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眠れない夜に①(短編集 2010~)

ゆりかごの歌

作者: 裃 左右

ひどく疲れた。

弱音を吐くことも出来なければ、安らぎを得ることも出来ない。

心から信頼した人間は、必ず離れていく。

愛情を口にした女性は、必ず言質を翻す。


「最後までやり遂げると約束しただろう」

「ここまで本気だとは思わなかったんだよ、そこそこでいいじゃないか」


友人が誘ってきた一大計画。

俺は熱心にそのために資格を取り、資金をかき集め準備を進めた。


「この日のために俺が何年準備してきたか、わかっているだろう!」

「元々そこまで本気じゃなかったんだよ、冗談みたいなもんだったのさ」


実現間近になって出てきたのはそんな言葉だった。


「あの時、口にした気持ちは嘘だったのか?」

「あの時は……そう思ったのよ」


女もそうだ。


「俺に何か落ち度でもあったのか?」

「ないわ。 自分でもよくわからないけど、もうそういう気持ちはないの」


何度裏切られたことだろう?

両親が病気で倒れた時、祖父母が死んだ時。

仕事で対立した相手が悪評を吹聴した時。

仲間が情報を流出させ、俺自身の責任問題にまで発展した時。


そんな時ですら、俺は恋人を大切にしてきた。

誰とも話したくないときだって、求める分だけ力を尽くしてきた。

仕事だっておろそかにしたことはない。

家族のために助力することにも手を抜いたことはない。


……それなのに。

もう疲れたんだ。

そんな時だった。

仕事を辞める同僚が突然告白してきたのは。


「好きです」

「は?」


何を言われたのか、一瞬わからなかった。


「ダメなのはわかっています、我慢しようとも思いました。 でも、好きなんです」


不器用で地味な女だった。

取り柄があるようには見えなかった。

その上、俺からしてみれば、一緒に働いていた以上の接点があったようには思えない。

同僚といえど、別の部署だったからまともに話した記憶もない。


「なぜ、辞める今になって告白を?」

「職場恋愛はしないと言ったじゃないですか」


……言っただろうか?

ひどい目にあったから、もう職場で恋愛する気がなかったのは間違いない。

恋愛対象だと思っていなかったから、そんな話をしたのも忘れていた。


「まさか、そのために職場を辞めるの?」

「ち、違いますっ!」


そんな真っ赤になって否定しなくてもいいだろうに。

仮にそのためにやめたんだったら、脳の構造がおめでたすぎて呆れるを通り越して感心する。

よくそれで今まで社会で生きていけたものだと、感動すら覚えるだろう。


化粧はしているものの全体的にぱっとしない女だ。

というか、女としての色気にも欠ける。

話していて楽しいこともない、聞き上手ですらない。

まともに友達がいたようにも見えなかった。


……しいて言えば、時々はっきり物言いをしていたことくらいだろうか。

誰ともつるまず、会話も下手。

いつもはろくに話せない癖に、仕事のことだとはっきり口にして反感を買う。


それは気まぐれだっただろうか。

目の前で、ああだ、こうだ、と話している言葉はすべて聞き流しながら。

自然と言葉が出た。


「まあ、いいか」

「……へ?」

「正式にお付き合いしましょう」

「ええっ!?」


自分から言っておいて驚くのか。

ていうか泣くな、うっとうしい。


その後も付き合いは続き、1年後にはなし崩しに結婚することとなった。

恋愛感情とかそういったものは、一切なかった。

愛してはいないが、大切にしようとは思った。


しばらくして、妻との間に息子が生まれた。

間違いなく猿だった。

聞いた話だと可愛くて仕方なくなるはずなんだが、可愛いと思うには難しい。

可愛くて仕方ないとは、思い込みだろう。


その猿も、少ししたら人間らしく見えてきた。

……俺も最初は猿だったんだろう、とようやく実感した。


そんなある日、妻が言った。


「この子、今日泣いたのよ」


赤ん坊なんだから、当たり前だろう。


「そうじゃなくて、CDをかけたの。 ほら、童謡の『ゆりかごの歌』」

「ちょっと待て、それ、俺の部屋にあるやつだろう。 ……まさか勝手に入ったのか?」

「素直じゃないわよね、子供向けの曲を内緒で用意しておくなんて」

「質問に答えなさい」


妻は俺の言葉を聞き流して、言葉を続ける。


「とにかく『ゆりかごの歌』をかけたの。 そしたらね」


俺はその言葉を聞いて、耳を疑った。

息子は、つぅ――っと静かに涙をためて流したのだと。


「心配になってお医者さんに連れてったんだけど、時々あるんですって」


赤ん坊が特定の曲を聴いて、涙を流す。

感動なのか、寂しさなのか、喜びなのか、それは定かでないが。

そういったことはある、そう言われたのだそうだ。

「不思議よね」と妻は我が子を抱きしめ、撫でながら言った。


俺は不思議だとは思わなかった。


共働きの両親、自分の気持ちを省みない家族。

『どこか暖かい場所に帰りたい』と、そう思う切ない気持ち。

今もどこか、その気持ちを捨てきれずにいる。


俺は余計なことを口に出さずに、一言だけ言った。


「こいつは俺に似ているな」と。


妻は言う。


「それはそうよ、あなたの子だもの」


その言葉に納得するしかなかった。

こいつはきっと、苦労するに違いない。


俺がなぜ、そのCDを持っていたのか。

それを誰かに聞かれることは終ぞなかった。

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