7,あの子を助けてくれたのは
「貴方様は!その節はお嬢様を助けてくださり、ありがとうございました」
驚きの声を上げて、椅子から立ち上がったエッダ。深々と頭を下げる姿にピンときて、私も慌てて立ち上がった。
そこに立っていたのは、物語に出てくる王子様が現実にいるとしたら、きっとこんな姿をしているのだろう――そう思わせるほどの美貌の持ち主だった。
ミルクティー色のさらさらとした艶のある髪。その隙間から、新緑のように透き通った瞳がこちらを見ている。
「あの、私――」
「礼なら不要ですよ。あのようなところに出会して見て見ぬふりをするなど、紳士の名折れでしょう。当然のことをしたまでですから」
令息は、貼り付けたように整った微笑を浮かべた。やんわりとした断り文句だが、遠慮しているように掲げられた手には、下手に深入りさせないよう線を引く意図も感じられる。
そこで、私は距離を詰めることなく、その場でスカートの裾をつまみ深く一礼した。
「それでも、あのまま誰にも見付けてもらえなければ、私の身は危なかったでしょう。助けていただき、誠にありがとうございました。アルジェント公爵令息」
その人は一つ上の学年の公爵令息、フィルミーノ・アルジェントだった。上位貴族でありながら紳士的で柔らかい雰囲気を持つこの方は、学園でも当然人気者である。
レイーラの記憶を呼び起こすが、彼との接点はなく雲の上のような存在だ。
しかし、レイーラの薄れゆく意識の中で見えた面影が彼と重なり、エッダの言葉も決め手となった。ガーデンパーティーでレイーラを助けてくれたのは彼だったのだろう。
(レイーラってば、大層な人に助けられていたのね……!)
顔を伏せて、つい眉を寄せてしまう。
(あの子ならともかく、今の私では無礼を働いてしまうかもしれないじゃない!勘弁して……っ!)
「回復されたようで何よりです。突然ですが、こちらに同席しても?」
「えっ!?えぇ……どうぞ」
アルジェント様からの申し出に、私はぎょっとする。けれど断れるはずもなく、私は頷いた。
エッダがすぐに店員を呼び、自身の前の食器を下げさせた。アルジェント様が座れるよう、席を整える。
彼は手にしていた帽子を店員に預けると、用意された席へと腰かけた。私もそれを見て、おずおずと正面の席に座る。
店員が注文を取りに来る間も、周りの客達はアルジェント様を見て黄色い声を上げていた。エッダは他の席の邪魔にならないよう、私の少し斜め後ろに椅子を置いて静かに腰かけた。
「私はヴァレンティ伯爵家長女、レイーラ・ヴァレンティと申します。その節は助けていただいたお礼も述べず、大変失礼を……」
「いえいえ。あの時、あまりにも乱暴に連れていかれたので、無体なことをされていないかと気になりまして。同伴者に断りを入れて、後から追いかけたのです」
「あの時……?あっ」
あの日――飛ばされた帽子を拾ってくれた令息の姿が、記憶の中で繋がった。あれもどうやらアルジェント様だったようだ。
礼も言わず立ち去った無礼な女だというのに、わざわざ気にして追いかけてくれたらしい。心優しい貴族令息もちゃんといるんだなと、私は目を瞬いた。
「見付けた時には、無体どころではない大怪我をされていましたが……。そもそも、どうしてあんな場所に?」
アルジェント様から問われ、口を引き結んだ。私は伯爵令嬢で、セズデスは侯爵令息。彼が私の言葉を信じてくれる保証はない。
(でも、レイーラのことを心配して、わざわざ追いかけてくれた人よ?どうしたら……)
伺うように視線を向けると、静かな瞳がまっすぐこちらを見つめていた。私はスカートをぎゅっと握り、意を決してぽつりとこぼした。
「……信じていただけるか分かりませんが、私を引っ張っていったあの婚約者に、人目ないところまで連れられて。怒鳴られたあと、突き飛ばされたんです」
「……なんて酷いことを」
アルジェント様は眉を寄せ、露骨に顔を顰めた。今度は先程のような作った顔ではなく、素直な表情のように思えた。
肩を竦めて苦い表情で笑ってみせると、アルジェント様から「ところでそちらは?」と紙束について問われた。
「先程まで、私の後ろの席で他の令嬢と談笑なさっていたのが、あの時の同伴者であり私の婚約者なのです。不貞の証拠として、途中からの会話の全てを書き留めておりました」
「……こんなに、ですか?あの……不躾なお願いなのですが、こちら読ませていただいても?」
そう言って紙束を示すアルジェント様に、私は「え?」と声を出しそうになり、慌てて口を押さえた。
(アルジェント様って、こういったゴシップに興味がある方なの?そんなふうには見えないけれど……)
胸の奥が少し萎む。それでも「どうぞ」と紙束を差し出すと、アルジェント様は一枚一枚丁寧に目を通していく。
速記で書き殴った字のため、まじまじと見ないでほしいと思いながら、読み終わるのを待つ。静かにお茶を飲んでいると、暫くしてアルジェント様が紙束をトンと置いた。
そして、信じられないほどとてもいい笑顔でこちらを見ていて、私の頬はひくりと引き攣ってしまう。
「よく書けていますね。ここまで綺麗に言質を取られているなんて、感心しました。――出来れば、こちらを買い取らせていただけませんか?」
「は?」
私は今度こそ反射的に聞き返してしまった。失礼なのは重々承知だが、まさかセズデスを庇おうというのだろうかと、キッと目を細める。
それを見たアルジェント様は「あぁ、誤解です」と手を振って否定する。
「君の婚約者と一緒にいたご令嬢は、最近決まった私の婚約者なんですよ」
「えっ!?」
さらりと告げられた言葉に、私は驚きの声を上げて目を見開く。セズデスだけでなく、あの令嬢も浮気してるってこと!?
「あのガーデンパーティーの日、同伴者として私の隣にいたのですが、覚えていませんか?」
「……?」
そう問われても、あの日のレイーラはアルジェント様の顔すらまともに見る前に連れ去られている。横にいた令嬢の顔なんて、まるで記憶にはない。
けれど、先程二人が立ち去る時に覚えのある匂いだと感じたのは、あの日レイーラが嗅いだ、アルジェント様の隣にいた令嬢の香水と同じ香りだったからだろう。
「元々、婚約者筆頭と言われていた相手だったのですが、どうも苦手で避けていたんです」
「そうなんですか?」
「はい。婚約者に決まる前から周りの令嬢達を牽制して、もう婚約者に内定しているような振舞いばかりしていましたから」
アルジェント様は小さく息を吐いた。
入れ替わる前の世界の言葉で言うなら、『後方彼女面』というものだろうか。なんて厄介な……。
「しかしそろそろいい年齢だからと押し切られ、最近婚約の話がまとまったところだったんです。婚約して初めて参加したのが、この間のガーデンパーティーだったのですが……」
「何かあったんですか?」
「いえ、その……ずっと甲高い声で話しかけられて、しかも香水の香りがあまりにもきつくて。屋敷に帰ってからも、暫く臭いが取れなかったんです。私室にまでまとわりつかれたようで、とても難儀しました……」
「あぁ……」
つい同情の声を漏らしてしまう。仮にあの香りが私の部屋に充満したら、数日間換気させて客室で過ごすかもしれない。
アルジェント様は、二人が立ち去っていった方へ視線を向けた。
あんな相手でも不貞をされて傷付いたのだろうかと、私はこっそり顔色を伺う。しかしそこに浮かんでいたのは、見るからに嫌悪感や憂鬱さを孕んだもので。
私は思わず笑ってしまった。
「お互い、とんだ相手と婚約させられましたね」
「……!えぇ、全くです」
眉を下げながら微笑む彼は、中性的な顔立ちもあって男性でありながら少し可愛らしい。きゅっと心臓を掴まれたような感覚に、私は慌てて紙束へと目線を落として――ハッとした。
(この方の協力が得られれば、私や家族への被害も抑えられる……?あの子が守りたかったものを守りながら、クズデスに仕返しが出来るんじゃない?)
私は手元の紙束を見下ろしながら、グッと手を握りしめた。
やっと公爵令息・フィルミーノの登場しました!
レイーラの反撃はここからです。
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