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2,あの子になってしまった


 目を開けると、見慣れているようで何処か現実味のない、天蓋付きのベッドの中にいた。


 ゆっくりと体を起こすと、白魚のような滑らかな手が見えた。するりと滑り落ちた髪のひと房を摘んで確かめる。


「……そう。私が、あの子になってしまったのね」


 レイーラ・ヴァレンティ。

 

 私はもう、優里ではない。夢の中ですれ違ったレイーラという伯爵家の令嬢――その体へ、優里の――私の魂は落ちてきてしまったらしい。

 

 私の魂に、レイーラの記憶が上書きされていく。そんな感覚だった。


 二つの記憶が混ざり合う不快感からか、乗り物酔いに似た吐き気が込み上がり、私は口元を押さえた。

 

 頭も異様にズキズキと痛む。必死で記憶の引き出しを開いて洗面所の場所を思い出すと、私はすぐさまそちらに駆けた。


 物音を聞き付けたのか、侍女が「お嬢様!?」と悲鳴を上げ駆け込んでくる。その侍女は他の侍女達に指示を出しながら、ずっと背中を摩ってくれた。


 暫くして吐き気が治まり、洗面台から頭を(もた)げる。可憐ながらも陽に当たれず、(しな)びてしまった花のような面差しの少女が、鏡越しにこちらを見ていた。


(貴女も……辛かったのね)


 そろりと手を伸ばす。

 

 あの時届かなかった少女を労るように、冷たい鏡に手を伸ばし――今や自分となってしまった姿に向かって、そっと手を合わせた。




 レイーラと私、二人の共通点。それは――婚約者ないし恋人が最低最悪だということ。

 

 レイーラにとっては婚約者が、私にとっては彼氏が、それはもう救いようのない男だった。息をするように女遊びを繰り返し、しかもそれを『男の甲斐性』などと言って正当化するような人。


 更には相手を屈服させ言いなりにしようとするところも、気味が悪いほどよく似ている。

 

 そんな似たような相手と共にいたレイーラと私だが、私達二人の性格は正反対だった。

 


 優里――かつての私は、事あるごとに彼氏に怒り、掴みかからんばかりの勢いで「あの女は誰よ!?」と問い詰める女だった。

 

 彼氏からは先のように甲斐性だ何だと言われた後、必ず「名前の通りにもっと優しく寛容になれねぇのか」と反論された。挙句に、「お前が(うるさ)いから、他の女に癒しを求めたくなるんだよ」と悪態を吐かれるのだ。

 

 ――だったら別れればいい。


 そう言って何度も喧嘩をした。けれど、その度に私の性格を責め立てられた。


「お前が優しくなれば浮気なんかしないんだから、俺の浮気はお前のせいだ」


 そう(なじ)られた。

 

 そして「お前がその性格を治せばいいだけなんだから」と言われ、結局別れるところまでには至らず。ズルズルと交際を続けていた。


 確かに私は怒りっぽかった。家族にも反発することは多かったし、特に妹とは気付けばことあるごとに喧嘩をしていた自覚がある。

 

 学校では勉強熱心なのが鼻についたようで、陰口を言われて遠巻きにされることが多かった。そこで黙っていればいいのに、どうにも勝ち気な性分が顔を出してしまって。

 

 何かを言われては、「群れてしか文句も言えないくせにね」と聞こえるように言い返してしまう。そのせいか、


「あんな女が彼女なんて」

「彼氏が可哀想」


と、彼氏の肩を持つ子も多かった。


 それは私も自覚しているところで、言ってしまってから「またやってしまった」と反省していた。

 

 それを気にして必死で口を(つぐ)もうとするも、結局相手の言動が看過出来ず、やはり何処かで口を出してしまって――その繰り返し。

 

(だって、浮気してるのは彼氏の方で、陰口を言っているのもアンタ達なのに。どうしてこっちが我慢しなきゃいけないの!?意味分かんないでしょ!)

 

 そうして怒ってしまうたびに。

 そして言い返され、指摘をされるたびに。


 私自身、優里という名前の通り心優しい女の子になれたらと、何度も何度も願ってきた。「こんな自分じゃなければ」と……。

 

 自分が悪いのだろうか。自分がこの性格を改められないから、彼が浮気をしてしまうのだろうか……。


 そんな自己嫌悪も相まって、相手の言葉を真に受け、その理不尽な言い分にさえ「そうなのかも」と折れかけてしまっていた。



 

 ――けれど。


 目を覚ます直前に見た、あのビジョン。レイーラの過去を見てしまえば、もう自嘲的な笑みしか浮かばない。


「お嬢様?まだお加減が宜しくないのでは?」


 私は再びベッドに戻り、枕をクッション代わりに(もた)れかかって座っていた。そこへ専属侍女のエッダが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

 基本、どこに行く時でも付き人として付いてきてくれる彼女は、レイーラが置かれていた現状をよくよく知っていた。

 

 主人に物申すのは勇気がいっただろうに、エッダはレイーラに直接、


「あの方とこのままご結婚なさっては、お嬢様は幸せになれません。どうか当主様にご相談なさってください!」


と言ってくれるほど。主人想いの優しい侍女だと、レイーラの記憶から伝わってくる。

 

 これからを相談するなら、彼女しかいないだろう。


「エッダ。私ね、夢を見ていたの」

「……夢でございますか?」

「えぇ。長い、長い夢を。そこで一人のご令嬢が、目の前のご令息に怒っていたの。『その女は誰!?』って」


 レイーラの記憶を全て受け継いでいるからか、滑らかに彼女のような話し方が出来た。かつての私の出来事を、夢で見たものとして話す。

 

「どうやらそのお相手の方は、私の婚約者と同じように、パートナーがいるにも関わらず他のご令嬢を連れ歩くような人だったようなの」


 私の言葉にエッダは静かに頷き、エプロンをきゅっと握り締めた。


「私はあの人に、セズデス様に何も言えなかった。言うことを諦めてしまったの。けれど本当は、もっと強く(いさ)められれば、そんな勇気があればと、何度も、何度も願っていた」


 目を瞑り、優里の魂でありながらレイーラの記憶に潜り、その記憶と一つになるように心を吐露する。

 

 元々のレイーラは、婚約者であるセズデスに「何故そんなことをなさるの?」と叱り、きちんと注意の出来る女の子に――私のようになりたかったらしい。


 自分がもっと強く、相手の手綱を握れるような令嬢になれたなら。こんな惨めで悲しい思いをせずにすむのではないか。


 そう、レイーラは自分の性格を呪うように見つめていた。

 

 ――正反対の方向に、私もそうであったように。


「エッダも言っていたでしょう?もっと厳しく注意されれば宜しいのに、って。けれど、私がこうなれたらと憧れたような少女は――お相手から『怒りっぽい、優しくない』と嫌われていたの。『だから他に癒しを求めたくなるんだ』なんて言われて。不貞を、そんなふうに正当化されていたの」


 私が優里だった頃。注意すればするほど、怒れば怒るほど、どれほど理不尽な言葉を浴びせられたかを思い返す。誰も彼もが敵のようで、心は休まらなかった。


「そうしてその少女は厳しく咎めた結果、相手の機嫌を損ねてしまって。その男性に突き飛ばされて、川に落ちて沈んでしまったの」


 そこまで話してから、エッダに聞こえないよう、私は小さく呟く。

 

「そしてこの子は……」


 そう口にしながら、そっと額に触れる。

 

 蘇る、鈍い痛みの記憶。今の私の頭には、ぐるぐると包帯が巻かれていた――。




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