Ext.31 また逢える日まで。
目の前に広がる現実とは思えぬほど綺麗な花畑。
その中に不自然なまでに佇む一台の真っ黒なバス。
一目でそれが良からぬものでないことはすぐに悟った。
何故ならば、今そのバスの乗降口に若かりし姿の「彼女」が立っていたから。
やがてバスの乗降口のドアが開くとその中に黒く大きな顔の見えない「ヒトガタ」が立っていた。
その姿にすぐ死神かその類だと気付いた。
「彼女」は誘われるようにこちらに振り向きもせずにバスに乗り込んだ。
『行かないで』
そう呼びかけようにも声を出すどころか身動きも取れなかった。
『…………』
その時、脳内に言葉とは違う「意志」が伝わった気がした。
『心配せずとも彼女は無事に還る』
誰かにそう言われた気がした。
それが「彼女」なのか黒い「ヒトガタ」なのかは分からなかった。
やがて「彼女」がバスに乗り込むと、ドアが音もなく閉じられた。
バスはゆっくりと動き出し、花畑から浮かぶように宙にその不吉な雰囲気の車体を走らせ、やがて視界から消えていった―――
『ピピピピピピ!』
アラームの起床音が容赦なく鼓膜に響き、俺は重たい身体を無理やり起こした。
「………」
時刻は朝の五時。
眠気全開の身体を無理やりベッドから起こし、俺はリビングに降りて朝食の支度を始めた。
「…おはよう」
その直後、音もなく現れたのは夏怜だった。
「夏怜。
…まだ寝てていいんだぞ?」
「…父さんの足音で目が覚めた」
そうは言うも、テーブルに座った夏怜は眠たそうにふらふらと左右に揺れていた。
「コーヒー飲むか?
インスタントだけど」
「……角砂糖二つで」
注文を受け、ケトルでお湯を沸かし予約炊飯が終わったジャーのご飯を混ぜる。
「朝食はパンがいい」
「パン?
腹の満たしにならんぞ?」
「いい。
あまり…お腹すいてない」
夏怜の言葉が気にかかるも、とりあえず俺はトースターに食パン二枚を仕込んだ。
「おにぎり持たせてやるから後で食え」
コクっとうなずき夏怜はテレビを見始めた。
先にケトルのお湯が沸き、カップにあらかじめ入れておいていたコーヒー粉にお湯を注ぎ、角砂糖二つを溶かして夏怜に渡した。
「ありがと」
両手でふーふーと冷ましながら飲む様はまるで祈世樹を見ている気分だった。
やがて「チーン」と小気味良い音を立ててパンも焼けた。
「おかず何か一緒に食うか?
目玉焼きとかならすぐ出来るよ」
「……ちょっとだけ」
追加注文を受け、俺は目玉焼きとベーコンを焼くことにした。
出来た目玉焼きウィズベーコンをパンとは別の皿にのせて渡し、俺もカップにコーヒー粉を溶かした。
「父さんは食べないの?」
手元にコーヒーしかない俺に夏怜が問う。
「生憎、俺もそんなに食欲なくてな。
後でちゃんと食うよ」
そう言って俺はコーヒーに角砂糖三つ、牛乳を少量入れた甘さ強めのカフェオレを口にする。
『うげっ…。
ちょっと甘すぎたか…』
強めの糖分に口内が軽く拒絶反応を起こすも、おかげで目が覚めた。
「ご馳走さま」
食事を始めてものの五分足らずでパンとおかずが綺麗に無くなっていた。
「…え?」
「え?」
思わず漏れた俺の間抜け声に夏怜も真似をした。
「もう食っちまったのか?」
「…美味しかったから」
その昔「いっぱい食べる君が好き♪」というフレーズが有名なサプリのCMソングがあったが…。
そのCMのように食べてる姿を眺めるどころか、食べてるモーションが見えた気がしなかった。
「顔を洗ってくるわ」
ご丁寧に皿をまとめて夏怜は洗面所に向かった。
「俺も歳かな…」
そう言い聞かせカフェオレをぐびっと飲み干し、夏怜に持たせるおにぎりを握った。
夏怜が洗面から戻ると、いつの間にか着替えており、その手には普段使いのハンドバッグが握られていた。
「もう着替えたのか?
まだ六時にもなってないぞ」
「……早めの方がいいかなと思って」
夏怜は何処と無くそわそわしていた。
「…仕方ないな」
寝室に向かい、俺も普段着に着替えた。
「もう出るのか?」
そう聞くと、さっきとは裏腹に夏怜は少しためらっていた。
「もうちょっと居てもいいんだよ」
だが夏怜はブレなかった。
「…………もう…行くわ…」
「そか」
テレビを消し、俺と夏怜は玄関に向かった。
「いいんだな?
最後にみんなと顔合わせとかなくて」
「…かまわないわ。
それに顔を合わせると言っても、どうせいつもと何も変わらないわ」
筋は通ってる。
でも、それだとちょっとひねくれ者の言い方にも聞こえるが。
「まっ、永遠の別れじゃないしな」
「…そうね」
そんなやり取りをし、家を出て俺たちは車に乗り込んだ。
「…行ってきます」
我が家に向かってそう呟いた夏怜に少し寂しさを感じつつ、俺は車を走らせた。
車を走らせて約十分。
向かったのは駅。
時刻は六時過ぎ、歩道を歩くのは早朝出勤のリーマンやトラック業者の姿ばかり。
なぜ俺たちがここに来たかと言うと…。
「父さん。
切符買ったわよ」
「…ふぁ!?
お…おしおし、じゃあホームに行くか」
むしろ俺が誘われるような形で夏怜の後ろを歩く。
階段を上がりホームに着くも始発は三十分後だった。
「ベンチで座って待つか。
…何か温かいの飲むか?」
「微糖コーヒーで」
そう言われ、俺は売店の傍にあった自販機で自分の飲むココアと夏怜の分を買った。
「…ほい、お待たせしました」
「ありが…………父さん、注文間違えてる」
「ん?
…ありゃ、俺とした事がこんな単純ミスを犯すとは。
まだ眠気が抜けてなさそうな娘の為だと思って「ココア」を買っちまうとはなぁ」
もちろん故意である。
でも嫌がらせではない。
「…どうしてココア?」
「ココアの甘さ……糖分は脳の活性化にも繋がるしね。
それにお前……ずっと「震えてる」しね」
「ッ…!?」
夏怜は昔から自分の感情や考えてる事を口に出さない。
その代わり、身体に出る癖があった。
「…気づかなかった」
「これから自立するってのに、不安も何もないわけなかろう。
俺だって独り立ちした時は色々不安だったよ。
仕事やっていけるかとか家賃払っていけるかとか、飯食っていけるかとか」
そう。
今日は夏怜が独り立ち……東京の寮付きの大学に行く日。
夏怜の隣にドンッと座って同じココアの缶を開ける。
隣で夏怜はまじまじと見つめていた。
「そう……かもしれない…」
俺から目線を外し、もらったココアを夏怜は握りながら見つめる。
「だいたい夏怜だって女の子だ。
いくら頭が良くたって不安になるのは当たり前のことだろ?」
「……」
沈黙を守る夏怜は自分の不安さに気付いてか、より震えが増していた。
「早く飲まんと冷めちまうよ」
「……」
催促されてからようやく夏怜はプルタブを開け…。
「ッ…」
緊張からか、夏怜はプルタブを開けられず、ただカリカリと苦戦していた。
『しょうがないな…』
そっと夏怜から缶を取り、カシュッと小気味良い開閉音を響かせ、ココアを夏怜に返した。
感謝もせず夏怜はゆっくりと喉に流し込んだ。
「………はぁ…。
…温かいわ…」
その一言とともに夏怜の震えは止まり肩の力が抜けた。
「美味いだろ?
たまに俺も飲んでるんだよ」
「そう…」
再びココアを飲む姿はいつも通りの夏怜だった。
緊張が解れたのもあってか、夏怜は唐突に質問を投げかけてきた。
「……父さんは……母さんを好きになって幸せだった?」
「…何を今更…。
当たり前に決まってるだろ」
ペコペコと缶をへこませる夏怜の表情は少し曇っていた。
「……母さんが亡くなってずっと考えてた。
人は誰かを好きになって交際して結婚し、子供を産んで家庭を持つ。
でも……それが最上の幸せや当たり前だとは思えない。
いずれ来る「死」ひとつで人は簡単に壊れるし、幸せを零す。
それならば、いっその事無い方が良いのではないかって………いたっ」
なんか色々ほざいていたのでとりあえずデコピンでおしおき。
「おバカな解釈してんじゃないの。
自分で好きになったから一緒になりたいと思うのは当たり前だし、結婚して家庭を築きたいと思うのも本能。
それはな、お前らが「望まれて生まれてきた子」だからなの」
「…望まれて………」
唐突にベンチから立ち上がり、俺はミュージカルばりに全身で踊るように表現しながら語り始めた。
「あるところに、一人の冴えない少年がおりました。
冴えない少年は同年代のか弱い少女と知り合い、やがて恋に落ちました。
しかし、恋愛経験のなかった少年は、やがて不安ゆえの苛立ちから彼女に言葉の刃を向けてしまいました。
あまりに残酷すぎた彼の言葉は彼女の心を深く抉りました」
「……」
夏怜は黙って聞くも、多分誰のことか理解している。
「それに気付いた少年はすぐに懺悔をするも、彼女の負った傷はとても深いものでした。
…そんな矢先、彼女の心を守ろうとする五人の心優しき者たちが現れました」
「五人…」
「彼らは人ならざるものでありながらも、彼女の弱った精神を守るために現れました。
そんな彼らの願いは二つ。
彼女の精神の回復と……彼女の「幸せ」を守ることでした」
「幸せ…」
どうやら思わぬゲストの登場で軽く頭がパンクしたらしい。
夏怜の目は少しきょどっていた。
「五人の子らは少年に自分らとともに精神の回復をさせる事を約束させました。
それこそが彼女を傷付けた少年の果たすべき使命だからです」
「それはそうね」
途中から考えるのをやめたからか、夏怜は少し興味深そうに話を聞いていた。
「やがて少女の傷が大方癒えた頃、五人の子らとの別れを告げる日が来ました。
彼らとの日々は少女と過ごしてきた時間と同じく大切なものとなっていたゆえ、少年は躊躇いました。
それでも自分たちが消えなければ、本当の意味で彼女を救うことは出来ないと彼らは「消滅」を選びました」
「……」
「決心した少年は彼らと決別をしました。
そのうちの一人が、消える直前にこう言い残しました」
「…何て言ったのかしら?」
人差し指を立て、俺は言った。
「……『貴方に記憶があれば、いつかまた会える可能性はある』…と」
「……その男は会えたのかしら?」
「……」
俺は無言で再びベンチに座った。
「…俺が言いたいのはな「失敗」や「リスク」を恐れるなってこと。
最初から失敗を恐れていれば、何も出来なくなるからな。
「石橋は壊れないように渡れ」だ」
「……」
夏怜はじっと俺の目を見つめる。
「壊れるのが怖いならメンタルの強い男を探せ。
お前をがっちり守り、最後までそばに居てくれる男を見い出せ。
あっ、でも俺が認める男じゃないとダメだぞ?」
最後の補足に夏怜はクスリと笑った。
「さぁ。
どうかしらね」
皮肉を込めた夏怜の笑顔は、不思議と祈世樹に重なる面影が見えた気がした。
「…やっぱ夏怜は常に笑ってる方が可愛いよ」
そう言うと夏怜は途端に笑顔をやめた。
「それじゃ表情筋がつってしまうわ」
「笑う門には福来るって言うだろ?」
「嘘偽りじゃ幸せは来ないわ」
「嘘でも笑ってりゃ、いつか本物の幸せは来るんだよ」
「……」
折れたのは夏怜だった。
この言い合いを無駄と思ったかしぶしぶ納得したか。
「…くしゅん!」
「ふぁっ!?
大丈夫か?」
「ずび…。
平気…」
そう言うも今は三月の下旬。
寒さもまだ残っており、かつ早朝なら尚更のこと。
「俺の手あったけぇぞ」
夏怜の頬に手を当てると、夏怜は俺の手に自分の手を添えた。
「……暖かい…」
ミュージカルばりのダンス(?)で身体も少し温まっていたゆえ出来たことだけど。
そうこうしていると、着メロみたいなBGMとアナウンスが流れてきた。
『まもなく、新幹線が到着します。
ご乗車の方は…』
「おっ、そろそろ来るっぽいよ」
気付けば時刻は六時二十五分。
まるであっという間の三十分だった。
「……」
夏怜は無言で立ち上がり、俺に振り返った。
「…父さん……。
ひとつ………お願いが……ある…」
「ん?
なんだ?」
夏怜は珍しくおどおどしていた。
やがてその重たげな口を開いた。
「その…………「ハグ」……をお願い…出来るかしら…」
「……ほぇ?」
思わず間抜けな声が漏れた。
夏怜はポーカーフェイスながらも顔を真っ赤にしていた。
「……ハグを三十秒すれば……元気になるって…。
以前、璃杏にしてたから…」
「……あー……」
そう言えばそんなこともあったっけ。
まぁ、年頃の娘にねだられるのは悪い気分ではないとはいえ…。
「…いいよ。
おいで夏怜」
俺も昔みたいに小心者ではない。
それこそ年中セクハラ生活をしてると言えない………事もない日もある。
『いや、本気じゃないからな?』
ゆっくりと寄り添うように近付き、夏怜は俺に抱きついた。
「……」
恥ずかしさもあってか、夏怜は俺の胸に顔を埋めていた。
腰に回された手は弱々しくもしっかりと噛み締めるように俺の身体を掴んでいた。
「……ずずっ…」
わずかに聞こえた鼻をすする音は、もしかしたら夏怜が泣いていたのかもしれない。
大まかに三十秒経っても夏怜は俺から離れなかった。
「……」
そっと夏怜の後頭部に手を添える。
ぎゅっとしがみつく力が強くなり、夏怜はますます顔を埋めた。
「ズズッ……ッ………」
ささやかに夏怜からひきつるような泣き漏らし声が聞こえた。
『…そっか…。
やっぱり不安だよな…』
やがて夏怜は自分から離れた。
「……ありがとう。
落ち着いたわ」
涙に濡れて目を真っ赤にするも、少し満たされた雰囲気の夏怜に、さっき握ったおにぎりが入った弁当箱を渡す。
「後ででも腹が減ったら食えよ。
ちゃんと愛情込めて握ったんだかんな」
「…そうは見えなかったけどね」
夏怜が悪態をつきながらハンドバッグを拾うその背後で新幹線がようやく姿を現した。
「ほら、かぼちゃの馬車が来たよ」
別れの惜しみか緊張からか、夏怜は俺のボケにも反応せずゆっくり新幹線に乗り込んだ。
「……」
入口付近で立ち止まり、夏怜は両手でハンドバッグと弁当箱を握りながら振り返った。
間もなくして発車のアナウンスとともに扉が閉じられた。
やがてゆっくりと新幹線は動き始め、俺は釣られるように合わせて走った。
「荷物は後で郵送して送るから心配すんな!
食い物に困ったら何時でも連絡してこいよ!
それと寂しくなったらいつでも帰ってこい!
それから…えぇっと…!」
必死になって叫び続ける俺を夏怜は涙ながらに笑って見守っていた。
やがて電車がホームの向こうまで行く直前、夏怜が何か小さく呟いた気がした。
「はぁ……はぁ………ゴホッ……ヴォエッ…」
無理をして追いかけたゆえ、息切れも半端なかった。
「ゔぇ……。
…ほんの100メートルちょっと走っただけで酸欠を起こすとこだった…」
呼吸を整え、俺は遠く小さく見える電車に向かって小声で言った。
「………行ってらっしゃい…」
今更ながら俺の胸の奥で寂しい思いがぶん殴るように込み上げてきた。
…未練ったらしいったらありゃしない。
『…頑張ってこい。
……夏怜…』
予想通り、父さんは電車が動いても体力の続く限り追いかけてきた。
恋愛ドラマで見た事のあるシーンを再現したかのように父さんは何かを叫んでいたが、私には全く何も聞こえていない。
でも………嬉しかった。
だからせめて、私からも一言。
「…行ってきます」
気付いたかは分からない。
でも、伝えることが大事だと思う。
やがて父さんの姿が見えなくなってから、私は指定の席に座った。
窓側に座り、その隣の席にハンドバッグと弁当袋を置く。
「…何かしら?」
弁当袋から何やら紙の端が見えていた。
気になった私は取り出してみた。
…どうやら手紙のようだった。
「…いつの間に書いてたのね」
複数枚入ってた内容は、私宛てのみんなからの手紙だった。
ほんの退屈しのぎに私は読むことにした。
『親愛なる夏怜お姉さまへ
この度は、大学進学なされた事を改めてお喜び申し上げます。
お姉さまとはたまに意見の食い違いで喧嘩することもありました。
けれど、それは本気でお姉さまに対して怒っていた訳ではなく、正論ばかり述べるお姉さまに対してうまく返しが出来ずやるせない怒りをぶつけていただけですわ。
ですので、その事をこのような粗末なお手紙でですが謝罪させてくださいまし。
璃杏はいつでも麗しく水面に咲く蓮の花のようなお姉さまをお慕いしております。
東京に行ってもお姉さまはいつまでも変わらずお姉さまでいてくださいまし。
璃杏』
「ふふっ…璃杏らしいわね」
一枚目は璃杏の懺悔と応援の手紙だった。
二枚目は……知子だ。
『夏怜お姉ちゃんへ
この旅は、おいそがしいなかとーきょーの大学しん学おめでとうございます。
とーきょーはいっぱい人が歩いてるので、ぶつかってころんでけがなどしないでください。
それと、こっちにもどってくるときはおみやげいっぱいかってきてください。
あっ、知子はおかしでもぬいぐるみでもうれしいです。
じゃあ、お元気でがんばってきてください!
知子より』
「知子……。
私はあなたの将来がむしろ心配だわ」
冒頭から漢字を間違ってるうえ、文節も論文としても低レベル。
…まぁ知子のことはよく知ってるし、それも彼女の魅力だと理解している。
知子にはそれを補えるだけの優しさやおおらかさ、碧乃家一のムードメーカー力がある。
「知子はきっと保母さんが向いてるわね。
…次は強乃かしら」
三枚目はこう書いていた。
『夏怜姉ぇへ
正直こういうのは苦手だ。
だから手短に済ます。
俺は昔から夏怜姉ぇに憧れていた。
夏怜姉ぇは勉強がずば抜けて強いし飯を食い終わるのも一番に早かった。
せめて一つくらい何かで夏怜姉ぇに勝ちたいと思ってた。
けれど結局、夏怜姉ぇに勝てることは何一つなく、終いには東京の大学へ行かれちまった。
悔しいけど俺はいつか夏怜姉ぇを超えてみせる。
だから、それまではくたばんじゃねえぞ。
じゃ、大学頑張れよ』
「…手短にと書いたわりに長文ね」
でも強乃の熱い気持ちとエールは伝わった。
「あなたは既にひとつ私に勝ってるわよ。
……菜津子ちゃんとお幸せにね」
そして最後、海麗からだ。
『夏怜姉ぇ
あんたはいつでもオレたちの先頭に立ってなんでもこなしてきた。
その姿がうとましい時もあった。
オレはいじめひとつで折れちまったのに、夏怜姉ぇは顔色ひとつ変えずオレたち妹弟をまとめてきた。
でもいつ頃からか、夏怜姉ぇは顔に出ないだけで本当は悩んでる時もあるって知った。
だからさ…今度は夏怜姉ぇが困ったらオレたちに相談してほしい。
オレ一人じゃ無理だけど親父たちもいる。
だから、大変だろうが大学で頑張ってオレたちにでかい顔見せに来い。
じゃあな』
「海麗…。
…あなたも苦労したものね」
海麗は碧乃家で一番いじめや傷つけられることの痛みや愚かさを知っている。
それ故に、口にこそ出さねどあの子はさり気ない優しさをたまに見せる。
「命に替えてもあなたを守ってくれるイケメンでも出会えるといいわね」
そんな軽い冗談を呟き外を眺めると、暖かなお日様が顔を覗かせていた。
『…お腹空いた…』
不意に空腹感が込み上げてきた。
おにぎりを握ってもらって正解だった。
「……?」
ラップで包まれたおにぎり二個の間に小さな二つ折りの紙が入っていた。
私はおにぎりを食べる前に開いた。
『一人で悩むな。
離れても俺たちは家族だ。
悪いものは溜め込まず全力で吐き出せ!
弱さとは自分を守る「短剣」。
強さとは弱者に与える「パンくず」。
ならば、お前はたくさんの人にパンくずを与えられる力を持った人間になれ!』
「……ふっ…」
きっと父さんの手紙だろう。
サプライズには少し弱い推しだ。
「…なんて言ったら怒られるわね」
そんなぼやきを吐き捨て、おにぎりを開封し一口かじった。
「いただきます。
……………っ…」
…何故だろう。
無性にお腹が空いてきた。
食べてるのに、身体がおにぎりを欲している。
食べれば食べるほど、まるで数日間何も食べてこなかったかのような…。
「……ッ!」
気が付けば、私は涙を流しながら食べていた。
『おかしい。
どうして私は泣いているの…?』
わけが分からなかった。
考えようにも込み上げてくる涙に思考が回らない。
それでも……。
「ッ……」
必死におにぎりを食べた。
一個は具材が鮭フレーク、もう一個は明太子。
ほどよい塩気が食欲をそそらせる。
「うっ……ぐすっ……」
食べ終わる頃には私はバカみたいに泣いていた。
何故かしら…。
父さんのおにぎりってこんなに美味しかったかしら…?
『………ッ!』
ようやく気付いた。
私は恐れていたのだ。
親元から離れ、見知らぬ土地で一人やっていけるのかという不安。
そんな心の奥底に隠していた感情が、みんなの手紙でほじくり出され、おにぎりを食べたことであらわにされたのだろう。
…それは既に父さんに見抜かれていたものの、やはりまだ隠れていたようだった。
「……美味しい…。
…美味しいよ……父さん…」
か弱い少女のように両手で顔を覆って泣き伏せる。
でも…苦しくなかった。
『あぁ…これが「パンくず」なのね…』
そう理解すると気が楽になった。
若い時の父さんもきっとこんな不安に囚われていたのだろう。
「…ご馳走さま」
両手を合わせて食べ終えると、外では青々しさが映える田畑が広がっていた。
『…父さん、みんな。
それと………「母さん」。
……私、頑張ってみる。
多くの人たちに……私が食べたのと同じくらい美味しい「おにぎり」を与えられるように…』
勉強しか出来なくて、運動も人付き合いも苦手な私だけど、馴染めるように努力はしてみるつもり。
私の「春」は………もう目の前に来ていた…。




