9,これまでのことを
エスコートされ、喫茶店のレジへ向かう。するとフィルミーノ様は、全ての会計を払ってくださろうとした。
「お待ちください!自分の分は支払います」
「そんな気を遣わなくていいんですよ?有意義な時間でしたから、これくらい……」
「いいえ、別会計でお願いします。ここに私もいた証拠として、店にサインを残しておきたいんです」
「……なるほど。そういうことでしたら」
私がそう訴えると、フィルミーノ様は目を瞬いたあと納得したように頷いた。
私達は注文したものを分けて会計し、領収書にサインを書いた。控えは店舗で保管されるため、これで間違いなくフィルミーノ様と私がこの店にいたと主張出来る。
これだけだと、逆に自分達が不貞をしていたように思われてしまうかもしれない。
けれど、そもそもフィルミーノ様がセズデスと令嬢について聞きに来ていたこと、フィルミーノ様と私は喫茶店の中で途中から合流したこと――その全てを店員達が見ていて、説明してくれるはずだ。
そして何より、私が速記していた会話の全てがある。
まずもって、公爵令息であるフィルミーノ様がそう訴えれば、いくらセズデスであろうとも言い逃れの出来るアリバイを提示しない限り、反論は難しいだろう。
「さっきの話だと、他にも何か証拠があるとか?しかし、まだ父君には話が出来ていない……と?」
買い物をする気分ではなくなった私は、このまま帰宅すると伝えたところ、フィルミーノ様は馬車まで送ってくださった。そこで問いかけられ、私は静かに俯く。
「侯爵家と縁が出来ると、父は喜んでいたのです。そのせいか中々言い出せず、今日まで来てしまって」
「では逆に、何故言うことを決意されたのです?」
ちらりと目だけでフィルミーノ様を伺うと、単なる興味本位ではない真剣な目がこちらを見つめていた。その視線に答えるように、私はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「あれほどの大怪我を負わされて、意識を失って。走馬灯とも言える夢を見て……やっと目が覚めたのです。私がどれだけ静かに耐えようとも、逆に叱りつけ怒ろうとも、あの手の人間は変わらないのだと」
「そうかもしれませんね」
「横暴で身勝手で、そんな人が当主になる家と縁が出来たところで、伯爵家のためになるとは……どうしても思えなくなったのです」
私がそう言うと、フィルミーノ様は静かに「ふむ」と頷き、何かを思案するような顔をした。
馬車に到着し、エスコートをしてもらったまま中へと乗り込む。礼を述べて別れを告げるつもりだったのだが――
「私も、このままヴァレンティ家に伺ってもいいでしょうか?」
そう聞かれ、「えっ!?」と声を上げてしまった。エッダも目を見開いている。馬車の扉を開けたまま、私は呆然とフィルミーノ様を見下ろした。
「私がこのまま一緒に行けば、この話の信憑性も高まるでしょう。こちらの婚約破棄にも一枚噛んでもらうことになるわけですから、きちんと話を詰めておいた方がいいと思うのです」
予想以上に協力的な申し出に、私は確認するようにエッダへと目を向ける。エッダは力強く頷いた。
「公爵家のご令息が直接お越しくだされば、当主様は間違いなく話を聞いてくださるでしょう。お嬢様、願ってもないことですよ」
小声でそう言われ、私もまた頷く。フィルミーノ様に頭を下げ、同行を願う。
「ありがとうございます。是非ともお力をお貸しください」
「こちらとしても、動く段取りを立てなければなりませんからね。まずは、レイーラ嬢の憂いを晴らしに行きましょう」
優しく微笑まれ、私はあまりの眩しさに目を細めた。エッダは神様でも崇めるように、胸の前で両手を合わせている。
(気持ちは分かる。私もそうしたいくらいだもの)
私も心の中でフィルミーノ様に合掌していると、ゆっくりと馬車が進み始めた。
屋敷に戻り、「客人としてアルジェント公爵令息が来ている」と言うと、建物ごと震撼したのではと思うほどの驚愕に包まれた。
ひとまずフィルミーノ様を客間に案内し、家令には、ヴァレンティ伯爵――レイーラの父に公爵令息の来訪を伝えてもらう。
するとものの数分で、バタバタと慌てた様子の父、ヴァレンティ伯爵が駆け込んできた。
「こ、これはこれは、アルジェント公爵家のご令息が、どのようなご用件でしょう?」
伯爵はハンカチで額の汗を拭いながら問いかける。
フィルミーノ様は穏やかに微笑むも、特に何も話さず、私に視線を向けてきた。どうやら自分の口で話すよう促してくれているらしい。
「伯……お父様、聞いてほしいことがあるの。こちらのアルジェント様――いえ、フィルミーノ様は、私の協力者として家まで付いてきてくださったの」
「協力者?一体、何の話だ……?」
「お母様と、それにベニートも呼んでいいかしら。……大切なお話だから」
真剣さが伝わったのか、伯爵は使用人に指示を出し、母である伯爵夫人と、弟ベニートを呼び寄せた。
暫くしてから二人は揃っておずおずと部屋に入ってくる。二人とも萎縮しながらソファに腰を下ろした。
「それで、家族全員揃えて、一体何の話があるんだ?」
「そうね……。もう、何処から話せばいいか分からないくらいなのだけれど。まずは、私の中で引き金になった、この怪我の説明からしようかしら」
そうして私は、レイーラが受けてきた全てを語った。
セズデスにより大怪我を負わされたこと。その事実を隠すため、レイーラが鈍臭いからと非難して、己の罪を塗り潰していること。
それから、侯爵家の執務を全て押し付けられていることや、多くの夫人・令嬢との不義不貞、仮面舞踏会や闇オークションへの出入り、違法に買った平民女性への暴行など……。
それらを聞かされながらもセズデスに脅され、誰にも何も相談出来ずにいたこと。レイーラ自身も、幾度となく足蹴にされてきたこと。
家族だけでなくフィルミーノ様の顔まで青ざめるほど、赤裸々に打ち明けた。
全てを話し終えると、時計が時間を刻む音だけがやけに耳に付くほど、部屋はしんと静まり返った。
「……君はそんな状況で……よく、これまで耐えていましたね」
家族が絶句している中、真っ先に言葉をかけてくれたのはフィルミーノ様だった。
その言葉に、夫人は堪えきれず涙を流し始め、ベニートは「お姉様、大丈夫ですか?」と悔しそうな表情を浮かべて聞いてくれた。
伯爵はきつく目を瞑り、額に手を当て――そして暫くしてから、「すまなかった」と苦しげに呟いた。




