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8,固い握手を交わして


「アルジェント様はこの紙を買い取られて、どうするおつもりだったのでしょうか?」

「相手を問い詰めるために利用させていただこうと思いまして。これだけ私の耳に入っているのに、言い逃れするつもりですか?と。まさかこれだけ会話の詳細が分かると思いませんでしたから、本当に思わぬ収穫です」

「そ、そうですか……?」

「えぇ。とてもよく書けていて驚きました。会話をここまで丁寧に書き写せるなんて」


 私はそう言われて、そわそわしながら視線を逸らした。アルジェント様は、店内にいる店員へと視線を向ける。


「この喫茶店の店員には、彼らが訪れたことの証明をしていただけるよう、既に話をつけています。なんでも、流行りの恋人限定メニューを頼まれていたとか。……浮気相手でも恋人と言えるんですね」


 軽蔑を含んだ、その呆れた声色に、私はきょとんとして――つい「ふふっ」と笑みをこぼてしまう。首を傾げるアルジェント様に、肩を竦めてみせる。


「私もさっき同じ感想を抱いたので」

「……あぁ、なるほど」

 

 心情まで同じだと分かった私達は、顔を見合わせて笑った。



 セズデスによって他の令息との交流を絶たれていたレイーラは、令息とはセズデスのような人間ばかりだと思っていた。

 

 私の魂が入ったことで、共学校での記憶からそんな人間ばかりではないとは理解しているものの、この体は条件反射のように竦んでしまう。


 それに貴族の令息というと、高慢で身勝手な人が多いのだろうという先入観を、私自身も拭い切れていなかった。

 

 けれど、アルジェント様の穏やかで丁寧な言葉遣いや表情を目の当たりにして、強ばっていた肩の力が少しずつ抜けていく。


(上位貴族の令息で、こんないい男を捕まえておいて……よくもまぁあのご令嬢はクズデスとの火遊びを選んだものね)


 これからアルジェント様と破談になれば、あの令嬢の行き着く先はどこだろうか。


 間違いなく良縁には恵まれないだろうし、婚期を逃した末に、年配の貴族に買われるような形で嫁ぐことになるかもしれない。


 ――しかしそれは、他人事ではない。


 気を付けなければ、私にも起こり得る話だ。ぎゅっと手を握り、断られるかもしれない不安を抱えながらも、覚悟を決めてアルジェント様に交渉する。


「アルジェント様。もし宜しければ、こちらを無償でお譲りする代わりに、私の破談にもご協力いただけませんか?」

「……と言いますと?」

「お伝えした通り、私は伯爵家の娘です。婚約者により愚鈍で何も出来ない女として、悪評を広められてしまっています。こうして会話を書き取り、浮気の証拠を残しても、その他の不貞や素行不良の証拠を集めても……婚約者の家柄は侯爵家。握り潰されてしまう可能性があるのです」


 私はテーブルの上できつく手を握り、その拳を震わせた。痛ましげな眼差しが、こちらを哀れむように見つめている。


「彼はランディーニ侯爵家の嫡男でしたね。侯爵は忠義に厚く、誠実な方だったはずですが……」

「侯爵夫人が、セズデス様の行動を黙認されているのです。お忙しい侯爵様の耳には、彼は真面目に執務に励み、婚約者と協力し、後継者として日々学んでいると届いているのでしょう」

「……実際は?」

「週末、私が侯爵家に赴き、溜め込まれた執務を全て肩代わりしています。婚約者に出迎えられた記憶は両手の数にも満たず、屋敷にいても私に指示を出した後はいなくなります。先程のようにご令嬢とデートをしているか、あるいは宜しくない店に出入りしているのでしょう」


 はぁ……と溜息を吐いたあと、紅茶を一口含む。アルジェント様は「なんと愚かな……」と呟き、額に手を当てていた。

 

 ティーカップの中でゆらりと揺れる赤茶色の液体には、まだ前髪の長い、陰鬱さの残る顔が浮かんでいる。その面影を振り切るように、私は目に力を込めて顔を上げた。


「何としてもこちらに非がないことを認めさせ、破談にしたいと思っておりました。今、既に手に入れてある物証だけでも、かなりの効力はあるはずです。けれど、私の家だけでは権力で捩じ伏せられてしまうかもしれないんです」

「侯爵家と伯爵家となれば、その可能性は大いにありますね」

「はい。話が(こじ)れてしまえば、間違いなく伯爵家が不利になり、家族に迷惑をかけることになるでしょう。その時は……家と縁を切り、修道院に行く覚悟もしておりました」


 私がそう言うと、エッダが「修道院……!?」と小さな悲鳴を上げた。

 

 自分の意思を貫くためとはいえ、レイーラが最後まで守りたいと願っていた家族にまで負担をかけたくない。

 

 けれど――万が一、家族に反対されたとしても。レイーラの過去を知ってしまった以上、私はセズデスの罪を公にしてやらなければ気がすまなかった。


 伯爵家を追い出され、修道院に入れられることになったとしても、必ず一矢報いてみせる。それくらいの覚悟は必要だろうと自分に言い聞かせていた。


「ですから、私の婚約者が不義を働いていたと。そしてその相手がアルジェント様の婚約者で、アルジェント様自身が見ていたと証言してくださるだけで、間違いなくその事実だけは覆せないものになります」

「なるほど。私が婚約を破棄するため裏で動くのではなく、その相手を明かし、彼もまた不義を行っていたと追及すればいいのですね?」

「はい。もしアルジェント様がお力を貸してくださるのなら、父にも……ようやく話せますし、説得もしやすくもなるでしょう」


 そう告げた瞬間、私の顔はくしゃりと歪んだ。

 

 まだ体の何処かで、父の期待を裏切る申し訳なさが確かに残っていた。


(きっとこれは、この体がレイーラの気持ちを覚えているからよね……)

 

 家族に打ち明けることも出来ず、心にも体にも傷を負いながら、それでも家のためにと口を閉ざし続けた。そんなレイーラの優しさに、胸が締め付けられる。


 私が顔を伏せていると、アルジェント様は返事をせず立ち上がってしまった。


 ダメだったか――。


 ぎゅっと目を瞑りそうになった視界に、すらりとした綺麗な手が差し出され――私はハッと顔を上げる。


「どうか私のことはフィルミーノと。ヴァレンティ嬢もよき婚約破棄が行えるよう、私でよければ力になりましょう」


 太陽の光を浴びて微笑むフィルミーノ様に、神様が実在したらこんな見た目だろうかと惚けてしまう。私は目尻に涙を滲ませながら、その手を取って立ち上がった。


「よき婚約破棄とは……言い得て妙ですね。私のこともレイーラとお呼びください」

「分かりました。レイーラ嬢」

 

 ――こうして私達は互いの婚約破棄を勝ち取るため、共同戦線が張られたのだった。



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