5,言いなりと見せかけて
次の日、私はセズデスの言いつけ通り、ランディーニ侯爵の屋敷を訪れた。
――呼び付けた張本人であるセズデスは、不在。
これもいつものことだった。
婚約者を家に招いておいて、出迎えないどころか屋敷にすらいない。次期侯爵家当主としての執務は全てレイーラ任せで、その間に自分は他の女と遊びに出かけているのだ。
「……あら。大怪我をしたと聞いていたのに、案外元気そうじゃないの」
二階の廊下から見下ろすように現れたのは、セズデスの母――ランディーニ侯爵夫人だ。身を案じる言葉など一つもなく、相変わらず尊大な態度でこちらを見ている。
この夫人もまた厄介で、セズデスを溺愛するあまり、息子の素行を黙認し、時には権力で揉み消しているのだ。
侯爵は常に王城と領地を行き来する多忙な方で、このタウンハウスには滅多に帰ってこない。そのため、この屋敷の実権を握り、取り仕切っているのがこの侯爵夫人。
その夫人が、「セズデスは執務に意欲的で、学園でも勤勉実直に過ごしておりますよ」と侯爵に報告しているのだ。
侯爵は、自分の息子がまさかこんな非道で粗暴な成長を遂げているとは、夢にも思っていないだろう。
レイーラが婚約者に選ばれてから、執務は彼女が全て行っていた。過去に学んだ記憶は確かにあるのだろうが、今更セズデス自身が急に執務をすることになれば、何から手を付けていいか分からないのではないだろうか。
「ごきげんよう、ランディーニ侯爵夫人。本日も宜しくお願いいたします」
私はレイーラらしく、これまでと同じように挨拶を述べた。心の中では、
(「宜しくお願いいたします」って、本当はそっちが言う台詞でしょう……。クズデスは執務なんて何も出来ないんだから)
と、盛大に悪態を吐いていたが、そんなことをおくびにも出さず、従順な令嬢として頭を下げる。夫人は満足そうに頷くと、そのままさっさと立ち去っていった。
セズデスの書斎までは、レイーラの記憶で通い慣れている。別に案内をされなくたって、部屋まで辿り着けはする――が。
(息子の婚約者が来ているのに本人がいないような失礼を働いたら、普通は屋敷の者に指示を出して案内をさせるか、息子の代わりに案内をするのが夫人の務めでしょ?)
だが、そんな常識をこの家に求めるだけ無駄だろう。
(今日に限って言えば、勘繰られても困るものね。放置されていた方が助かるけれど……)
複雑な気持ちで消えゆく背中を見送って、書斎へ向かうことにした。
私が金曜日だけ学園に登校した理由――それは、セズデスから執務を任され、この屋敷に来るため。
レイーラは毎週、膨大な仕事を押し付けられていた。そのため週末の二日間は、この書斎に籠りきりになる。いつもは昼頃に来て、夕方に帰っていた。
(手伝ってもらうならまだしも、全部やらせるって……。それを自分の手柄にしたって、いつかばれると思うのだけれど)
きっと夫人が何とかしてくれると思っているんだろうなと、つい溜息を吐いてしまう。
今日は一日で二日分の執務を終わらせたかったため、普段より朝早くやって来た。
婚約者になって三年。反抗することなく執務を続けてきたお陰もあって、違和感を持たれることなく監視の目もない。
書斎には誰も立ち寄らず、昼食の案内で一度だけ使用人が声をかけに来るくらいだ。
(執務が終わっていなかったら、クズデスや夫人に何を言われるか分かったものじゃないわ。さっさと終わらせてしまいましょう)
目的を遂行するために、午前中は黙々と書類を捌いていく。
昼食は夫人と共に――ということもなく、客間に案内され準備される。
常識的に考えればおかしいことだらけなのだが、レイーラですらない私が夫人と親しくなりたいはずもない。私はパクパクと食事を口に運び、早食いをして書斎へ戻った。
午後も書類を片付けなければならないのだが、廊下に誰もいないことを確認すると、私は先にセズデスの私室へと向かった。
扉を開き、室内を一通り見渡す。
粗雑な性格の割に部屋が整頓されているのは、使用人達が手入れを怠っていないからだろう。
私用の机や軽食用のローテーブルとチェア。大きなソファに立派な本棚、品のいい調度品などが置かれている。
シックな部屋に合った、小ぶりな暖炉が備え付けられていて、その側には装飾のように金色の火かき棒が立てかけられている。衣装部屋や寝室へ続く扉も見える。
記憶を遡っても、レイーラがセズデスの私室に訪れる機会はそう多くなかった。
しかし、私室にある書物を取ってくるよう頼まれたり、手紙を代筆するためのレターセットを机から持ってくるよう言われたりと、用事がある時だけは入室を許可されていたようだ。
彼女は、これまで必要最低限の頼まれたことしか行ってこなかった。けれど、その中で見て見ぬふりをしていたいくつかのものを――遠慮なく私が代わりに利用させてもらうことにする。
まずは本棚。
多くの書物が並べられているその棚に、本ではないものがいくつか挟まっている。それは、本の装丁を模した収納ボックスだった。
開いてみると手紙がみっちりと仕舞われていて、様々な匂いが立ち上ってくる。間違いなく令嬢や夫人からの恋文だろう。
差出人の名が記されているものもあれば、相手を連想させるようなイニシャルやモチーフだけのものなどがある。その中から使えそうなものをいくつか厳選して、数枚だけ拝借する。
次に机。
お約束のように、一部の引き出しは二重底になっていて、中から手帳が出てきた。
本心としては手帳ごと持ち帰りたかったが、流石にそういうわけにはいかない。
嫌々ながら中を確認すると、これまた怖気が走るような内容ばかりが書き連ねられていた。そこから使えそうな部分だけを転記し、手紙と一緒に持ち帰ることにする。
レイーラが把握していたのはこの二つだったが、他にも何かないかと寝室へ向かった。
ベッドの下は定期的にメイドが掃除するだろうし、シーツや枕カバーも取り替えられるはず。
(何かを隠すには、あんまり向かない気もするけれど)
そう思いつつも、一応しゃがみ込んで中を覗き込んだ。やはり床には何も置かれておらず、流石にないか……と思ったものの、ふと違和感を覚えた。
私は一歩引いて、ベッド全体を眺め直す。
(なんだか、やけにベッドフレームと床の間が広いような……?ベッドを高めにしたかった?それにしては、ちょっと不自然な隙間じゃない?)
大人でも寝転べば余裕で潜り込めそうなほどの隙間に首を傾げ、私は再びベッドの下を覗き込む。そして今度は床ではなく、ベッドの底板に視線を向けて――何かが見えた。
(……あれは、取っ手?どうしてあんなところに?)
何故かベッドの下に取っ手を見付けた私は、そのまま下へと潜り込み、恐る恐るそれを引いてみた。
屋根裏収納のようと言えば分かりやすいだろうか。底板が手前に開き、入口が現れた。私は手を突っ込んで、上下左右伸ばせる限り手を伸ばしてみる。しかし、何も手を掠めることはなかった。
(こんなベッド、特注で作らせているはずなのに、何も入っていないなんてことある?)
ベッドの底に収納があるなんて、わざわざ職人に頼んで作らせたはずだ。
もし幼少期の思い出の品や古いアルバムが出てきたなら、そういう用途かと納得出来ただろう。
けれど、何も入っていないとなると、逆にその空白が不気味に思えてしまう。
そこで私は、暖炉の側に立てかけられていた火かき棒を思い出した。指紋が付かないよう、スカートの裾で持ち手を掴んで拝借し、火かき棒を持ったまま収納の入口から手を突っ込んだ。
すると、カサリと何かが触れる感覚があった。
慎重に手繰り寄せると、大きめの茶封筒が一封、顔を覗かせた。中に入っていた書類を確認し――私の口は弧を描いた。これも転記し、書類は元通りに戻しておく。
火かき棒で封筒を少し押して、再びセズデスの手でも届かない位置に戻した。
いくつか証拠になり得そうなものを手に入れて書斎に戻ると、残りの時間は怪しまれないように淡々と書類を捌き、週末分の執務をこなしていく。
二日分の執務をやり切った頃には、すっかり日も暮れていた。それだけ働いた息子の婚約者に見送りさえなく、夫人と顔を合わせぬまま私は屋敷を後にする。
いつものカバンだから、使用人に何か言われることもないのだが――今日に限っては色々な証拠を盗み出しているので、少しドキドキしながら馬車へと乗り込む。
ぎゅっとカバンを握り締めながら、私は我が家へと戻るのだった。




