格的にやばい。俺はもう正気を保っていないのか? いや、そんなはずはない。冷静になろう。

 

 俺は山寺武流ヤマデラ タケル。二十一歳の大学三年生だ。大学生とは言っても、二年前に親が急逝して多額の遺産を相続したことで、一生だらだら過ごすことに決めた不良学生。

 よし、オーケーだ。まだ正気っぽい。


「救急車、救急車っと。……毒キノコに当たるなんてついてないな」


 携帯を取りに俺が立ち上がると、俺の目の前に幻覚が立ち塞がる。


「ちょっと、シメジと間違えるならまだ許せるけど、毒キノコと間違えるなんて失礼じゃない?」


 ……幻覚が話しかけてきた。もうこれはダメかもしれない。

 せめて、死ぬ前に一度くらい女の子とキャッキャウフフしたかったなあ。

 俺は幻覚でもかまわないので、その女の子の胸を掴んでみた。どうせ幻覚だから突き抜けるんだろうなあ……。


 ふにゅっ……


「ひゃんっ!?」


 ……お?


 ふにゅふにゅ


「あっ……やん……」


 なんてこった、この幻覚は素晴らしいですよ。

 胸、おっぱい、バストの感触が確かにある。本物を触ったことがないので、この感触が本物かどうかは判断できないけど、人の肌の感触が確かにあるっ!

 やわらかい……、いや、ただやわらかいだけじゃない。まず手触りだ。若干汗ばみ、俺より体温が低い肌が、俺の手によくなじむ。なんというか、若干の湿り気があってよくフィットするんだ。しかもこの弾力感。やわらかすぎず、かといってかたすぎず。力を入れると、そのぶん指がゆっくりと沈み込んでいくような感触。手のひらから五本の指全てに伝わる幸せの感触が俺の脳内を焼いていく。

 これは幻覚か? もしかしたら、俺はもう死んで天国にいるのか? 天国にいるお母さん、お父さん、ありがとう。

 

 心の底からありがとう。


「いい加減に……するのっ!」


 幻覚の女の子が力いっぱい放ったビンタの音は、八畳間の和室に鋭く響き渡り、俺の思考は一気に現実に戻された。

 それが、俺とキノコの娘、キノ(きのこ)との出会いだった。




「まことに! 申し訳! ありませんでしたぁっ!」


 俺は生涯初めての土下座をその女の子にしていた。

 その女の子は、いつの間にか服を着ていた。灰色の地に白縞が入っているズボンを履き、灰色のハイネックセーターの上には黒に近い灰褐色のコートを羽織っている。上は結構な重装備だが、その下に隠れている重装甲を隠しきれていない。なかなかの盛り上がりだ、いいぞ。

 そして、室内だというのに、コートと同じ黒に近い灰褐色で、つばには白いもこもこがついた帽子をかぶっている。まるでロシア人だ。

 なお、土下座の俺を尻目にその場で寝そべっていたりする。行儀が悪いぞ。


「初対面の女の子の胸を揉みしだくなんて、キミは変態さんなんだね……」

「いや、それについては謝るしかないんだけど……」


 根本的にツッコミを入れなければいけないことがある。俺は土下座を解くと、正座をして女の子に向かい合う。


「ここ、俺の家なんだけど。俺が変態さんなら、君は住居不法侵入の犯罪者さんとなるよね」

「細かいことを気にする男の子はモテないよ」

「いやいや、話を逸らさないでよ。そもそも、君は一体何者だ?」


 女の子は「おおっ」と手をポンと叩くと、ゆっくりと立ち上がって俺を見た。


「私は平和歌恵タイラノ ワカエ。見ての通りのヒラタケよ」


 ? いかん、まったく理解できん。


「キミの名前も教えてくれないかな、変態さん」

「その呼び方は勘弁してくれ。俺は山寺武流、この家の主だ」

「主? この家は相当な広さのようだが、君みたいな若い子が主とは……」

「まあ、色々な事情があるんだよ。それより、ヒラタケってどういうことだ?」


 俺はグツグツと音を立てている鍋を見る。

 そこにはヒラタケが入っているわけだが、それは当然キノコであり、平和歌恵と名乗った女の子はどう見ても人間だ。


「ん? こういうことだけど」


 女の子が手のひらを上にして俺の近くに持ってくると、手のひらからキノコ……ヒラタケがいくつか生えてきた。


「うわっ!?」

「私の分身みたいなものよ、これで信じてくれる?」


 手品か何かと思いたかった。

 でも、違う。一部のヒラタケは、女の子の肌から直接生えているのが分かる。俺がそれを引っ張ると、じんわりとそのヒラタケが取れる。まるでキノコ狩りをしているようだ。

 スーパーで買ったヒラタケとはまるで別物だ。スーパーのヒラタケはどこか薄くて貧相な感じのものが多かったが、女の子から生えたヒラタケは肉厚で、大きさも一回り大きい。


「君は一体……?」

「キノコの精霊みたいなものかな。キノコの娘、略してキノキノコと呼ばれることが多いかも」


 そんなことを言いながら、女の子は自分から生えたヒラタケをためらいなく鍋に投入していた。


「君のことはタケルって呼べばいいかな。私のことは好きに呼んでね」

「た、平……さん?」

「なんか他人行儀っぽくて嫌だな」


 好きに呼んでって言ったじゃないか。名字呼びが許されないなんて、俺にはハードルが高いよ、くそ。


「じゃ、じゃあ……和歌恵さん」

「かたいよ、まだ他人行儀だってば」


 いや、他人なんだけど。でも、文句を言っても聞く耳を持ってくれないんだろうなあ。てか、なんで住居不法侵入者に一方的にペースを握られているんだろう。


「……ワ、ワカエ」


 初対面の女の子に対していきなりの名前呼び捨て。なんという勘違い野郎だ。背中がむず痒くて仕方ない。

 だが、その女の子、ワカエは憎らしいほど可愛らしい笑みを浮かべて、俺にこう言ったのだ。


「これからよろしくね、タケル♪」

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